「一筆啓上、安原喜弘様」昭和9年3月13日、18日
青山二郎が住み
小林秀雄やほかの「様々な人々」が出入りする花園アパートへ
中原中也は夫人とともに暮らしはじめます。
その花園アパートへ安原喜弘の足が向かうことは少なく
したがって、詩人との接触も以前より頻繁ではなくなるのですが
手紙のやりとりは続けられます。
続けられますが
数はやや少なくなります。
数は少なくなりますが
1通の手紙に書かれる詩人の文は長くなっていきます。
◇
安原の手元に残った中原中也からの昭和9年の手紙は
「中原中也の手紙」(講談社文芸文庫)で数えると以下の14通です。
「手紙71 2月10日」
「手紙72 2月11日」
「手紙73 3月13日」
「手紙74 3月18日」
「手紙75 6月2日」
「手紙76 6月5日」
「手紙77 6月24日」
「手紙78 8月25日」
「手紙79 9月10日」
「手紙80 9月18日」
「手紙81 9月21日」
「手紙82 11月1日」
「手紙83 11月15日」
「手紙84 12月30日」
◇
飛ぶように時間は流れます。
「手紙73 3月13日 (はがき)」(新全集では「138」)は
新居へ来てすでに3か月。
青山二郎はまるで古くからの友人のように登場します。
◇
先日は失礼 二ちゃんは一昨日帰ってまた昨夜三崎の方へ行きました また二三日したら帰って来るだろうと思いますが、当分病人が三崎にいる間そんな調子だろうと思いますから、気の向いた時電話してみられるのがよいと思います 一昨日話はしておきましたから
(アパートでは)雨の音が静かです 風さえなければアパ-トの雨は甚だ結構です
少しずつ本が読めます 風景画が沢山みたいような気持です 失敬
◇
「二ちゃん」は白洲正子によると「ジィちゃん」と発声するようです。
青山二郎の愛称です。
身近な人は親しみを込めてそう呼んでいました。
安原の兄は陶芸家で
陶器鑑定の達人といわれる青山とを
引き合わせたいと思って
詩人に仲介を頼んだということを安原はコメントしています。
◇
「手紙74 3月18日」も「二ちゃん」のことが書かれます。
◇
同封の切符貰いましたが 行けなくなりましたのでお送りします
二ちゃんは昨夜まだ帰っていませんでしたが、今日は妻君が来る日なので帰って来て、明、明後日位はいることと思います
3月18日 中也
◇
3月18日付けで「昨夜」ですから
17日にまだ三崎から戻っていない
けれども、18日の今日は、この当時別居していた青山の妻(舞踊家の「武原はん」)が訪れる日なので帰っていて、
19、20日には在宅しているだろう、と案内している手紙です。
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