「白痴群」前後・片恋の詩2「詩友に」
小林秀雄に逃げられた泰子は
独り暮らしをしなければならなくなり
「中野町谷戸2405松本方」に住みはじめます。
そして9月頃には松竹の蒲田撮影所に入り
「陸礼子(くがれいこ)」という名のニューフェースとして
「山彦」という映画に端役で出演したりしました。
(「新編中原中也全集・第2巻・詩Ⅱ解題篇」)
中也が昭和3年8月22日付けで小林佐規子(泰子のこと)宛てに出した手紙は
珍しく泰子を拒絶する内容になっていますが
気持ちはいかにも「ウラハラ」なのがすすけて見えます。
2人の関係のこの頃の事情が反映されているのですが
何よりも詩人は「元気」です。
◇
30 8月22日 小林佐規子宛
手紙みた。
貴殿は小生をバカにしている。
バカにしていないというのは妄想(つもり)だ。小生をチットモ面白くない人が、小生にたとえ小さいことをでも頼むなら、それは小生をバカにしているからなのだ。
僕は貴殿に会うことが不愉快なのだから会うことをお断りするのだ。
この上バカにされるのも癪だから、染め(ママ)はしない。セキネにあずけてあるからとりに来るべし。
中也
サキ殿
(「新編中原中也全集・第5巻 日記・書簡 本文篇」より。洋数字に変えてあります。文中の「染め」は「責め」の誤記と推測されていますが、確定できません。編者。)
◇
「女よ」は
この手紙から4か月も経たないうちに作られました。
詩人は昭和3年9月に
豊多摩郡高井戸町下高井戸に引っ越しました。
関口隆克、石田五郎とが共同生活しているところに参加したのです。
この共同生活が短期間になるのは
「白痴群」の発行で
同人となる阿部六郎や大岡昇平らが近くに住む
渋谷区神山へ転居(翌4年1月)したためです。
「女よ」は詩人がこの共同生活を終える直前に作られたことになります。
「拒絶」を取り消すかのような「求愛」の詩ですが
8月22日のこの手紙に通じる「元気さ」がここにあります。
泰子が自分のところへ帰ってくるという希望が
詩人の心の中には残っていました。
◇
「詩友に」は
後に「山羊の歌」に収められる「無題」の「Ⅲ」になるのですが
この「詩友に」にも
「かの女」にも
「寒い夜の自我像」にも
「追懐」にも……
まだわずかばかりの希望が残っています。
しかしこの「希望」の中には
次第に「悲痛さ」が混じりはじめています。
◇
無 題
Ⅰ
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら
私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。そして
正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといって正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る。
人の気持ちをみようとするようなことはついになく、
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに
私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!
目が覚めて、宿酔(ふつかよい)の厭(いと)うべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配(けはい)を感じながら
私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!
Ⅱ
彼女の心は真(ま)っ直(すぐ)い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲(く)んでも
もらえない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真っ直いそしてぐらつかない。
彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きている。
あまりにわいだめもない世の渦(うず)のために、
折(おり)に心が弱り、弱々しく躁(さわ)ぎはするが、
而(しか)もなお、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!
甞(かつ)て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめていたかは!
しかしいまではもう諦めてしまってさえいる。
我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、
彼女は出遇(であ)わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、
唯(ただ)、人という人が、みんなやくざなんだと思っている。
そして少しはいじけている。彼女は可哀想(かわいそう)だ!
Ⅲ
かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがえば
なが心、かたくなにしてあらしめな。
かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、
おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき
熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。
Ⅳ
私はおまえのことを思っているよ。
いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸っているよ、
まるで自分を罪人ででもあるように感じて。
私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
いろんなことが考えられもするが、考えられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。
またそうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
そうすることは、私に幸福なんだ。
幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!
Ⅴ 幸福
幸福は厩(うまや)の中にいる
藁(わら)の上に。
幸福は
和(なご)める心には一挙にして分る。
頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
せめてめまぐるしいものや
数々のものに心を紛(まぎ)らす。
そして益々(ますます)不幸だ。
幸福は、休んでいる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでいる。
頑なの心は、理解に欠けて、
なすべきをしらず、ただ利に走り、
意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、
人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。
されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。
従いて、迎えられんとには非ず、
従うことのみ学びとなるべく、学びて
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!
◇
その2
「詩友に」は
「無題」の第3節(Ⅲ)を独立させたものです。
それが「白痴群」の創刊号に
「寒い夜の自我像」とともに発表されました。
そのために
「詩友に」というタイトルを持つ詩を
「中原中也全集」の中に見つけることはできません。
しかし、「白痴群」創刊号に発表した詩ということで
「白痴群のマニフェスト」としての位置を与えられた
重要な作品であることに違いはありません。
いま、「詩友に」の部分を
「無題」から取り出してみます。
◇
Ⅲ
かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがえば
なが心、かたくなにしてあらしめな。
かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、
おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき
熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。
◇
Ⅲのところに
「詩友に」とタイトルがあったわけです。
「な」が泰子、
「われ」が詩人であることを見逃さなければ
詩人が泰子に直接訴えた詩であることが見えてくるでしょうか。
「かたくなにしてあらしめな」は
「頑(かたく)なであってほしくない」の意味です。
詩友というと
友というより、詩の同志(同士)のイメージですが
内容は「愛の告白」に近く
「言葉を失って」「熱病を病んだ現代人の」「悲しさ」を歌うようでいながら
おおっぴらにこんな「告白」をできたのは
泰子への愛が揺るぎないものだったからでしょうか。
◇
「詩友に」は
あらかじめ作られてあった長い詩「無題」が
「白痴群」に発表されたときに
第3節だけのソネット(4―4―3―3)として独立したものです。
隠された(未発表だった)ほかの節が
「山羊の歌」では
全行が現われました。
現われたその全容もまた
延々と「告白」のようでありながら
「告白」を遥かに超えて
遠大な「幸福論」のようなものが繰り広げられていきます。
「汚れっちまった悲しみに……」の次に配置された意図が
ここで見えてきます。
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