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きらきら「初期詩篇」の世界/4「秋の一日」

その1

「臨終」から一つ飛んで
「初期詩篇」の8番目に配置されているのが「秋の一日」です。

娼婦たちのいる「横浜橋」を離れて
海方向へ詩人の足は向かいました。

よく晴れた秋の日の
遅い朝です。

秋の一日
 
こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によって、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、
私は錫(しゃく)と広場と天鼓(てんこ)のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしゃがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しゃが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

    (水色のプラットホームと
     躁(はしゃ)ぐ少女と嘲笑(あざわら)うヤンキイは
     いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出(い)でて
今日の日の魂に合う
布切屑(きれくず)をでも探して来よう。

こんな朝、遅く目覚める人達――。

詩人もそのうちの一人であるに違いない遅い朝なのに
サイレンの誘惑に乗らないで
波止場のある方角へ歩いていきます。

サイレンの美声に耳を貸さずに
自らの命を守ったオデュッセウスさながら。

夏を彩(いろど)った夜店のざわめきや
露店を作り生業(なりわい)としていた香具師たちの姿はもう見えません。

すべてはサイレンの古代の
(ずっと昔に生成した)花崗岩の向うの地平の目、その色をしています。

夏の景物は跡形もなくなり
すべてが古代の自然を取り戻した海の町の様子でしょうか。

ダダのしっぽか
もしくは、一歩進んだ象徴表現か
わかりにくいところですが
夏が去った港町が歌われていることは確かでしょう。

領事館といえば
イギリスかフランスのものでしょうか
現在の「港の見える丘公園」に
両領事館がこのころにも開かれていました。

ユニオンジャック(イギリス)またはトリコロール(フランス)の領事館旗が
誇らしげに港町の空にひるがえる風景は
詩人(=私)の眼に「すべてが従順で」と見えました。

それで
錫(しゃく)と広場と天鼓(てんこ)のほかのなんにも知らない。
――と思い知ったのです。

錫(しゃく)は「杖」
広場は広場
天鼓(てんこ)は「雷(カミナリ)」(天上の太鼓の意味もあるそうです。)

すべてが領事館旗のもとに従順である「から」
私はこれらのほかの何ごともしらない――ということなのか
すべてが領事館旗のもとに従順である「のに」
私はこれらのほかの何ごともしらない――ということなのか

この1行は難解です。

すべてが従順だから
私は多くのこと(錫、広場、天鼓以外)を知らない、ということなのか
すべてが従順なのに
私は多くのことを知らない、ということなのか。

そもそも、錫、広場、天鼓とは
なんのことか。

多く(錫、広場、天鼓以外)を知らない詩人は
母親らしい人のしゃがれ声がなんのことだか聞き分けもできないで
公園の入口で砂を食べちゃっている幼児を目撃します。

これも「すべて従順」な風景の一つか。
だとすれば、従順な風景が
詩人になにを感じさせているのでしょうか。

その答えが

    (水色のプラットホームと
     躁(はしゃ)ぐ少女と嘲笑(あざわら)うヤンキイは
     いやだ いやだ!)

――という「字下げ」された第4連となります。

その2

錫と広場と天鼓と――。

それは、ポケットに手を突っ込んで出る「旅」の必要条件です。

杖は旅の友であり
広場は歩く場所であり
天鼓は風雨。

詩人には
杖があり
歩く場所があり
歩いていて遭遇する自然の美しさ・脅威……

これ以外は
「旅」に出ようとしたときに知る必要もないことでした。

第3連まで詩(人)は
港町で目にした市井(しせい)の人々の暮らしや
街を行きかう男女や
聞えてくる声や物音や……

風景の中を歩きながら
その風景から拾い
詩の言葉にします。

好むと好まざるにかかわらず
詩人は行くところの風景の中に存在し
目にふれた風景を「描写」します。

ここまでは
港町の「客観描写」ですが
目に見えた形象の中から
幾つかを選んで詩語にしているのですから
「主観描写」でありますし
叙事・叙景でもありますが
この中に「感情」や「内面」が含まれていないなどとも
到底言えたものではありません。

「字下げ」された第4連は
こうして「心情」が吐露(とろ)された形になります。

「字下げ」して( )に括(くく)られ
しゃべり言葉であることが示され
詩(人)はここで「地」を現わします。

水色のプラットホーム
躁(はしゃ)ぐ少女
嘲笑(あざわら)うヤンキイ

これらのものを
いやだ、いやだ! と駄々をこねるようにして嫌悪するのは
詩人がこれらのものと同じ世界にいるかのようです。

躁(はしゃ)ぐ少女や嘲笑(あざわら)うヤンキイの口ぶりに
あたかも同化したかのような詩語を刻んだとき
詩(人)はすでに
そのような自分を自覚しています。

こんなところ
ぼくには合わない

ポケットに手を入れて
詩人は
また歩き出します。

詩人の耳にサイレンの歌は聞こえていません。

 

ボロボロになった靴で
ランボー少年の足取りで。

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