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中原中也の詩に現われる色の色々8

その1

「草稿詩篇(1933年―1936年)」の
後半部の詩に現われる「色」をひろっていきましょう。

「僕が知る」
僕の狂気は蒼ざめて硬くなる

(おまえが花のように)
淡鼠の絹の靴下穿(は)いた花のように

「大島行葵丸にて」
瞬間(しばし)浪間に唾(つば)白かったが

(秋が来た)
その上に、わびしい黄色い夕陽は落ちる。

ワットマンに描かれた淡彩、

「雲った秋」
あんまり蒼い顔しているとて、

「雲」
空の青が、少しく冷たくみえることは

「暗い公園」
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴っていた。

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
夕空は、紺青の色なりき
燈光は、貝釦の色なりき

その時よ、紺青の空!

けなげなる小馬の鼻翼 紫の雲のいろして(ああわれは おぼれたるかな)
――は、小馬の鼻翼が紫の雲の色をしているという叙述ですが
なんとも的確な目! 
小馬の鼻翼の色をこれ以外に捉えることはできない! と言えるほどに的確です。

次の
薔薇色の埃りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。(とにもかくにも春である)
――は、叙述(写実)ではなく、象徴的手法と言えますが、春の埃っぽさを「薔薇色」と捉える目の
確かさがなければ、象徴もへったくれもありません。

葉は、乾いている、ねむげな色をして(「いちじくの葉」)
――も、現実のいちじくの葉の写実の見事なこと!
乾いたいちじくの葉って、眠たそうな色をしていますよね。

「朝」は、ここでは連を丸ごとひろっておきました。

かがやかしい朝よ、
紫の、物々の影よ、
つめたい、朝の空気よ、
灰色の、甍よ、
水色の、空よ、
風よ!
――は、第1連。

風よ!
水色の、空よ、
灰色の、甍よ、
つめたい、朝の空気よ、
かがやかしい朝
紫の、物々の影よ……
――は、第3連。

紫、灰色、水色で朝は朝になったかのようです!

「悲しい歌」の
蝦茶色の憎悪がわあッと跳び出して来る。
――の「蝦茶色の憎悪」は「茶色い戦争」と同じ表現法です。
茶色い戦争といわれて分かったような気分になるように
蝦茶色の憎悪といわれて分かったような気分になります。

これは

みんな貯まっている憎悪のために、
色々な喜劇を演ずるのだ。
――と「色々な」に傍点が付けられて捕捉されます。

夕空は、紺青の色なりき 燈光は、貝釦の色なりき(「夏の夜の博覧会はかなしからずや」)や
その時よ、紺青の空!(同)
――は、叙述(写実)の色であるのに
幻想の色に変質する瞬間を見せられるかのようです。
マジックの中にいるような
色彩の錯覚を経験させられます。

その2

中原中也の詩に現われる「色」を取り出して見てきましたが
残るのは「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」と「草稿詩篇(1937年)」だけになりました。

1937年は詩人の亡くなる年です。
この年のはじめに千葉の中村古峡療養所に入退院し
退院直後に鎌倉に移り住んで詩作活動を再開。
「ボンマルシェ日記」をつけはじめ
付近に住む小林秀雄、大岡昇平、今日出海、深田久弥らと交流します。
9月には「ランボオ詩集」を翻訳・刊行し
「在りし日の歌」の清書原稿を小林秀雄に託すなど
心機一転を計画していました。
その矢先、結核性脳膜炎を発症し永眠します。

このような経過が
詩の「色」に現われるなどという研究のつもりではないことを
ふたたび申し上げておきます。

「療養日誌・千葉寺雑記(1937年)」には
(短歌5首)を1篇と数えて5篇が収録されています。
ここにに現われる「色」は2篇2か所でした――。

(丘の上サあがって、丘の上サあがって)
 緑のお碗が一つ、ふせてあった。
そのお碗にヨ、その緑のお碗に、

(短歌五首)
町々は夕陽を浴びて金の色
 きさらぎ二月冷たい金なり

最後の「草稿詩篇(1937年)」には5篇の詩が収録されていますが
ここに「色」は現われませんでした。

1937年制作の詩篇10篇のうち
「色」が現われたのは2篇でした。
この数字が「多い少ない」を言えるものではありません。
言うことも出来はしません。

晩年に「色」の現われるのが少なかったかもしれない、との
可能性があるという程度の想像は許されても
断言はできません。

そもそも残りの8篇の詩には色がないなどといえば、
そんな馬鹿なことはありません。
色のない詩なんて存在するわけがありません。
「色」に関する言葉や文字が現れなかっただけのことです。

第一、ここでは「色」それも言葉(文字)に現われたものを取り上げてきただけです。
メタファーとしての色を見れば
際限ない世界が広がっているでしょうし
「光の色々」に目を向ければ
世界の半分に目を向けることにもなりそうです。

残るは「空間」ということになり
中原中也の詩の「空間のメタファー」へと開けていってしまいます。

そのような研究は
きっと存在することでしょう。
興味ある方は探してみてください。

ここで見てきた「色」は
そんな大げさなものではなく
「色の言葉」が中原中也の詩にどれほどあるだろうか
――という素朴な疑問に答えるために
詩集のはじめから終わりまで検索してみただけのことです。

中原中也が制作した全詩370のうち
言葉・文字の形として現れた「色」のある詩は
ざっと数えてみると151篇ありました。
行ではなく詩の数です。

一つの詩の中に
「色」が多数の行にわたる場合もありますから
行で数えればこの倍近くか少なくとも5割増しにはなるかもしれません。

「音の詩人」のイメージが濃い中原中也は
すぐれて「色の詩人」であったということくらいはきっぱりと言えそうです。

 

 

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