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「白痴群」前後・幻の詩集10「冬の日」

「冬の日」は
 
ああおまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
 
――の末尾で有名な「帰郷」と同じ頃に制作(推定)されました。
 
本文中に「紙魚(たこ)」とあることから
昭和3年正月の制作と考えられています。
 
 
冬の日
 
私を愛する七十過ぎのお婆さんが、
暗い部屋で、坐って私を迎えた。
外では雀が樋(とい)に音をさせて、
冷たい白い冬の日だった。
 
ほのかな下萠(したもえ)の色をした、
風も少しは吹いているのだった、
私は自信のないことだった、
紐を結ぶような手付をしていた。
 
とぎれとぎれの口笛が聞えるのだった、
下萠の色の風が吹いて。
 
ああ自信のないことだった、
紙魚(たこ)が一つ、颺(あが)っているのだった。
 
 
この詩に2度現われる「下萠の色の風」は
「帰郷」の「吹き来る風」と同じ時期に吹いていた風ということになります。
この帰省で詩人は
何かと「風」を感じたことが想像できます。
 
 
下萠(したもえ)とは、
冬の最中に畑などに育っている草々です。
芽生えて後に育った植物が
やや青々としている状態のこと。
 
明らかに「吹き来る風」とは異なる風です。
「帰郷」の風は
詩人に向って強く吹きつける風であるのに比べて
こちらは「少しは吹いている」風です。
 
でも、同じ(時に吹いていた)風に違いないのは
第3連
とぎれとぎれの口笛が聞えるのだった、
下萠の色の風が吹いて。
――とある風が
どこからともなく聞こえてくる口笛(詩人のものかもしれません)を
とぎれとぎれにするほどの強さだったことで分かります。
 
 
この風は
天空に浮かぶ凧に吹きつけ
下から見ればのんびりと空に止まっているように見えますが
ビュービュー凧に吹きつける風です。
 
地上(畑)では「少し」吹いているのですが
凧には激しくぶつかっている風です。
 
同じ頃に
空と地上に吹いていた風ということですね。
 
 
「帰郷」の風がそうであるように
「冬の日」の風も
凧=詩人に激しくぶつかる風ですが
詩人はそれに耐えています。
 
自信はないといいながら
詩人はその風に向かって立って行くことを選んだのです。
 
その孤独が
空に浮かぶ黒一点に同化されました。
 
詩の中の風はここにきて
リアルな風であると同時に
「喩(ゆ」としての風であり
凧についても同じことが言えます。
 
リアルであり喩としての「意味」を
風も凧も持っています。
 
※紙魚(たこ)は、普通「しみ」と読みますが、「新全集」は原詩のまま載せています。このブログの解説では、凧(=たこ)としました。編者。
 
 
今回はここまでですが
「帰郷」も載せておきます。
 
 
帰 郷
 
柱も庭も乾いている
今日は好(よ)い天気だ
    椽(えん)の下では蜘蛛の巣が
    心細そうに揺れている
 
山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
    路傍(みちばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする
 
これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
    心置なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする
 
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
 
(「新編中原中也全集」より。「新かな」に改めてあります。)

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