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ランボー<3>「事件」のはじまり

上田敏訳の「酔ひどれ船」は
大正12年1月に
「上田敏詩集」(玄文社)として発行された中に
収録されました。
上田敏は
大正5年に亡くなりますから
没後の発表ということになります。
 
遺稿の中から発見された未定稿の
欠落していた第10連を竹友藻風(たけともそうふう)が補訳して
発表されたものですから
現在読める作品もこの時のものです。
中原中也が筆写したのも
この「上田敏詩集」からのものになります。
 
上田敏の「酔ひどれ船」以前に
ランボーは
どのように翻訳されていたのでしょうか
上田敏以前のランボー訳は
どのような状況にあったのでしょうか
という問いは
そのまま
日本でのランボー受容の歴史を見ることにつながります。
 
その視点で見ると
「酔ひどれの舟」の題で
柳沢健(1889年―1953年)が
自選詩集「果樹園」(大正3年発行)の
巻末に訳出したものが存在していた事実に行き当たります。
 
柳沢健の「酔ひどれの舟」が本邦初訳であることは
知る人ぞ知る歴然とした事実なのですが
上田敏の名望の影になった形で
一般にはあまり知られていません。
大岡昇平が
中原中也は柳沢の「果樹園」や「仏蘭西詩集」などを
「見る機会はなかったであろう」と
触れているだけなのは致し方ないことで
むしろ触れているだけで
さすがと言ったほうが適切なことではないでしょうか。
 
ランボーの作品はこのほかに
永井荷風「珊瑚集」(大正2年)中の「そぞろあるき」
蒲原有明訳の「母音」がある程度で
岩野泡鳴訳のアーサー・シモンズ「表徴派の文学運動」(大正2年)や
辰野隆「信天翁の眼玉」(大正11年)の案内で
経歴を知るほかになかった、と
大岡昇平は記しています。
(大岡昇平「中原中也」所収「Ⅵ中原中也全集解説」「翻訳」角川文庫)
 
こういう状況のところへ
上田敏訳の「酔ひどれ船」が公開されて
それをきっかけにして
柳沢健の訳業も話題になったりしたのかもしれませんし
ランボーが各方面で共鳴し
「事件」を起こしつつあったことを
疑うことはできません。
 
また
「上田敏詩集」が刊行されたのが
大正12年1月のことで
この年の9月1日に
関東大震災が起きていることと重なり合って
これらは直接なんら関係するものではありませんが
時代の空気を作り出していったことが
想像されもします。
 
やがて大正時代は終わりを告げ
新しい時代、昭和が幕開けするという時期に
「酔ひどれ船」は公開され
東京帝大仏文科や
民間の学校アテネ・フランセなどに集う
「フランス熱」を帯びた若者たちがこれを貪り読んでは
遥か海の向こうの異国で起きている
詩の革命に心を寄せていたということができます。
 
「ランボーという事件」として
真芯から受け止めていたのが
小林秀雄でしたし
富永太郎や
中原中也も
その事件の中心にいたのです。
 
 
(つづく)
 
*
酔ひどれ船(未定稿)
             アルテュル・ランボオ
 
われ非情の大河を下り行くほどに
曳舟の綱手のさそひいつか無し
喚(わめ)き罵る赤人等、水夫を裸に的にして
色鮮やかにゑどりたる杙(くひ)に結ひつけ射止めたり。
 
われいかでかかる船員に心残あらむ、
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船よ、
かの乗組の去りしより騒擾はたと止みければ、
大河はわれを思ひのままに下り行かしむ。
 
荒潮の哮(たけ)りどよめく波にゆられて、
冬さながらの吾心、幼児の脳よりなほ鈍く、
水のまにまに漾(ただよ)へば、陸を離れし半島も
かかる劇しき混沌に擾れしことや無かりけむ。
 
颶風はここにわが漂浪の目醒に祝別す、
身はコルクの栓より軽く波に跳りて、
永久にその牲(にへ)を転ばすといふ海の上に
うきねの十日(いくよ)、灯台の空(うつ)けたる眼は顧みず。
 
酸き林檎の果を小児等の吸ふよりも柔かく、
さみどりの水はわが松板の船に浸み透りて、
青みたる葡萄酒のしみを、吐瀉物のいろいろを
わが身より洗ひ、舵もうせぬ、錨もうせぬ。
 
これよりぞわれは星をちりばめ乳色にひたる
おほわたつみのうたに浴しつつ、
緑のそらいろを貪(むさぼ)りゆけば、其吃水(みづぎは)蒼ぐもる
物思はしげなる水死者の、愁然として下り行く。
 
また忽然として青海の色をかき乱し、
日のきらめきの其下に、もの狂ほしくはたゆるく、
つよき酒精にいやまさり、大きさ琴に歌ひえぬ
愛執のいと苦き朱(あか)みぞわきいづる。
 
われは知る、霹靂に砕くる天を、竜巻を、
寄波(よせなみ)を、潮ざゐを。また夕ぐれを知るなり。
白鳩のむれ立つ如き曙の色も知るなり。
人のえ知らぬ不思議をも偶(たま)には見たり。
 
神秘のおそれにくもる入日のかげ、
紫色の凝結にたなびきてかがよふも見たり。
古代の劇の俳優(わざをぎ)が歩んで進む姿なる
波のうねりの一列がをちにひれふるかしこさよ。
 
夜天の色の深(こ)みどりはましろの雪のまばゆくて
静かに流れ、眼にのぼるくちづけをさへゆめみたり。
世にためしなき霊液は大地にめぐりただよひて
歌ふが如き不知火の青に黄いろにめざむるを。
 
幾月もいくつきもヒステリの牛小舎に似たる
怒涛が暗礁に突撃するを見たり、
おろかや波はマリヤのまばゆきみあしの
いきだはしき大洋の口を箝(かん)し得ると知らずや。
 
君見ずや、世にふしぎなるフロリダ州、
花には豹の眼のひかり、人のはだには
手綱のごとく張りつめし虹あざやかに染みたるを、
また水天の間には海緑色のもののむれ。
 
海上の沸きたちかえへる底見ればひろき穽(わな)あり、
海草の足にかわみて腐爤するレヰ゛ヤタン、
無風(なぎ)のもなかに大水はながれそそぎて、
をちかたの海はふち瀬に瀧となる。
 
氷河、銀色の大陽、真珠の波、炭火の空、
鳶色の入江の底にものすごき破船のあとよ、
そこには蟲にくはれたるうはばみのあり、
黒き香に、よぢくねりたる木の枝よりころがり落つ。
 
をさなごに見せまほし、青波にうかびゐる
鯛の族(ぞう)、黄金(こがね)の魚(いろ)くづ、歌へるいさな。
花と散る波のしぶきは漂流を祝ひ、
えも言へぬ風、時々に、われをあふれり。
 
時としては地極と地帯の旅にあきたる殉教者、
吐息をついてわが漂浪を楽しくしながら、
海は、われに黄色の吸盤をもてる影の花をうかぶ、
その時われは跪く女のごとくなり。
 
半島のわが舷(ふなべり)の上に投げ落すものは、
亜麻いろの眼をしたる怪鳥の争、怪鳥の糞、
かくて波のまにまに浮き行く時、わが細綱をよこぎりて、
水死の人はのけざまに眠にくだる……
 
入江の底の丈長髪(たけなががみ)に道迷ふわれは小舟ぞ、
あらし颶風によつて鳥もゐぬ空に投げられ、
甲鉄船(モニトル)もハンザの帆船も
水に酔ひたるわがむくろ、いかでひろはむ。
 
思ひのままに、煙ふきて、むらさき色の霧立てて、
天をもとほすわが舟よ、空の赤きは壁のごと、
詩人先生にはあつらへの名句とも
大陽の蘚苔(こけ)あり、青海の鼻涕(はな)あり。
 
エレキの光る星をあび、黒き海馬の護衛にて、
くるひただよう板小舟、それ七月は
杖ふりて燃ゆる漏斗のかたちせる
瑠璃いろの天をこぼつころ。
 
五十里のあなた、うめき泣く
河馬と鳴門の渦の発情(さかり)をききて慄(ふる)へたるわれ、
嗚呼、青き不動を永久に紡ぐもの、
昔ながらの壁にゐる欧羅巴こそかなしけれ。
 
星てる群島、島々、その狂ほしく美はしき
空はただよふもののためにひらかる、
そもこの良夜(あたらよ)の間に爾はねむり、遠のくか。
紫摩金鳥の幾百萬、ああ当来の勢力(せいりき)よ。
 
しかはあれども、われはあまりに哭きたり、あけぼのはなやまし、
月かげはすべていとはし、日はすべてにがし、
切なる戀に酔ひしれてわれは泣くなり、
竜骨よ、千々に砕けよ、われは海に死なむ。
 
もしわれ欧羅巴の水を望むとすれば、
そは冷ややかに黒き沼なり、かぐはしき夕まぐれ、
うれひに沈むをさな児が、腹つくばひてその上に
五月の蝶にさながらの笹舟を流す。
 
ああ波よ、一たび汝れが倦怠にうかんでは
綿船の水脈(みを)ひくあとを奪ひもならず、
旗と炎の驕慢を妨げもならず、
また逐船(おひぶね)の恐しき眼の下におよぎもえせじ。
 
(岩波文庫「上田敏全訳詩集」山内義雄、矢野峰人編より)
 ※新漢字に改めてあります。編者。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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