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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年4月25日ほか・番外篇1

昭和8年前半期に制作(推定)された詩と
安原喜弘のいう「詩人の魂の動乱」は
どのような関係にあったのでしょうか。
 
前年末にピークを迎え
落ち着きはじめた「動乱」のようですが
「一人でカーニバルをやった」のは1月末です。
昭和8年前半制作の詩と「カーニバル」との間に
通じるものがなかったなどとは到底思えません。
 
 
使われた言葉だけを見ても、
(ああわれは おぼれたるかな)では
「母上」や「羊」が現われ、
「母上」には、「涙ぬぐいてよ」と呼びかけ
「羊」は、「暗きにいる」のです。
 
 
「小唄」は
三原山の自殺を歌った詩ですが、
これは当時、実践女学校生徒が伊豆大島・三原山で自殺したのをきっかけに
次々と同じ場所で投身自殺が続いたニュースを題材にしています。
世間を騒がせた事件を「小唄」と題して「唄う」詩です。
 
詩想を練るうちに迎えた朝、
寝床の中で呆然(ぼうぜん)と
煙草くゆらせもの思いにふける詩人(第3連)。
 
七五のリズムをきざみ
煙が火山活動の噴煙ばかりではないことを
繰り返し歌う「小唄」ですから
三味の音が聞こえてきてもおかしくありません。
 
 
「早春散歩」は
春まだき朝の散歩とはいえ
ただの散歩ではなく、
 
我等の心を引千切(ひきちぎ)り
きれぎれにして風に散らせる
――
 
死んで2年にもならない
弟・恰三のことが思い出される散歩です。
 
 
(形式整美のかの夢や)に至っては
ダダイスト高橋新吉への献呈詩です。
 
詩人は、昭和11年8月、「我が詩観」中の「詩的履歴書」という小自伝に
「(大正12年の)その秋の暮、寒い夜に丸太町橋際の古本屋で『ダダイスト新吉の詩』を読む。中の数篇の詩に感激。」と書きます。
その高橋新吉へのオマージュ以外ではあり得ません。
 
孤立を深めていたこの時期に
ダダイズムが現われ
そのダダイズムの実践者・高橋新吉へ
詩を献呈したという事実そのものの意味が重大です。
 
 
(風が吹く、冷たい風は)にも
「早春散歩」に似た風が吹いていますが
汽車の旅にある詩人は、
 
僕は手ぶらで走りゆく
胸平板(むねへいばん)のうれしさよ
――という、無一物の身です。
 
何にも持たず
一人っきりであり、
 
七里結界に係累はないんだ
――で結ばれる詩は
さばさばした解放感を歌います。
 
 
今回はここまで。
今回紹介した詩を再掲出しておきます。
 
 
 
(ああわれは おぼれたるかな)
 
ああわれは おぼれたるかな
  物音は しずみゆきて
燈火(ともしび)は いよ明るくて
ああわれは おぼれたるかな
 
母上よ 涙ぬぐいてよ
 朝(あした)には 生みのなやみに
けなげなる小馬の鼻翼
紫の雲のいろして
たからかに希(ねが)いはすれど
たからかに希いはすれど
轣轆(れきろく)と轎(くるま)ねりきて
――――――――
澄みにける羊は瞳
瞼(まぶた)もて暗きにいるよ
  ―――――――――――――
 
 
小 唄
 
僕は知ってる煙(けむ)が立つ
 三原山には煙が立つ
 
行ってみたではないけれど
 雪降り積った朝(あした)には
 
寝床の中で呆然(ぼうぜん)と
 煙草くゆらせ僕思う
 
三原山には煙が立つ
 三原山には煙が立つ
      (一九三三.二.一七)
 
 
早春散歩
 
空は晴れてても、建物には蔭(かげ)があるよ、
春、早春は心なびかせ、
それがまるで薄絹(うすぎぬ)ででもあるように
ハンケチででもあるように
我等の心を引千切(ひきちぎ)り
きれぎれにして風に散らせる
 
私はもう、まるで過去がなかったかのように
少なくとも通っている人達の手前そうであるかの如(ごと)くに感じ、
風の中を吹き過ぎる
異国人のような眼眸(まなざし)をして、
確固たるものの如く、
また隙間風(すきまかぜ)にも消え去るものの如く
 
そうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎えるものであることを
ゆるやかにも、茲(ここ)に春は立返ったのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思う、思うことにも慣れきって僕は思う……
 
 
(形式整美のかの夢や)
      ▲
         高橋新吉に
 
形式整美のかの夢や
羅馬(ローマ)の夢はや地に落ちて、
我今日し立つ嶢角(ぎょうかく)の
土硬くして風寒み
 
希望ははやも空遠く
のがるる姿我は見ず
脛(はぎ)は荒るるにまかせたる
我や白衣の巡礼と
 
身は風にひらめく幟(のぼり)とも
長き路上におどりいで
自然を友に安心立命
血は不可思議の歌をかなづる
     (一九三三・四・二四)
 
 
(風が吹く、冷たい風は)
 
      ▲
風が吹く、冷たい風は
窓の硝子(ガラス)に蒸気を凍りつかせ
それを透かせてぼんやりと
遠くの山が見えまする汽車の朝
 
僕の希望も悔恨も
もう此処(ここ)までは従(つ)いて来ぬ
僕は手ぶらで走りゆく
胸平板(むねへいばん)のうれしさよ
 
昨日は何をしたろうか日々何をしていたろうか
皆目僕は知りはせぬ
胸平板のうれしさよ
 
(汽車が小さな駅に着いて、散水車がチョコナンとあることは、
小倉(こくら)服の駅員が寒そうであることは、幻燈風景
七里結界に係累はないんだ)

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