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中原中也全詩集

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渇の喜劇

 
   Ⅰ    
 
    祖先(みおや)
 
私(わし)達はおまえの祖先(みおや)だ、
  祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひゃ)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持っていましたぞ!
お日様に向って嘘偽(うそいつわり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。
 
小生。ーー野花の上にて息絶ゆること。
 
私(わし)達はおまえの祖先(みおや)だ、
  田園に棲む。
ごらん、柳のむこうを水は、
湿ったお城のぐるりをめぐって
ずうっと流れているでしょう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シードル)もあればお乳もあります。
 
小生。ーー牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。
 
私(わし)達はおまえの祖先(みおや。
  さ、持っといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴ってます。
ーー絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かえ)って来ますよ。
 
小生。ーー骨甕をみんな、割っちゃえばよい。
 
   Ⅱ     
 
    精神
 
永遠無窮な水精(みずはめ)は、
  きめこまやかな水分割(わか)て。
 
ヴィーナス、蒼天の妹は、
  きれいな浪に情けを含(こ)めよ。
 
ノルウェーの彷徨う猶太人(ユダヤじん)等は、
  雪について語ってくれよ。
 
追放されたる古代人等は、
  海のことを語ってくれよ。
 
小生。ーーきれいなお魚(さかな)はもう沢山、
     水入れた、コップに漬ける造花だの、
   絵のない昔噺は
     もう沢山。
 
   小唄作者よ、おまえの名附け子、
     水螅(ヒードル)こそは私の渇望(かわき)、
   憂いに沈み衰耗し果てる
     口なき馴染みのかの水螅(ヒードル)。
 
   Ⅲ     
 
    仲間
 
おい、酒は浜辺に
  浪をなし!
ピリッとくる奴、苦味酒(ビットル)は
  山の上から流れ出す!
 
どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きゅう)……
 
小生。ーーなにがなにやらもう分らんぞ。
   ひどく酔ったが、勘弁しろい。
 
   俺は好きだぞ、随分好きだ、
   池に漬って腐るのは、
   あの気味悪い苔水の下
   漂う丸太のそのそばで。
 
   Ⅳ     
 
    哀れな空想
 
恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐(しず)かに飲もう
満足をして死んでもゆこう、
ただそれまでの辛抱だ!
 
もしも俺の不運も終焉(おわ)り、
お金が手に入ることでもあったら、
その時はどっちにしたものだろう?
北か、それとも葡萄の国か?……
ーーまあまあ今からそんなこと、
 
空想したってはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になったところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あろうわけもない。
 
   Ⅴ     
 
    結論
 
青野にわななく鳩(ふたこえどり)、
追いまわされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さえ渇望(かわき)はもつ。
 
さば雲もろとも融けること、
ーーすがすがしさにうべなわれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみずみずし
菫の上に息絶ゆること!

 

 

 


ひとくちメモ その1

Comédie de la Soifは
5章で構成される長詩で
中原中也訳「ランボオ詩集 飾画篇」の6番目にあります。
「渇の喜劇」と訳されています。

なにはともあれ
読んでみることにします。
読まないことには
はじまりませんから。

まずⅠは「祖先」。
「祖先」と書いて「みおや」と読ませるのは
いかにも、宗教心のある中原中也の訳です。

わしたちは、お前のみおや(祖先)だ、
  みおやだよ!
月や青い草々の
冷たい汁にしこたま濡れて。
わしたちの粗末な酒は心を持っていましたぞ!
お天道さまに対してウソイツワリのないためには
人間に何が必要か? 飲むことでさあ。

小生。――野花の上で死ぬことだ。

ここまで読んで
疑問がいくつか残りますが
先に進みます。

わしたちは、お前のみおや(祖先)だ、
  田園に棲んでいる。
ご覧、柳の向うを水は、
湿ったお城の回りをぐるっと回って
ずうっと流れているでしょ。
さあ、酒蔵へ行きますよ、
リンゴ酒もあればミルクもあります。

小生。――牝牛らが飲んでいる所へ行く。

わしたちは、お前のみおや(祖先)。
  さあ、持っておいで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等のコーヒー、
薬缶の中で鳴ってます。
――絵をご覧、花をご覧。
わしたちは、墓の中から蘇って来ますよ。

小生。――骨ツボをみんな、割っちゃえばいい。

祖先(みおや)である「わしたち」が
「お前」である「小生」に語りかけている劇。
「小生」も感想を漏らす――というつくりの劇(=コメディー)のようです。

Ⅱ「精神」へ入ります。

永遠無限の水の精オンディーヌは、
肌理(きめ)細やかな水を分けて。

ビーナス、青空の妹は、
きれいな波に情を込めよ。

ノルウェ-の、さまよえるユダヤ人らは、
雪について語ってくれ。

小生。――きれいなお魚はもう要らない、
       水を入れた、コップに漬ける作り花や、
       絵のない昔話は
       もう沢山。

       小唄作者よ、お前の名づけ役、
       ヒドラ(水蛇)こそは私の渇き、
       憂いに沈み衰弱している
       口のないお馴染みのあのヒドラ。

 

ひとくちメモ その2

中原中也訳「ランボオ詩集 飾画篇」の6番目にある
5章で構成される長詩
「渇の喜劇」Comédie de la Soifを読み進めます。

第3章は、Ⅲ「仲間」です。

おい、酒は浜辺に
波となってあるんだ!
ピリッとくる苦(にが)い酒ビットルは
山の上から流れ出すのさ!

どうだい、手に入れようじゃないか、
緑の柱と見違えるばかり立派なアブサン宮殿……

小生。――何が何やらもう分からなくなってきた。
       ひどく、酔ったが勘弁してくれい。

       俺は好きだぞ、随分好きだ、
       池に漬かって腐るのは、
       あの気味悪い苔水のヌルヌルの
       漂う丸太のその傍(そば)で。

Ⅳ「哀れな空間」は
会話ではなくなったのか
モノローグでしょうか。
語るのは「俺」です。

恐らくは、とある夕べが俺をまつだろう。
ある古都でな。
その時こそは、静かに飲もう
たらふく飲んで満足して死んでも行こう、
ただそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終わり、
お金が手に入ることにでもなったら、
その時はどっちにしたもんか!
北か、それとも南・葡萄の国か?
――まあまあ今からそんなことまで、

空想したって始まらない。
仮に俺がだ、昔流儀の
大旅行家殿になったところで、
あの「緑の色した旅館」が
今どき、存在するわけがない。

第5章「Ⅴ」は「結論」。

草原に震えているフタコエドリ、
追い回される禽獣たち、
水に棲む奴、家畜ども、
瀕死の蝶さえ渇望(かわき)を持ってる。

サバ雲もろとも融けること。
――清々しいこと限りなく
朝の光が、森に満たす清冽。
スミレの上で死ぬこと!

終わりのほうになって
訳詩が
こなれていて
スラスラと読めます。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、

このあたり、名訳といえます。

 

中原中也は
この詩の訳出を早くから試み
長い間、あたためて
晩年に完成をみたことが知られています。

ひとくちメモ その3

中原中也は
昭和2年(1927年)8月6日の日記に

ラムボオつて人はほんとに素晴らしいんだ。‘Comédie de la Soif’を読め。
人が一番直接歌ひたいことを実践してゐる。

――と、まさに「渇の喜劇」Comédie de la Soifを名指して
称揚しています。

昭和2年は
泰子とともに上京してから2年、
すでに泰子は小林秀雄と暮らしています。
ランボーの詩を教えた富永太郎は死去、
この年昭和2年に遺稿を集成した私家版詩集が
遺族によって刊行されました。
「朝の歌」を書き上げたのが昭和元年、
詩人はアテネ・フランセへ通いはじめます。
……

河上徹太郎を知るのも
昭和2年春ですし
周りには帝大仏文科の学生もいたであろうし
フランス語のできる友人にめぐまれ
彼らや富永太郎や小林秀雄らの口から
Comédie de la Soifが話題になったことがあったのかもしれません。
自分でメルキュール版ランボー詩集から
見つけ出したのかもしれません。

ところが
この日記から丁度10年後、
昭和12年9月2日付けで
親友・安原喜弘に宛てた書簡に

うまい酒と、呑気な旅行と、僕の理想の全てです。問題は陶然と暮せるか暮せないかの一事です。「さば雲もろとも溶けること!」なんて、ランボオもいやつではありませんか。
(「新編中原中也全集 第5巻 日記・書簡」より。原文ママ。編者。)

――と記すことになります。

ランボー詩の翻訳に取り組みはじめてから
晩年に至るまでの
途絶えることのない
中原中也のこの詩Comédie de la Soiへのこだわりを
ここに見ることができます。

うまい酒、
呑気な旅行、
僕の理想の全て。

陶然と生きることの
詩的表明。

その例として
ランボーの「渇の喜劇」の1行
「さば雲もろとも溶けること!」を
親友に取り出してみせたのです。

「在りし日の歌」の原稿を清書して
小林秀雄に手渡すのは
この手紙を書いて1月もしない日のことでした。

さらば東京!
おお、わが青春!
――と「後記」に記した日付けは
1937.9.23となっています。

この時期に
陶然と生きることを希望し
祈願してきた来し方が
詩人の心の中に確かめられて
自然に
「さば雲もろとも溶けること!」のフレーズが
涌いてきたことが想像できます。

翻訳は
昭和11年6月から昭和12年8月頃の間
または
昭和9年9月から昭和10年3月末の間の
どちらかであろうことが推定されています。

 

「渇の喜劇」は
「若き晩年」に
ランボーが近くにあったことを
あらためて知る材料の一つです。

ひとくちメモ その4

「渇の喜劇」Comédie de la Soifには
同時代訳として

①西条八十の「渇けるものの劇」
②淀野隆三の「渇きの喜劇(コメデー)」
③小林秀雄の「渇劇」

――の3作品があります。
(「新編中原中也全集」)

小林秀雄は戦後(昭和23年)に出した「ランボオ詩集」(創元社)では
「飾画篇」には入れないで
「韻文詩」の中に
「渇の喜劇」と訳しています。

小林秀雄が
「韻文詩」を訳したのは珍しいことなのですが
「酩酊船」
「渇の喜劇」
「堪忍」
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」
――の計5篇が同書に収録されています。

これに先立つ
昭和8年に「本」に発表されたのが
「渇劇」です。
これが中原中也生存中の発行で、
純然たる同時代訳ということになりますから
中原中也も参照したことがあるかもしれないということで
こちらを読んでみます。

渇劇
小林秀雄訳

   Ⅰ
   親

 俺達がお前の親なのだ、
 お前の爺さん婆さんだ。
 お月様と、青草の
 冷い汗にまみれてさ。
 作つた地酒にや脈がうつ。
 陰日向のない陽(ひ)を浴びて、
 一体人間に何が要る、飲む事さ。

俺――蛮地の河でくたばりたい

 俺達がお前の親なんだ、
 この野つ原の御先祖様だ。
 柳の奥には水が湧く、
 湿めつたお城を取巻いて、
 見ろ、お堀の水の流れるのを。
 俺達の酒倉に下りて来い、
 林檎酒(シイドル)もある、牛乳もある。

俺――飲むなら牝牛の飲むとこで。

 生みの親なら遠慮はいらぬ、
 さあ、飲んでくれ、
 戸棚の酒はお好み次第、
 なんならお茶か珈琲か、
 飛切りのやつが湯沸かしで鳴つてらあ。
 見たけりや絵もある花もある。
 墓所は見納めとするこつた。

俺――いっそ甕といふ甕が干したいものさ。

   Ⅲ
   精神

 永遠の水の精、
 なめらかな水をたちわれ。

 青空の妹、ヴィナス、
 清らかな波を動かせ。

 諾威をさすらふ猶太人、
 雪の話をきかせてくれ。

 恋しい昔の流刑者よ、
 海の話をきかせてくれ。

俺――まつぴらだ、いづれの味(み)のない飲みものさ、
 コップに跳る水玉さ。 
 昔噺や絵姿で、
 俺の渇きが癒えようか。

 小唄作りよ、聞いてくれ、君が名付けの娘こそ、
 気狂ひ染みたこの渇き。
 親しい七頭蛇(イドル)にや口がない、
 お蔭で俺は身も世もない。

   Ⅲ
   友達

 来給へ、酒は海辺を乱れ走り、
 幾百万の波の襀(ひだ)だ。
 見給へ、野生の苦味酒(ビテエル)は
 山々の頂を切つておとす。

 廻国の君子等、どうだ一つ手にいれては、
 アブサンの作る緑の列柱……

俺――ふん、結構な景色(けいしょく)だ、
 おい、酔つぱらふとはどういふこつた。

 池の藻屑と腐るも同じさ、
 どうして、よつぽどましかも知れぬ。
 むかつくクリイムの下敷きで、
 朽木がぶよぶよ浮いてるか。

   Ⅳ
   あはれな思ひ

 どこか古風な村に行き、
 心静かに飲むとしよう、
 といふ具合な夜が待つてゐるかも知れないさ。
 さうして愚図らず死ぬとしよう、
 我慢は強い方なんだ。

 若しも病ひが疼いて来なけりや、
 いくらか金があつたなら、
 「北」よしようか、
 葡萄の国か。
 ――やれ、やれ、夢みる柄かなあ。

 いやさ、無駄さ、無駄事だ。
 いづれはもとの黙阿弥の
 旅人姿で帰つて来ても、
 緑の旅籠がこの俺に、
 開いてゐよう筈はない。

   Ⅴ
   くゝり

 牧場にふるえる鳩たちも、
 夜が来るまで追ひまはされる鳥も獣も、
 水に棲む生き物も、飼はれた生き物も、
 それから秋の蝶々も――みんな喉は渇いてゐるのだ。

 よし、当所(あてど)ない浮雲の、とろける処でとろけよう。
 ああ、爽やかなものの手よ。
 露しいた菫のなかに事切れよう。
 明け方が菫の色に野も山も染めてくれぬと限るまい。
                             (未定稿)

(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」より)

まったく別の詩の翻訳を読むような
異なる翻訳であることが分かります。

 *

 渇の喜劇

     Ⅰ

   祖先(みおや)

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  祖先(みおや)だよ!
月や青物の
冷(ひや)こい汁にしとど濡れ。
私達(わしたち)の粗末なお酒は心を持つてゐましたぞ!
お日様に向つて嘘偽(うそいつはり)のないためには
人間何が必要か? 飲むこつてす。

小生。――野花の上にて息絶ゆること。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)だ、
  田園に棲む。
ごらん、柳のむかふを水は、
湿つたお城のぐるりをめぐつて
ずうつと流れてゐるでせう。
さ、酒倉へ行きますよ、
林檎酒(シイドル)もあればお乳もあります。

小生。――牝牛等呑んでる所(とこ)へゆく。

私(わし)達はおまへの祖先(みおや)。
  さ、持つといで
戸棚の中の色んなお酒。
上等の紅茶、上等の珈琲、
薬鑵の中で鳴つてます。
――絵をごらん、花をごらん。
私(わし)達は墓の中から甦(かへ)つて来ますよ。

小生。――骨甕をみんな、割つちやへばよい。

     Ⅱ

   精神

永遠無窮な水精(みづはめ)は、
  きめこまやかな水分割(わか)て。

ヹニュス、蒼天の妹は、
  きれいな浪に情けを含めよ。

ノルヱーの彷徨ふ猶太人等は、
  雪について語つてくれよ。

追放されたる古代人等は、
  海のことを語つてくれよ。

小生。――きれいなお魚(さかな)はもう沢山、
     水入れた、コップに漬ける造花だの、
   絵のない昔噺は
     もう沢山。

   小唄作者よ、おまへの名附け子、
     水螅(ヒイドル)こそは私の渇望(かわき)、
   憂ひに沈み衰耗し果てる
     口なき馴染みのかの水螅(ヒイドル)。

     Ⅲ

   仲間

おい、酒は浜辺に
  浪をなし!
ピリツとくる奴、苦味酒(ビットル)は
  山の上から流れ出す!

どうだい、手に入れようではないか、
緑柱めでたきかのアプサン宮(きう)……

小生。――なにがなにやらもう分らんぞ。
   ひどく酔つたが、勘免しろい。

   俺は好きだぞ、随分好きだ、
   池に漬つて腐るのは、
   あの気味悪い苔水の下
   漂ふ丸太のそのそばで。

     Ⅳ

   哀れな空想

恐らくはとある夕べが俺を待つ
或る古都で。
その時こそは徐かに飲まう
満足をして死んでもゆかう、
たゞそれまでの辛抱だ!

もしも俺の不運も終焉(をは)り、
お金が手に入ることでもあつたら、
その時はどつちにしたものだらう?
北か、それとも葡萄の国か?……
――まあまあ今からそんなこと、

空想したつてはじまらぬ。
仮りに俺がだ、昔流儀の
旅行家様になつたところで、
あの緑色の旅籠屋が
今時(いまどき)あらうわけもない。

     Ⅴ

   結論

青野にわななく鳩(ふたこゑどり)、
追ひまはされる禽獣(とりけもの)、
水に棲むどち、家畜どち、
瀕死の蝶さへ渇望(かわき)はもつ。

さば雲もろとも融けること、
――すがすがしさにうべなはれ、
曙(あけぼの)が、森に満たするみづみづし
菫の上に息絶ゆること!

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は、本文中「勘免」の
「免」に「ママ」の注記があります。編者。

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