中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)10・簡単な感想
中原中也の詩を通覧すると
一目瞭然で「花」の登場が少なく
葉とか根とか枯れ草など「草木」が多いことがわかります。
「花」は珍しい分、
鮮やかな印象を残す場合が多く
向日葵(ひまわり)=「夏の日の歌」
れんげの華(はな)=「春の思い出」
白薔薇(しろばら)=「むなしさ」
菖蒲(しょうぶ)=「六月の雨」
菜の花=「春と赤ン坊」
桜=「正 午」
三色菫(さんしきすみれ)=(疲れやつれた美しい顔よ)
キンポーゲ=「狂気の手紙」
タンポポ=「狂気の手紙」
――などが記憶に刻まれます。
「花」の登場が少ないから色彩に欠けるというものではなく
出てくるべきところに出てきて
「菜の花」「三色菫」「キンポーゲ」など
詩(のタイトル)とともに思い出すことができます。
園芸店で売っているような「花」ではなく
自然の中の「花」の場合が多いのは
たとえば吉本隆明が
「わたしの好きだった、そして今でもかなり好きな自然詩人に中原中也がいる。」と
「吉本隆明歳時記」の巻頭に中原中也を取り上げ
「自然詩人」の名称で呼んでいることに通じるものでしょうか。
◇
蓮(はす)の葉
楡(にれ)の葉
椎(しい)の枯葉
棉(わた)の実
葱(ねぎ)の根
すすきの叢(むら)
枇杷(びわ)の葉
とうもろこしの葉
芒(すすき)の穂
――などと、「葉」や「根」に詩人の眼差しは向けられ(ることが多く)
「草・花」というアングルで見ると
そのことだけを取って見ればいかにも地味という印象でした。
◇
自然としての「草や花」を歌うからといって
吉本隆明はそれで「自然詩人」と言っているわけではなさそうですが
中原中也が「自然」を歌うために詩を作ったものでないことは
「草や花」を前面に出してはいない、というところにはっきりしています。
「草」や「花」に託して
「情」とか「メッセージ」とかを述べたということを
確認できるのではないでしょうか。
◇
ほかにも色々なことが言えるのかもしれませんし
言えないのかもしれません。
言い過ぎて間違えるかもしれませんから
これ以上のことは控えておきます。
◇
最後に、重複を避けて「花と草」だけを抽出しておきます。
百合
蓮(はす)の葉
草の根
向日葵(ひまわり)
曼珠沙華(ひがんばな)
楡(にれ)の葉
麦
松
椎(しい)の枯葉
白薔薇(しろばら)
襄荷(みょうが)
柿の木
枇杷(びわ)
菖蒲(しょうぶ)
棉(わた)の実
麻(あさ)
ポプラ
菜の花畑
葱(ねぎ)の根
桜
苔(こけ)
すすきの叢(むら)
杉林
菫(すみれ)
笹の葉
薔薇(ばら)
隠元豆(いんげんまめ)
蓮華(れんげ)
へちま
苺(いちご)
蔦蔓(つたかづら)
苜蓿(うまごやし)
百合(ゆり)
朝顔)
韮(にら)
いちじく
椰子樹(やしのき)
綿
げんげ
三色菫(さんしきすみれ)
茸(きのこ)の薫(かおり)
櫟材(くぬぎざい)
枇杷(びわ)の葉
夕顔の花
瓜(うり)
稲穂
とうもろこしの葉
芒(すすき)の穂
林檎(りんご)
パセリ
にんにく
コスモス
茅(かや)
こごめばな
葡萄
椿(つばき)
キンポーゲ
タンポポ
あやめ
菖蒲(しょうぶ)の花
(この項終わり)
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