中原中也の詩に出てくる「人名・地名」22(まとめ)
中原中也の詩に現われる「人名」のうちの日本人を見ていますが
面識があった人物のうち「白痴群」に属し「成城ボーイ」でもあったのは
【阿部六郎】【青木三造(=安原喜弘)】、【(大岡)昇平】の3人でした。
【阿部六郎】は、大正・昭和の青年の必読書「三太郎の日記」を書いた阿部次郎の弟。中原中也とは昭和3年5月に初対面し、その時、成城高校のドイツ語教師でした。やがては「阿部六郎全集」全3巻を残す日本で指折りのドイツ文学者になりました。渋谷・神山に住み、近くへ中原中也も引っ越してきてから、交友は深まりました。この住まいについて、「ペンキぬりの洋館風の家で、2階に3部屋あり、階段をあがってとっつきが阿部の部屋、その南隣が私の部屋」と同宿していた村井康男は記しています(「思い出すままに」)。この時期は、「白痴群」創刊から第6号で廃刊になる時期と重なっていますから、特に頻繁な行き来があったようです。中原中也が酔った勢いで、民家の軒灯のガラスを壊し、渋谷警察署に留置されたのも昭和4年4月のことで、中原中也は15日間、阿部も村井も5日間の拘留処分を食らっています。阿部はこ頃の日記を残していますから、それを少し読んでみます。
◇
5月12日
日が暮れた。谷の向うの赤屋根の家では、今朝ベランダで子供と一緒に叫んでいた少女が緋色の蒲団をしまって行った。白い路の端の街灯の光がだんだん鋭くなってくる。柔い木立に煙っているこのセザンヌ風の風景を私はこの暮方ほど嬉しく眺めたことはない。
明日は旅に出る。帰って来た翌日には、もうこの窓ともお別れだ。
この宿で私は歴史から没落した。そして、中原の烈しく美しい魂と遭った。中原との邂逅は、とにかく私には運命的な歓びで、又、偶然には痛みでもあった。
中原はいま、幾度目かの解体期にぶつかっている。昨年初冬、私と一緒に入って行った義務愛に破綻し、存在にも価値にもひどい疑惑に落ちている。そして、不思議な因縁で離合して来たも一つの罰せられた美しい魂と一緒にいま、京都に行っている。生きるか死ぬかだと言う彼の手紙は決して誇張ではないのだ。「どっちがお守りをされるのか分らないのよ」と言った咲子さんの顫え声にも、私には勿体ないほどのしんじつを感じる。
だが、私にはそれをどうすることができよう。
※「新編中原中也全集・別巻(下)」より。「新かな」表記に直しました。適宜、改行を加えてあります。編者。
◇
昭和4年5月12日の日記ですから、
中原中也、村井康男、阿部六郎の3人が渋谷警察署に留置された直後のものです。
「義務愛に破綻し」とあるのは、「白痴群」の廃刊のことでしょう。
冒頭の「赤屋根の家」とは、
代々木練兵場(後に「ワシントン・ハイツ」と呼ばれる米軍の住宅)のことでしょうか。
その周辺の住宅の風景でしょうか。
向かいは丘になっていて、
その様子が、阿部らの住まいからくっきりと眺められたのです。
「咲子さん」は、長谷川泰子のことです。
中原中也は、留置から解放されてすぐの5月に、泰子と京都への小旅行に発ちました。
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