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太陽と肉体

 
太陽、この愛と生命の家郷は、
嬉々たる大地に熱愛を注ぐ。
我等谷間に寝そべっている時に、
大地は血を湧き肉を躍らす、
その大いな胸が人に激昂させられるのは
神が愛によって、女が肉によって激昂させられる如くで、
又大量の樹液や光、
凡ゆる胚種を包蔵している。
 
一切成長、一切増進!
 
          おお美神(ヴィーナス)、おお女神!
若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神(サチール)たちを。
獣的な田野の神々(フォーヌ)を私は追惜します、
愛の小枝の樹皮をば齧(かじ)り、
金髪ニンフを埃及蓮(はす)の中にて、接唇しました彼等です。
地球の生気や河川の流れ、
樹々の血潮(ちしお)が仄紅(ほのくれない)に
牧羊神(パン)の血潮と交(まざ)り循(めぐ)った、かの頃を私は追惜します。
当時大地は牧羊神の、山羊足の下に胸ときめかし、
牧羊神が葦笛とれば、空のもと
愛の頌歌(しょうか)はほがらかに鳴渡ったものでした、
野に立って彼は、その笛に答える天地の
声々を聞いていました。
黙(もだ)せる樹々も歌う小鳥に接唇(くちづけ)し、
大地は人に接唇し、海という海
生物という生物が神のごと、情けに篤いことでした。
壮観な市々(まちまち)の中を、青銅の車に乗って
見上げるように美しかったかのシベールが、
走り廻っていたという時代を私は追惜します。
乳房ゆたかなその胸は顥気(くうき)の中に
不死の命の霊液をそそいでいました。
『人の子』は吸ったものです、よろこんでその乳房をば、
子供のように、膝にあがって。
だが『人の子』は強かったので、貞潔で、温和でありました。
 
なさけないことに、今では彼は云うのです、俺は何でも知ってると、
そして、眼(め)をつぶり、耳を塞(ふさ)いで歩くのです。
それでいて『人の子』が今では王であり、
『人の子』が今では神なのです! 『愛』こそ神であるものを!
おお! 神々と男達との大いなる母、シベールよ!
そなたの乳房をもしも男が、今でも吸うのであったなら!
昔青波(せいは)の限りなき光のさ中に顕れ給い
浪かおる御神体、泡降りかかる
紅(とき)の臍(ほぞ)をば示現し給い、
森に鶯、男の心に、愛を歌わせ給いたる
大いなる黒き瞳も誇りかのかの女神
アスタルテ、今も此の世におわしなば!
 
  Ⅱ  
 
私は御身を信じます、聖なる母よ、
海のアフロディテよ!ーー他の神がその十字架に
我等を繋ぎ給いてより、御身への道のにがいこと!
肉、大理石、花、ヴィーナス、私は御身を信じます!
そうです、『人の子』は貧しく醜い、空のもとではほんとに貧しい、
彼は衣服を着けている、何故ならもはや貞潔でない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまったのです、
気高いからだを汚いわざで
火に遇った木偶(でく)といじけさせました!
それでいて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きんとします、最初の美なぞもうないくせに!
そして御身が処女性を、ゆたかに賦与され、
神に似せてお造りなすったあの偶像、『女』は、
その哀れな魂を男に照らして貰ったおかげで
地下の牢から日の目を見るまで、
ゆるゆる暖められたおかげで、
おかげでもはや娼婦にゃなれぬ!
ーー奇妙な話! かくて世界は偉大なヴィーナスの
優しく聖なる御名(みな)に於て、ひややかに笑っている。
  Ⅲ 
 
もしかの時代が帰りもしたらば! もしかの時代が帰りもしたらば!……
だって『人の子』の時代は過ぎた、『人の子』の役目は終った。
かの時代が帰りもしたらば、その日こそ、偶像壊(こぼ)つことにも疲れ、
彼は復活するでもあろう、あの神々から解き放たれて、
天に属する者の如く、諸天を吟味しだすであろう。
理想、砕くすべなき永遠の思想、
かの肉体(にく)に棲む神性は
昇現し、額の下にて燃えるであろう。
そして、凡ゆる地域を探索する、彼を御身が見るだろう時、
諸々の古き軛(くびき)の侮蔑者にして、全ての恐怖に勝てる者、
御身は彼に聖・贖罪(しょくざい)を給うでしょう。
海の上にて荘厳に、輝く者たる御身はさて、
微笑みつつは無限の『愛』を、
世界の上に投ぜんと光臨されることでしょう。
世界は顫えることでしょう、巨大な竪琴さながらに
かぐわしき、巨(おお)いな愛撫にぞくぞくしながら……
 
ーー世界は『愛』に渇(かつ)えています。御身よそれをお鎮め下さい、
おお肉体のみごとさよ! おお素晴らしいみごとさよ!
愛の来復、黎明(よあけ)の凱旋
神々も、英雄達も身を屈め、
エロスや真白のカリピージュ
薔薇の吹雪にまよいつつ
足の下(もと)なる花々や、女達をば摘むでしょう!
 
  Ⅳ
 
おお偉大なるアリアドネ、おまえはおまえの悲しみを
海に投げ棄てたのだった、テーゼの船が
陽に燦いて、去ってゆくのを眺めつつ、
おお貞順なおまえであった、闇が傷めたおまえであった、
黒い葡萄で縁取った、金の車でリジアスが、
驃駻(ひょうかん)な虎や褐色の豹に牽かせてフリジアの
野をあちこちとさまよって、青い流に沿いながら
進んでゆけば仄暗い波も恥じ入るけはいです。
牡牛ゼウスはイウロペの裸かの身をば頸にのせ、
軽々とこそ揺すぶれば、波の中にて寒気(さむけ)する
ゼウスの丈夫なその頸(くび)に、白い腕(かいな)をイウロペは掛け、
ゼウスは彼女に送ります、悠然として秋波(ながしめ)を、
彼女はやさしい蒼ざめた自分の頬をゼウスの顔に
さしむけて眼(まなこ)を閉じて、彼女は死にます
神聖な接唇(ベーゼ)の只中に、波は音をば立ててます
その金色の泡沫(しわぶき)は、彼女の髪毛に花となる。
夾竹桃と饒舌(おしゃべり)な白蓮の間(あわい)をすべりゆく
夢みる大きい白鳥は、大変恋々(れんれん)しています、
その真っ白の羽をもてレダを胸には抱締めます、
さてヴィーナス様のお通りです、
めずらかな腰の丸みよ、反身(そりみ)になって
幅広の胸に黄金(こがね)をはれがましくも、
雪かと白いそのお腹(なか)には、まっ黒い苔が飾られて、
ヘラクレス、この調練師(ならして)は誇りかに、
獅(しし)の毛皮をゆたらかな五体に締めて、
恐(こわ)いうちにも優しい顔して、地平の方(かた)へと進みゆく!……
おぼろに照らす夏の月の、月の光に照らされて
立って夢みる裸身のもの
丈長髪も金に染み蒼ざめ重き波をなす
これぞ御存じドリアード、沈黙(しじま)の空を眺めいる……
苔も閃めく林間の空地(あきち)の中の其処にして、
肌も真白のセレネーは面(かつぎ)なびくにまかせつつ、
エンデミオンの足許に、怖ず怖ずとして、
蒼白い月の光のその中で一寸接唇(くちづけ)するのです……
泉は遐(とお)くで泣いてます うっとり和(なご)んで泣いてます……
甕(かめ)に肘をば突きまして、若くて綺麗な男をば
思っているのはかのニンフ、波もて彼を抱締める……
愛の微風は闇の中、通り過ぎます……
さてもめでたい森の中、大樹々々の凄さの中に、
立っているのは物云わぬ大理石像、神々の、
それの一つの御顔(おんかお)に鶯は塒(ねぐら)を作り、
神々は耳傾けて、『人の子』と『終わりなき世』を案じ顔。
 
〔一八七〇、五月〕
 
 
 
 

ひとくちメモ その1

中原中也訳「ランボオ詩集」の
「追加篇」APPENDICEの2番目にあるのが
「太陽と肉体」Soleil et Chairです。

まずは、どんな詩であるか
中原中也の訳を
現代表記にして読んでみましょう。
できるだけ新聞表記に近づけてみます。
末尾に原詩も掲出します。

太陽と肉体

太陽、この愛と生命のふるさとは、
喜びの大地に熱愛を注ぐ。
私たちが谷間に寝そべっている時に、
大地は血をたぎらせ肉を躍らせる、
その大きな胸が人に激賞させられるのは
神が愛によって、女が肉によって激賞させられるのと同じで、
また大量の樹液や光、
あらゆる胚種を包蔵している。

一切成長、一切増進!

          おおビーナスよ、おお女神よ!
若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神・サチュルスを。
野生の神々・フォーヌを私は懐かしみます、
愛の小枝の樹皮を齧り、
金髪ニンフを蓮の中で、口づけしました彼らです。
地球の生気や河川の流れ、
樹々の血潮が仄かな紅に
牧羊神・パンの血潮と交ざり循環した、あの頃を私は懐かしみます。
あの頃、大地は牧羊神の、山羊足の下に胸をときめかし、
牧羊神が葦笛を吹けば、空のもと
愛の頌歌はほがらかに鳴り渡ったものでした、
野に立って彼は、その笛に答える天地の
声々を聴いていました。
声を出さない樹々も歌う小鳥たちに口づけし、
大地は人に口づけし、海という海
生物という生物が神のように、情愛に満ちていました。
壮観な街の中を、青銅の車に乗って
ほれぼれするように美しかったあのシベールが、
走り回っていたという時代を私は懐かしみます。
乳房豊かなその胸は清らかな大気の中に
不死の命の精水をそそいでいました。
「人の子」は吸ったものです、よろこんでその乳房を、
子供のように、膝にあがって。
だが「人の子」は強かったので、貞潔で、温和でありました。

情けないことに、今では彼は言うのです、俺は何でも知ってると、
そして、眼をつぶり、耳を塞いで歩くのです。
それでいて「人の子」が今では王であり、
「人の子」が今では神なのです! 「愛」こそ神であるものなのに!
おお! 神々と男たちとの大いなる母、シベールよ!
あなたの乳房をもしも男が、今でも吸うのだったら!
昔、青い波の限りない光のさ中に現れなさって
波の香のする御神体、泡が降りかかる
トキ色のおへそをお示しなさって、
森に鶯、男の心に、愛を歌わせなさいまし
大いなる黒い瞳も誇らかなあの女神
アスタルテ、今もこの世におられたらなあ!

    Ⅱ

私はあなた様を信じます、聖なる母よ、
海のアフロディテよ!――ほかの神がその十字架に
わたしたちを繋ぎましてから、あなた様への道の苦しいこと!
肉、大理石、花、ビーナス、私はあなた様を信じます!
そうです、「人の子」は貧しく醜い、空のもとではほんとに貧しい、
彼は衣服を着けている、何故ならもはや貞潔じゃない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまったのです、
気高いからだを汚いわざで
火に遇った木偶と意地気させました!
それでいて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きようとします、最初の美などもうないくせに!
そしてあなた様の処女性を、ゆたかに賦与され、
神に似せてお造りなすったあの偶像、「女」は、
その哀れな魂を男に照らして貰ったおかげで
地下の牢から日の目を見るまで、
ゆるゆる暖められたおかげで、
おかげでもはや娼婦にゃなれない!
――奇妙な話! かくて世界は偉大なビーナスの
優しく聖なる御名において、冷ややかに笑っている。

     Ⅲ

もしあの時代が帰ってきたらば! もしあの時代が帰ってきたらば!……
だって「人の子」の時代は過ぎた、「人の子」の役目は終った。
あの時代が帰ってきたら、その日こそ、偶像を壊すことにも疲れ、
彼は復活するだろう、あの神々から解き放たれて、
天に属する者のように、諸神を裁定しはじめるだろう。
理想、砕けることもない永遠の思想、
あの肉体に住む神性は
出現し、額の下で燃えるだろう。
そして、あらゆる地域を探索する、彼をあなた様が見るだらう時、
諸々の古いルールの侮蔑者であり、全ての恐怖に勝つ者、
あなた様は彼に聖・贖罪をお与えになるでしょう。
海の上で荘厳に、輝く者であるあなた様はさて、
微笑みつつ無限の「愛」を、
世界の上に投げようと光臨されることでしょう。
世界は顫えることでしょう、巨大な竪琴さながらに
かぐはしく、大きな愛撫にゾクゾクしながら……

――世界は「愛」に渇えています。あなた様はそれをお鎮め下さい、
おお肉体のみごとさよ! おお素晴らしいみごとさよ!
愛の来復、黎明の凱旋
神々も、英雄たち身を屈め、
エロスや真っ白なカリピイジュ
薔薇の吹雪に迷いつつ
足の下の花々や、女たちを摘むでしょう!

    Ⅳ

おお偉大なアリアドネ、お前はお前の悲しみを
海に投げ棄てたのだった、テーゼの船が
陽に燦いて、去っていくのを眺めつつ、
おお貞順なお前であった、闇が傷めたお前であった、
黒い葡萄で縁取った、金の車でリディアスが、
驃駻な虎や褐色の豹に引かせてフリージアの
野をあちこちとさまよって、青い流れに沿いながら
進んでいけばほの暗い波も恥じ入る気配です。
牡牛ゼウスはユウロペの裸の身を頸にのせ、
軽々と揺さぶれば、波の中で寒気する
ゼウスの丈夫なその頸に、白い腕をユウロペは掛け、
ゼウスは彼女に送ります、悠然として秋波(ながしめ)を、
彼女はやさしい蒼ざめた自分の頬をゼウスの顔に
さしむけて眼を閉じて、彼女は死んでしまいます
神聖な接唇(ベエゼ)の只中に、波は音を立てています
その金色の泡沫(しはぶき)は、彼女のヘアーに花となる。
夾竹桃とおしゃべりな白蓮の間をすべりゆく
夢みる大きい白鳥は、とても恋々(れんれん)しています、
その真っ白の羽でレダを胸に抱き締めるのです、
さてビーナス様のお通りです、
めずらかな腰の丸みよ、反身(そりみ)になって
幅広の胸に黄金を晴れがましくも、
雪かと見間違える白いそのお腹には、まっ黒い苔が飾られて、
ヘラクレス、この凄腕は誇らかに、
ライオンの毛皮をゆたらか(豊満な)五体に締めて、
恐いながらも優しい顔して、地平の方へと進んでいく!……
おぼろに照らす夏の月の、月の光に照らされて
立って夢みる裸身のもの
ロングヘアーも金に染み、蒼ざめ重き波をつくる
これこそご存知アリアドネ、沈黙の空を眺めている……
苔も閃めく林間の空地の中のそこだから、
肌も真っ白のセレネーはハンカチーフが靡くにままになっていて、
エンデミオンの足元に、おずおずとして、
蒼白い月の光のその中で一寸口づけするのです……
泉は遠くで泣いています うっとり和んで泣いています……
甕に肘を突きまして、若く綺麗な男を
思っているのはあのニンフ、波で彼を抱き締める……
愛の微風は闇の中、通り過ぎます……
このようにめでたい森の中、大樹ばかりの凄さの中に、
立っているのは物言わぬ大理石像、神々の、
それの一つの御顔(おんかお)に鶯は塒を作り、
神々は耳を傾け、「人の子」と「終わりなき世」を案じ顔。
                〔1870、5月〕

なんとか
読み通せたでしょうか。
長い詩です。

ギリシア神話をモチーフにしていることが明らかです。

冒頭2行に
太陽と大地の「交合」が歌われ、
以下、4章にわたって
神々の讃歌が続きます。

 *

 太陽と肉体

太陽、この愛と生命の家郷は、
嬉々たる大地に熱愛を注ぐ。
我等谷間に寝そべつてゐる時に、
大地は血を湧き肉を躍らす、
その大いな胸が人に激昂させられるのは
神が愛によつて、女が肉によつて激昂させられる如くで、
又大量の樹液や光、
凡ゆる胚種を包蔵してゐる。

一切成長、一切増進!

          おゝ美神(ヹニュス)、おゝ女神!
若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神(サチール)たちを。
獣的な田野の神々(フォーヌ)を私は追惜します、
愛の小枝の樹皮をば齧り、
金髪ニンフを埃及蓮(はす)の中にて、接唇しました彼等です。
地球の生気や河川の流れ、
樹々の血潮(ちしほ)が仄紅(ほのくれなゐ)に
牧羊神(パン)の血潮と交(まざ)り循(めぐ)つた、かの頃を私は追惜します。
当時大地は牧羊神の、山羊足の下に胸ときめかし、
牧羊神が葦笛とれば、空のもと
愛の頌歌はほがらかに鳴渡つたものでした、
野に立つて彼は、その笛に答へる天地の
声々をきいてゐました。
黙(もだ)せる樹々も歌ふ小鳥に接唇(くちづけ)し、
大地は人に接唇し、海といふ海
生物といふ生物が神のごと、情けに篤いことでした。
壮観な市々(まちまち)の中を、青銅の車に乗つて
見上げるやうに美しかつたかのシベールが、
走り廻つてゐたといふ時代を私は追惜します。
乳房ゆたかなその胸は顥気の中に
不死の命の霊液をそゝいでゐました。
『人の子』は吸つたものです、よろこんでその乳房をば、
子供のやうに、膝にあがつて。
だが『人の子』は強かつたので、貞潔で、温和でありました。

なさけないことに、今では彼は云ふのです、俺は何でも知つてると、
そして、眼(め)をつぶり、耳を塞いで歩くのです。
それでゐて『人の子』が今では王であり、
『人の子』が今では神なのです! 『愛』こそ神であるものを!
おゝ! 神々と男達との大いなる母、シベールよ!
そなたの乳房をもしも男が、今でも吸ふのであつたなら!
昔青波(せいは)の限りなき光のさ中に顕れ給ひ
浪かをる御神体、泡降りかゝる
紅(とき)の臍(ほぞ)をば示現し給ひ、
森に鶯、男の心に、愛を歌はせ給ひたる
大いなる黒き瞳も誇りかのかの女神
アスタルテ、今も此の世におはしなば!

    Ⅱ

私は御身を信じます、聖なる母よ、
海のアフロヂテよ!――他の神がその十字架に
我等を繋ぎ給ひてより、御身への道のにがいこと!
肉、大理石、花、ヹニュス、私は御身を信じます!
さうです、『人の子』は貧しく醜い、空のもとではほんとに貧しい、
彼は衣服を着けてゐる、何故ならもはや貞潔でない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまつたのです、
気高いからだを汚いわざで
火に遇つた木偶(でく)といぢけさせました!
それでゐて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きんとします、最初の美なぞもうないくせに!
そして御身が処女性を、ゆたかに賦与され、
神に似せてお造りなすつたあの偶像、『女』は、
その哀れな魂を男に照らして貰つたおかげで
地下の牢から日の目を見るまで、
ゆるゆる暖められたおかげで、
おかげでもはや娼婦にやなれぬ!
――奇妙な話! かくて世界は偉大なヹニュスの
優しく聖なる御名(みな)に於て、ひややかに笑つてゐる。

     Ⅲ

もしかの時代が帰りもしたらば! もしかの時代が帰りもしたらば!……
だつて『人の子』の時代は過ぎた、『人の子』の役目は終つた。
かの時代が帰りもしたらば、その日こそ、偶像壊(こぼ)つことにも疲れ、
彼は復活するでもあらう、あの神々から解き放たれて、
天に属する者の如く、諸天を吟味しだすであらう。
理想、砕くすべなき永遠の思想、
かの肉体(にく)に棲む神性は
昇現し、額の下にて燃えるであらう。
そして、凡ゆる地域を探索する、彼を御身が見るだらう時、
諸々の古き軛の侮蔑者にして、全ての恐怖に勝てる者、
御身は彼に聖・贖罪を給ふでせう。
海の上にて荘厳に、輝く者たる御身はさて、
微笑みつゝは無限の『愛』を、
世界の上に投ぜんと光臨されることでせう。
世界は顫へることでせう、巨大な竪琴さながらに
かぐはしき、巨(おほ)いな愛撫にぞくぞくしながら……

――世界は『愛』に渇(かつ)ゑてゐます。御身よそれをお鎮め下さい、
おゝ肉体のみごとさよ! おゝ素晴らしいみごとさよ!
愛の来復、黎明(よあけ)の凱旋
神々も、英雄達も身を屈め、
エロスや真白のカリピイジュ
薔薇の吹雪にまよひつゝ
足の下(もと)なる花々や、女達をば摘むでせう!

    Ⅳ

おゝ偉大なるアリアドネ、おまへはおまへの悲しみを
海に投げ棄てたのだつた、テエゼの船が
陽に燦いて、去つてゆくのを眺めつつ、
おゝ貞順なおまへであつた、闇が傷めたおまへであつた、
黒い葡萄で縁取つた、金の車でリジアスが、
驃駻な虎や褐色の豹に牽かせてフリジアの
野をあちこちとさまよつて、青い流に沿ひながら
進んでゆけば仄暗い波も恥ぢ入るけはひです。
牡牛ゼウスはイウロペの裸かの身をば頸にのせ、
軽々とこそ揺すぶれば、波の中にて寒気(さむけ)する
ゼウスの丈夫なその頸(くび)に、白い腕(かひな)をイウロペは掛け、
ゼウスは彼女に送ります、悠然として秋波(ながしめ)を、
彼女はやさしい蒼ざめた自分の頬をゼウスの顔に
さしむけて眼(まなこ)を閉ぢて、彼女は死にます
神聖な接唇(ベエゼ)の只中に、波は音をば立ててます
その金色の泡沫(しはぶき)は、彼女の髪毛に花となる。
夾竹桃と饒舌(おしやべり)な白蓮の間(あはひ)をすべりゆく
夢みる大きい白鳥は、大変恋々(れんれん)してゐます、
その真つ白の羽をもてレダを胸には抱締めます、
さてヹニュス様のお通りです、
めづらかな腰の丸みよ、反身(そりみ)になつて
幅広の胸に黄金(こがね)をはれがましくも、
雪かと白いそのお腹(なか)には、まつ黒い苔が飾られて、
ヘラクレス、この調練師(ならして)は誇りかに、
獅の毛皮をゆたらかな五体に締めて、
恐(こは)いうちにも優しい顔して、地平の方(かた)へと進みゆく!……
おぼろに照らす夏の月の、月の光に照らされて
立つて夢みる裸身のもの
丈長髪も金に染み蒼ざめ重き波をなす
これぞ御存じアリアドネ、沈黙(しじま)の空を眺めゐる……
苔も閃めく林間の空地(あきち)の中の其処にして、
肌も真白のセレネエは面帕(かつぎ)なびくにまかせつつ、
エンデミオンの足許に、怖づ怖づとして、
蒼白い月の光のその中で一寸接唇(くちづけ)するのです……
泉は遐くで泣いてます うつとり和(なご)んで泣いてます……
甕に肘をば突きまして、若くて綺麗な男をば
思つてゐるのはかのニンフ、波もて彼を抱締める……
愛の微風は闇の中、通り過ぎます……
さてもめでたい森の中、大樹々々の凄さの中に、
立つてゐるのは物云はぬ大理石像、神々の、
それの一つの御顔(おんかほ)に鶯は塒(ねぐら)を作り、
神々は耳傾けて、『人の子』と『終わりなき世』を案じ顔。
                〔一八七〇、五月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。また、節を
示すギリシア数字は、一部、現代表記にしました。
※本文中の「驃駻」の「駻」は、原作では「馬へん」に「干」です。編者。

ひとくちメモ その2

中原中也訳「太陽と肉体」Soleil et Chairは
ギリシア・ローマ神話を直接のモチーフにしているので
その知識が多少要ることになりますから
ここでくじけてしまうと
もう先へ進めませんが
体系的に全てを分かろうとしても無理な話なので
この詩に現れる「神々」「英雄」の
アウトラインくらいは知っておくことにすればよいことにしましょう。

イザナギ・イザナミや
ヤマタノオロチや
スサノオノミコトなどのアウトラインを日本人が知っているように
西欧人なら
ギリシア、ローマ神話からキリスト以後の
神々や神や英雄について親しいのは当たり前です。

日本にも
ギリシア・ローマの神話や伝説は
結構、伝わっているので
一度くらいはどこかで聞いたことのある名前が多く
ランボーがそれほど遠くにいるわけではありませんが
それは「知識上のこと」で
実際の生活の中に
「神」やキリストやゼウスやヘラクレスらが浸透している「実感」は
想像できません。

ランボーが「キリスト」と言ったときに
日本人は「知識」としてのキリストを理解できても
「実感」としてのキリストを理解することはできず
ランボーのキリストを想像することしかできません。

これは、信仰の話のことではありません。
信仰と無関係ではないにしても
今ここで言っているのは
信仰とは別のことです。

フォーヌとか
ニンフとか
ヘラクレスとかについても
そのようなことが言えるのかもしれないことは
一応押さえておいた上で
「太陽と肉体」に登場する
神々・英雄をざっと見てみますと――

ビーナス
サチュルス
フォーヌ
ニンフ
パン
シベール
アスタルテ
アフロディテ
エロス
アリアドネ
テーゼ(ウス)
リディアス
ゼウス
ユウロペ
レダ
ヘラクレス
セレネー
エンデミオン
……

これくらいです。

これらの神々や英雄が
「太陽と肉体」の中で
どのように描かれ歌われているか――

「太陽と肉体」という詩を味わうには
これらの神々や英雄が
どのような活躍をし
どのような悲劇や武勇伝やドラマを演じたかを理解すればよいということではなく
これらの神々や英雄が
どのように歌われているか
どのように描かれているかを知れば十分です。

ランボーは
どのように歌ったのか
それが一番です。

さて、詩に戻れば、
冒頭で
太陽と大地の「交合」が歌われたのに続いて、
以下、延々と神々や英雄の讃歌になっているのが
この詩であることが分かります。

ひとくちメモ その3

中原中也訳「太陽と肉体」Soleil et Chairに登場する

ビーナス
サチュルス
フォーヌ
ニンフ
パン
シベール
アスタルテ★
アフロディテ
エロス
アリアドネ
テーゼ(ウス)
リディアス★
ゼウス
ユウロペ
レダ
ヘラクレス
セレネー★
エンデミオン★
……

――のうち、
聞き慣れない
神々・英雄はどれほどありますか?

もちろん、
人によって差があることですが
聞き慣れないと想像できるのは
★の付いた神々・英雄あたりで
ほかは、どこかで聞いた覚えがある名前のはずです。

ここで手っ取り早く
これらの神々・英雄について
「新編中原中也全集」の語註や
金子光晴や粟津則雄の注釈を借りて
おさらいしておきましょう。

ビーナス ミューズ(美神)のこと。
サチール サチュルス。半人半山羊神。酒神ディオニュソスの仲間。逆立った髪、とがった耳、額に2本の角、山羊の脚の姿がポピュラーです。
フォーヌ 牧神。半獣神。「田野の神々」と中原中也は訳し、振り仮名を「フォーヌ」としています。
ニンフ 森や山、水の精。海のニンフはオレアアード、野のニンフはナッペー、森のニンフはドリアードなどと呼ばれています。
パン 牧羊神。
シベール 古代小アジアの大地女神キュベレー。
アスタルテ シリアの豊穣多産の女神。アフロディテーとよく同一視されます。
アフロディテー アフロヂテ。愛と美と豊穣の女神。ローマ神話では、ビーナス。
エロス 愛の神。
カリビイジュ 「尻の美しい」という意味。ビーナス(アフロディテー)の形容として使われています。
アリアドネ クレタ島に住むミノス王の娘。島を訪れたテーゼウスを恋し、妻となる約束をして、ラビリントス(迷宮)を案内し、怪獣ミノタウロスを退治するのを助けたが、テーゼウスに置き去りにされます。
テーゼ(ウス) アテナイの英雄。
リディアス ディオニュソスの別名。テーゼウスに捨てられたアリアドネに恋し、妻としました。酒の神としても有名。
ゼウス ギリシア神話の最高神。牡牛ゼウスとあるのは、ユウロペに恋したゼウスが、牡牛に姿を変えて近づいた時の姿を表わします。
ユウロペ エウロペともイウロペとも訳されます。ゼウスと交わって、ミノス、ラダマンテュスを生んだ。
レダ 白鳥に変身したゼウスと交わって、ヘレネらを生みました。
ヘラクレス 怪力で有名なギリシア神話の英雄。
ドリアード 森の精。ニンフ。
セレネー 月の女神。アルテミスと同一視されることが多い。
エンデミオン 美青年で、セレネーに恋され、天上から降りたセレネーと夜な夜な交わったエピソードがあります。

ひとくちメモ その4

ランボーの「太陽と肉体」Soleil et Chairは、
ギリシア・ローマ神話の時代を賛美する詩句(中原中也は「追惜する」と翻訳)に満ちていますが
では、この詩がギリシア・ローマ神話への
単なる「讃歌=オマージュ」であるかというと
そうではなさそうなところに読み応えがあります。

詩の第1章の末尾から第2章のはじまりに
「人の子」が登場します、

『人の子』は吸つたものです、よろこんでその乳房をば、
子供のやうに、膝にあがつて。
だが『人の子』は強かつたので、貞潔で、温和でありました。

なさけないことに、今では彼は云ふのです、俺は何でも知つてると、
そして、眼(め)をつぶり、耳を塞いで歩くのです。
それでゐて『人の子』が今では王であり、
『人の子』が今では神なのです! 『愛』こそ神であるものを!

――というあたりで
神々や英雄の時代に変化が兆し
輝かしい時代に異変が起きたことが歌われます。

その原因が「人の子」です。
「人の子」とは何か――。
読み進めると、

続くⅡ(第2章)では、

他の神がその十字架に
我等を繋ぎ給ひてより、御身への道のにがいこと!

――と、「他の神」が「我等」を「十字架に繋ぎ」、
「御身」=聖なる母、海のアフロディテへの道に
苦難が生じたことが歌われます。
そして、

さうです、『人の子』は貧しく醜い、空のもとではほんとに貧しい、
彼は衣服を着けてゐる、何故ならもはや貞潔でない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまつたのです、
気高いからだを汚いわざで
火に遇つた木偶(でく)といぢけさせました!
それでゐて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きんとします、最初の美なぞもうないくせに!
そして御身が処女性を、ゆたかに賦与され、
神に似せてお造りなすつたあの偶像、『女』は、
その哀れな魂を男に照らして貰つたおかげで
地下の牢から日の目を見るまで、
ゆるゆる暖められたおかげで、
おかげでもはや娼婦にやなれぬ!
――奇妙な話! かくて世界は偉大なヹニュスの
優しく聖なる御名(みな)に於て、ひややかに笑つてゐる。

――と「人の子」の仕業への非難が繰り広げられます。

彼は衣服を着けてゐる、
何故ならもはや貞潔でない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまつたのです、

彼は衣服というものを着ている、
どうしてかというと、
彼らは貞潔ではなくなってしまったからなのです、
至上のものであった身体を汚してしまったから、
それを隠さねければならなくなったのです、

さらに、

それでゐて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きんとします、最初の美なぞもうないくせに!

それでいて、死んだ後も、その蒼ざめた死体の中に
生きようとします、最初にはあった美など、もうないクセに!

――と、どうやら、これは
「蘇り=よみがえり」を主張する「人間」のこと、
キリストの行いを指していることが見えてきます。

古代ギリシア神話の時代から
ヘレニズム世界を経て
キリスト教の文化一色になる中世へ。

「太陽と肉体」には
ヨーロッパ史を始原にさかのぼってのキリスト批判と
古代ギリシア・ローマ神話へのオマージュとが
光と影になって歌われていることが見えてきます。

ひとくちメモ その5

中原中也訳の「太陽と肉体」Soleil et Chairについては、
一つは、西条八十の研究を読み、
次に、最近の研究成果を読んで
中原中也の訳を味わえば
初歩的な鑑賞としては十分でしょうか――。

という角度で、まず、西条八十の発言に
耳を傾けてみましょう。

西条八十が「アルチュール・ランボオ研究」を刊行したのは
昭和40年(1965)ですが
ランボーへの取り組みは昭和初期に始め
昭和13年には
「酔ひどれの舟 Le Bateau ivre」の本邦初訳を手がけたことで知られる
友人・柳沢健とともにシャルルビル(ランボーの生地)を訪ねましたし
その後も継続的に研究は続けられましたが
戦後に、ブイヤーヌ・ド・ラコスト版が公刊されたのを機に
勉強をし直すために、再びパリを訪れたりした
長い長い研究の成果が詰まっているものです。

「太陽と肉体」についての言及が
いつ書かれたかははっきりしませんが
おそらくは戦後のもので
同書「第2部 革命とランボオ」中の第4章「初期詩篇の総瞰」に
「進んで、おのれがキリスト教徒であることへの反逆――洗礼の否認」を
歌った詩として
「最初の聖体拝受」や「正義の人」と同じグループに分類し、

カトリック教の篤信家である母親ヴィタリイの手で育てられ、十二歳の最初の聖体拝受の頃は、寺院で子供たちが聖水を弄ぶのを見てさえ冒涜の怒りに燃えて打ち掛ったという彼に、なぜ反神思想が生まれたか。その主なる原因のひとつは、曩にも述べた通り、ランボオの齢が長ずるにつれ、母親ヴィタリイに幻滅を感じたことに在った。温厚な妹イザベルも、また、ドラエー、ピエルカンらの竹馬の友たちも口を揃えて伝えるこのカトリックの母親の、あまりにも峻酷な家庭教育は、この少年に何よりも既成宗教の神を呪わせてしまった。ランボオは、カトリックの信仰が、人間の偏狭、頑迷、貪欲等の諸欠点を改善しないこと、そうしてすべての人間に、決して幸福を齎さない実例を自身の母親において見たのであった。

それから、読書の影響――殊にドゥラエーが指摘しているルクレティウスの思想も、この点でランボオに影響している。ラテン語を自由に読んだランボオは、この詩人哲学者から、宇宙摂理の神を無用物と見、人間の生活が宗教の下にまったく押しひしがれている、という考え方を学び取ったのだ。

――と、こんなふうに書いています。

「反キリスト教思想」と
「進んで、おのれがキリスト教徒であることへの反逆――洗礼の否認」とを
西条八十は分けて考えていますが
キリスト教批判に違いはなく
「太陽と肉体」が作られたのは
①母ヴィタリーへの幻滅
②ルクレチウスの思想の影響
――の二つの方向からというものです。

さて、最近の研究ですが
一般読者が入手しやすいのが文庫本で
文庫本の中でも
作品個々への脚注・語註が充実しているのが
宇佐美斉訳の「ランボー全詩集」(ちくま文庫)ということになり、
「太陽と肉体」についても
宇佐美訳は、短い脚注の中に
最新のランボー学を踏まえた読みを
要点を押さえて案内していますので
こちらも紹介しておきましょう――。

父なる太陽と母なる大地とが睦み合うエロスと調和の世界を高らかに歌いあげる。こうしたパガニスム、すなわちキリスト教から見て異教であるところの古代ギリシア・ローマの神々への讃歌は、言うまでもなくランボーの独創ではない。ルクレティウスやウェギリウスなどのラテン作家を始めとして、シェニエ、ゴーチエ、ユゴールコント・ド・リール、パンヴィル、ボードレール、ミュッセ等の近代フランス詩人にいたる様々な詩人の作品に範を求めたものであることは、諸家の指摘する通りである。

けれども初期詩篇から『イリュミナシオン』にまで一貫する詩人に固有のテーマ、つまり古代回帰の不可能性を知悉しつつ反近代の楽園を志向せずにはいられないというアイロニーが、ここにはすでに鮮明に打ち出されていることを見逃すべきではないだろう。

第二部冒頭に見られる反キリスト教の立場(「ああ 行路は辛いものになった・あの別の‘神’がわれわれを彼の十字架につないでからは」)や、パンヴィル宛書簡において追加された部分に見られる反近代・反人間中心主義の思想(「私たちの青ざめた理性が私たちの眼から無限をおおい隠している」、「‘懐疑’という陰気な鳥がその翼で私たちを打つ」等)は、文明批評としてのこの作品の射程をも標示していると見ていいからである。
※「ランボー全詩集」(ちくま文庫)脚注より

二つの異なる読みを紹介しましたが
中原中也の訳が
どちらの読み方を通じても読める、というところに気づかれましたか?

中原中也の訳が
西条八十の研究や
宇佐美斉の研究を読んだ後でも
いっこうに色褪せない鮮度を持っていることに
驚かないではいられません。

その理由もまた明白で
中原中也が
ランボーの原詩を真芯で捉え
読み外していないということを証明するものです。

ひとくちメモ その6 

中原中也訳の「ランボオ詩集」は、
講談社文芸文庫の「中原中也全訳詩集」(1990年第1刷)が
最も手近かにあり
「ポケット詩集」の名にふさわしいものであることから
当ブログもここから引用していますが、
同文庫は
1968年発行の「中原中也全集」第5巻を底本としているために
「新編中原中也全集」よりも前の編集・校訂になっています。

いわゆる「旧全集」に依拠しているため
最新の研究成果が洩れているケースがあり、
「太陽と肉体」にも
幾つかの校訂が反映されていません。

原詩の鑑賞(読み)に支障があるものではありませんが
ギリシア・ローマ神話にちなんだ「太陽と肉体」は
用語の解釈の比重が比較的大きく
語註を付しての鑑賞が求められたため
「角川新全集」、金子光晴訳、粟津則雄訳などの語註を借りて案内しましたが、
ここでやや混乱が生じました。

たとえば、
第4章に現れる「アリアドネ」。
講談社文庫版では、
第1行と第30行と2度登場しますが
第30行の「アリアドネ」は、「ドリアードDryade」(ニンフの仲間で森の精)、
また、第40行に「鶯」とあるのは、「鷽・うそbouvreuil」が適正とされ、
「新全集」では校訂されています。

第4章の校訂を行った
中原中也訳「太陽と肉体」の全文を
現代表記と原作の歴史的表記とで掲出しておきます。

太陽と肉体

太陽、この愛と生命のふるさとは、
喜びの大地に熱愛を注ぐ。
私たちが谷間に寝そべっている時に、
大地は血をたぎらせ肉を躍らせる、
その大きな胸が人に激賞させられるのは
神が愛によって、女が肉によって激賞させられるのと同じで、
また大量の樹液や光、
あらゆる胚種を包蔵している。

一切成長、一切増進!

          おおビーナスよ、おお女神よ!
若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神・サチュルスを。
野生の神々・フォーヌを私は懐かしみます、
愛の小枝の樹皮を齧り、
金髪ニンフを蓮の中で、口づけしました彼らです。
地球の生気や河川の流れ、
樹々の血潮が仄かな紅に
牧羊神・パンの血潮と交ざり循環した、あの頃を私は懐かしみます。
あの頃、大地は牧羊神の、山羊足の下に胸をときめかし、
牧羊神が葦笛を吹けば、空のもと
愛の頌歌はほがらかに鳴り渡ったものでした、
野に立って彼は、その笛に答える天地の
声々を聴いていました。
声を出さない樹々も歌う小鳥たちに口づけし、
大地は人に口づけし、海という海
生物という生物が神のように、情愛に満ちていました。
壮観な街の中を、青銅の車に乗って
ほれぼれするように美しかったあのシベールが、
走り回っていたという時代を私は懐かしみます。
乳房豊かなその胸は清らかな大気の中に
不死の命の精水をそそいでいました。
「人の子」は吸ったものです、よろこんでその乳房を、
子供のように、膝にあがって。
だが「人の子」は強かったので、貞潔で、温和でありました。

情けないことに、今では彼は言うのです、俺は何でも知ってると、
そして、眼をつぶり、耳を塞いで歩くのです。
それでいて「人の子」が今では王であり、
「人の子」が今では神なのです! 「愛」こそ神であるものなのに!
おお! 神々と男たちとの大いなる母、シベールよ!
あなたの乳房をもしも男が、今でも吸うのだったら!
昔、青い波の限りない光のさ中に現れなさって
波の香のする御神体、泡が降りかかる
トキ色のおへそをお示しなさって、
森に鶯、男の心に、愛を歌わせなさいまし
大いなる黒い瞳も誇らかなあの女神
アスタルテ、今もこの世におられたらなあ!

    Ⅱ

私はあなた様を信じます、聖なる母よ、
海のアフロディテよ!――ほかの神がその十字架に
わたしたちを繋ぎましてから、あなた様への道の苦しいこと!
肉、大理石、花、ビーナス、私はあなた様を信じます!
そうです、「人の子」は貧しく醜い、空のもとではほんとに貧しい、
彼は衣服を着けている、何故ならもはや貞潔じゃない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまったのです、
気高いからだを汚いわざで
火に遇った木偶と意地気させました!
それでいて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きようとします、最初の美などもうないくせに!
そしてあなた様の処女性を、ゆたかに賦与され、
神に似せてお造りなすったあの偶像、「女」は、
その哀れな魂を男に照らして貰ったおかげで
地下の牢から日の目を見るまで、
ゆるゆる暖められたおかげで、
おかげでもはや娼婦にゃなれない!
――奇妙な話! かくて世界は偉大なビーナスの
優しく聖なる御名において、冷ややかに笑っている。

     Ⅲ

もしあの時代が帰ってきたらば! もしあの時代が帰ってきたらば!……
だって「人の子」の時代は過ぎた、「人の子」の役目は終った。
あの時代が帰ってきたら、その日こそ、偶像を壊すことにも疲れ、
彼は復活するだろう、あの神々から解き放たれて、
天に属する者のように、諸神を裁定しはじめるだろう。
理想、砕けることもない永遠の思想、
あの肉体に住む神性は
出現し、額の下で燃えるだろう。
そして、あらゆる地域を探索する、彼をあなた様が見るだらう時、
諸々の古いルールの侮蔑者であり、全ての恐怖に勝つ者、
あなた様は彼に聖・贖罪をお与えになるでしょう。
海の上で荘厳に、輝く者であるあなた様はさて、
微笑みつつ無限の「愛」を、
世界の上に投げようと光臨されることでしょう。
世界は顫えることでしょう、巨大な竪琴さながらに
かぐはしく、大きな愛撫にゾクゾクしながら……

――世界は「愛」に渇えています。あなた様はそれをお鎮め下さい、
おお肉体のみごとさよ! おお素晴らしいみごとさよ!
愛の来復、黎明の凱旋
神々も、英雄たち身を屈め、
エロスや真っ白なカリピイジュ
薔薇の吹雪に迷いつつ
足の下の花々や、女たちを摘むでしょう!

    Ⅳ

おお偉大なアリアドネ、お前はお前の悲しみを
海に投げ棄てたのだった、テーゼの船が
陽に燦いて、去っていくのを眺めつつ、
おお貞順なお前であった、闇が傷めたお前であった、
黒い葡萄で縁取った、金の車でリディアスが、
驃駻な虎や褐色の豹に引かせてフリージアの
野をあちこちとさまよって、青い流れに沿いながら
進んでいけばほの暗い波も恥じ入る気配です。
牡牛ゼウスはユウロペの裸の身を頸にのせ、
軽々と揺さぶれば、波の中で寒気する
ゼウスの丈夫なその頸に、白い腕をユウロペは掛け、
ゼウスは彼女に送ります、悠然として秋波(ながしめ)を、
彼女はやさしい蒼ざめた自分の頬をゼウスの顔に
さしむけて眼を閉じて、彼女は死んでしまいます
神聖な接唇(ベエゼ)の只中に、波は音を立てています
その金色の泡沫(しはぶき)は、彼女のヘアーに花となる。
夾竹桃とおしゃべりな白蓮の間をすべりゆく
夢みる大きい白鳥は、とても恋々(れんれん)しています、
その真っ白の羽でレダを胸に抱き締めるのです、
さてビーナス様のお通りです、
めずらかな腰の丸みよ、反身(そりみ)になって
幅広の胸に黄金を晴れがましくも、
雪かと見間違える白いそのお腹には、まっ黒い苔が飾られて、
ヘラクレス、この凄腕は誇らかに、
ライオンの毛皮をゆたらか(豊満な)五体に締めて、
恐いながらも優しい顔して、地平の方へと進んでいく!……
おぼろに照らす夏の月の、月の光に照らされて
立って夢みる裸身のもの
ロングヘアーも金に染み、蒼ざめ重き波をつくる
これこそご存知ドリアード、沈黙の空を眺めている……
苔も閃めく林間の空地の中のそこだから、
肌も真っ白のセレネーはハンカチーフが靡くにままになっていて、
エンデミオンの足元に、おずおずとして、
蒼白い月の光のその中で一寸口づけするのです……
泉は遠くで泣いています うっとり和んで泣いています……
甕に肘を突きまして、若く綺麗な男を
思っているのはあのニンフ、波で彼を抱き締める……
愛の微風は闇の中、通り過ぎます……
このようにめでたい森の中、大樹ばかりの凄さの中に、
立っているのは物言わぬ大理石像、神々の、
それの一つの御顔(おんかお)に鷽(うそ)は塒を作り、
神々は耳を傾け、「人の子」と「終わりなき世」を案じ顔。
                〔1870、5月〕

 *

 太陽と肉体

太陽、この愛と生命の家郷は、
嬉々たる大地に熱愛を注ぐ。
我等谷間に寝そべつてゐる時に、
大地は血を湧き肉を躍らす、
その大いな胸が人に激昂させられるのは
神が愛によつて、女が肉によつて激昂させられる如くで、
又大量の樹液や光、
凡ゆる胚種を包蔵してゐる。

一切成長、一切増進!

          おゝ美神(ヹニュス)、おゝ女神!
若々しい古代の時を、放逸な半人半山羊神(サチール)たちを。
獣的な田野の神々(フォーヌ)を私は追惜します、
愛の小枝の樹皮をば齧り、
金髪ニンフを埃及蓮(はす)の中にて、接唇しました彼等です。
地球の生気や河川の流れ、
樹々の血潮(ちしほ)が仄紅(ほのくれなゐ)に
牧羊神(パン)の血潮と交(まざ)り循(めぐ)つた、かの頃を私は追惜します。
当時大地は牧羊神の、山羊足の下に胸ときめかし、
牧羊神が葦笛とれば、空のもと
愛の頌歌はほがらかに鳴渡つたものでした、
野に立つて彼は、その笛に答へる天地の
声々をきいてゐました。
黙(もだ)せる樹々も歌ふ小鳥に接唇(くちづけ)し、
大地は人に接唇し、海といふ海
生物といふ生物が神のごと、情けに篤いことでした。
壮観な市々(まちまち)の中を、青銅の車に乗つて
見上げるやうに美しかつたかのシベールが、
走り廻つてゐたといふ時代を私は追惜します。
乳房ゆたかなその胸は顥気の中に
不死の命の霊液をそゝいでゐました。
『人の子』は吸つたものです、よろこんでその乳房をば、
子供のやうに、膝にあがつて。
だが『人の子』は強かつたので、貞潔で、温和でありました。

なさけないことに、今では彼は云ふのです、俺は何でも知つてると、
そして、眼(め)をつぶり、耳を塞いで歩くのです。
それでゐて『人の子』が今では王であり、
『人の子』が今では神なのです! 『愛』こそ神であるものを!
おゝ! 神々と男達との大いなる母、シベールよ!
そなたの乳房をもしも男が、今でも吸ふのであつたなら!
昔青波(せいは)の限りなき光のさ中に顕れ給ひ
浪かをる御神体、泡降りかゝる
紅(とき)の臍(ほぞ)をば示現し給ひ、
森に鶯、男の心に、愛を歌はせ給ひたる
大いなる黒き瞳も誇りかのかの女神
アスタルテ、今も此の世におはしなば!

    Ⅱ

私は御身を信じます、聖なる母よ、
海のアフロヂテよ!――他の神がその十字架に
我等を繋ぎ給ひてより、御身への道のにがいこと!
肉、大理石、花、ヹニュス、私は御身を信じます!
さうです、『人の子』は貧しく醜い、空のもとではほんとに貧しい、
彼は衣服を着けてゐる、何故ならもはや貞潔でない、
何故なら至上の肉体を彼は汚してしまつたのです、
気高いからだを汚いわざで
火に遇つた木偶(でく)といぢけさせました!
それでゐて死の後までも、その蒼ざめた遺骸の中に
生きんとします、最初の美なぞもうないくせに!
そして御身が処女性を、ゆたかに賦与され、
神に似せてお造りなすつたあの偶像、『女』は、
その哀れな魂を男に照らして貰つたおかげで
地下の牢から日の目を見るまで、
ゆるゆる暖められたおかげで、
おかげでもはや娼婦にやなれぬ!
――奇妙な話! かくて世界は偉大なヹニュスの
優しく聖なる御名(みな)に於て、ひややかに笑つてゐる。

     Ⅲ

もしかの時代が帰りもしたらば! もしかの時代が帰りもしたらば!……
だつて『人の子』の時代は過ぎた、『人の子』の役目は終つた。
かの時代が帰りもしたらば、その日こそ、偶像壊(こぼ)つことにも疲れ、
彼は復活するでもあらう、あの神々から解き放たれて、
天に属する者の如く、諸天を吟味しだすであらう。
理想、砕くすべなき永遠の思想、
かの肉体(にく)に棲む神性は
昇現し、額の下にて燃えるであらう。
そして、凡ゆる地域を探索する、彼を御身が見るだらう時、
諸々の古き軛の侮蔑者にして、全ての恐怖に勝てる者、
御身は彼に聖・贖罪を給ふでせう。
海の上にて荘厳に、輝く者たる御身はさて、
微笑みつゝは無限の『愛』を、
世界の上に投ぜんと光臨されることでせう。
世界は顫へることでせう、巨大な竪琴さながらに
かぐはしき、巨(おほ)いな愛撫にぞくぞくしながら……

――世界は『愛』に渇(かつ)ゑてゐます。御身よそれをお鎮め下さい、
おゝ肉体のみごとさよ! おゝ素晴らしいみごとさよ!
愛の来復、黎明(よあけ)の凱旋
神々も、英雄達も身を屈め、
エロスや真白のカリピイジュ
薔薇の吹雪にまよひつゝ
足の下(もと)なる花々や、女達をば摘むでせう!

    Ⅳ

おゝ偉大なるアリアドネ、おまへはおまへの悲しみを
海に投げ棄てたのだつた、テエゼの船が
陽に燦いて、去つてゆくのを眺めつつ、
おゝ貞順なおまへであつた、闇が傷めたおまへであつた、
黒い葡萄で縁取つた、金の車でリジアスが、
驃駻な虎や褐色の豹に牽かせてフリジアの
野をあちこちとさまよつて、青い流に沿ひながら
進んでゆけば仄暗い波も恥ぢ入るけはひです。
牡牛ゼウスはイウロペの裸かの身をば頸にのせ、
軽々とこそ揺すぶれば、波の中にて寒気(さむけ)する
ゼウスの丈夫なその頸(くび)に、白い腕(かひな)をイウロペは掛け、
ゼウスは彼女に送ります、悠然として秋波(ながしめ)を、
彼女はやさしい蒼ざめた自分の頬をゼウスの顔に
さしむけて眼(まなこ)を閉ぢて、彼女は死にます
神聖な接唇(ベエゼ)の只中に、波は音をば立ててます
その金色の泡沫(しはぶき)は、彼女の髪毛に花となる。
夾竹桃と饒舌(おしやべり)な白蓮の間(あはひ)をすべりゆく
夢みる大きい白鳥は、大変恋々(れんれん)してゐます、
その真つ白の羽をもてレダを胸には抱締めます、
さてヹニュス様のお通りです、
めづらかな腰の丸みよ、反身(そりみ)になつて
幅広の胸に黄金(こがね)をはれがましくも、
雪かと白いそのお腹(なか)には、まつ黒い苔が飾られて、
ヘラクレス、この調練師(ならして)は誇りかに、
獅の毛皮をゆたらかな五体に締めて、
恐(こは)いうちにも優しい顔して、地平の方(かた)へと進みゆく!……
おぼろに照らす夏の月の、月の光に照らされて
立つて夢みる裸身のもの
丈長髪も金に染み蒼ざめ重き波をなす
これぞ御存じドリアード、沈黙(しじま)の空を眺めゐる……
苔も閃めく林間の空地(あきち)の中の其処にして、
肌も真白のセレネエは面帕(かつぎ)なびくにまかせつつ、
エンデミオンの足許に、怖づ怖づとして、
蒼白い月の光のその中で一寸接唇(くちづけ)するのです……
泉は遐くで泣いてます うつとり和(なご)んで泣いてます……
甕に肘をば突きまして、若くて綺麗な男をば
思つてゐるのはかのニンフ、波もて彼を抱締める……
愛の微風は闇の中、通り過ぎます……
さてもめでたい森の中、大樹々々の凄さの中に、
立つてゐるのは物云はぬ大理石像、神々の、
それの一つの御顔(おんかほ)に鷽(うそ)は塒(ねぐら)を作り、
神々は耳傾けて、『人の子』と『終わりなき世』を案じ顔。
                〔一八七〇、五月〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。
※本文中の「驃駻」の「駻」は、原作では「馬へん」に「干」です。編者。

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