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末黒野

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教会に来る貧乏人

 
臭い息(いき)にてむッとする教会の隅ッこの、
樫材(かし)の床几(しょうぎ)にちょこなんと、眼(め)は一斉に
てんでに丸い脣(くち)してる唱歌隊へと注がれて。さて
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

蝋の臭気(におい)を吸い込める麺麭の匂いの如くにも、
なんとはや、打たれた犬と気の弱い貧乏人等が、
旦那たり我君様たる神様に、
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

女連(おんなれん)、滑らかな床几に坐ってまあよいことだ、
神様が、苦しめ給うた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしておりまする、みょうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)いの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いじくりまわした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞うを、ジッとみつめておりまする。

戸外には、寒気と飢餓と、而も男はぐでんぐでん。
それもよい、しかし後刻(あと)では名もない病気!
——それなのにそのまわりでは、干柿色の婆々連(ばばあれん)、
或いは呟き、鼻声を出し、或いはこそこそ話します。

其処にはびッくりした奴もいる、昨日巷で人々が
避(よ)けて通った癲癇病者(てんかん)もいる、
古いお弥撒(みさ)の祈祷集(おいのりぼん)に、面(つら)つッ込んでる盲者(めくら)等は
犬に連れられ来たのです。

どれもこれもが間の抜けた物欲しそうな呟きで
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴える
エス様は、焼絵玻璃(やきえがらす)で黄色くなって、高い所で夢みてござる、
痩せっぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いじわる)や

肉の臭気や織物の、黴(か)びた臭(にお)いも知らぬげに、
いやな身振で一杯のこの年来の狂言におかまいもなく。
さてお祈りが、美辞や麗句に花咲かせ、
真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

日影も知らぬ脇間(わきま)では、ごくありふれた絹の襞(ひだ)、
峻厳そうなる微笑(ほほえみ)の、お屋敷町の奥さん連(れん)、
あの肝臓の病人ばらが、——おお神よ!——
黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。
  

 

 


ひとくちメモ その1

中原中也訳「ランボオ詩集」の「初期詩篇」の
10番目にあるのは「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église です。

「感動」
「フォーヌの頭」
「びつくりした奴等」
「谷間の睡眠者」
「食器戸棚」
「わが放浪」
「蹲踞」
「坐った奴等」
「夕べの辞」
――と読んできて10番目で、
「ランボオ詩集<学校時代の詩>」から数えると15番目になりますが
それがただちに15番目の制作というわけでないことはいうまでもありません。

しかし、この詩には
中原中也がランボーの翻訳の呼吸を掴んで
「乗っている」感じがあって
ランボーその人が詩人に乗り移って歌っている、と
そう思える瞬間があるほど秀逸で
もはや「爛熟」の域に入っていますから
まずは、詩そのものを読んでみましょう。

 ◇

 教会に来る貧乏人

臭い息(いき)にてむツとする教会の隅ツこの、
樫材(かし)の床几にちよこなんと、眼(め)は一斉に
てんでに丸い脣(くち)してる唱歌隊へと注がれて。さて
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

蝋の臭気(にほひ)を吸ひ込める麺麭の匂ひの如くにも、
なんとはや、打たれた犬と気の弱い貧乏人等が、
旦那たり我君様たる神様に、
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

女連(をんなれん)、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

戸外には、寒気と飢餓と、而も男はぐでんぐでん。
それもよい、しかし後刻(あと)では名もない病気!
――それなのにそのまはりでは、干柿色の婆々連(ばばあれん)、
或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。

其処にはびツくりした奴もゐる、昨日巷で人々が
避(よ)けて通つた癲癇病者(てんかん)もゐる、
古いお弥撒(みさ)の祈祷集(おいのりぼん)に、面(つら)つツ込んでる盲者(めくら)等は
犬に連れられ来たのです。

どれもこれもが間の抜けた物欲しさうな呟きで
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
エス様は、焼絵玻璃(やきゑがらす)で黄色くなつて、高い所で夢みてござる、
痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や

肉の臭気や織物の、黴(か)びた臭(にほ)ひも知らぬげに、
いやな身振で一杯のこの年来の狂言におかまひもなく。
さてお祈りが、美辞や麗句に花咲かせ、
真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

日影も知らぬ脇間(わきま)では、ごくありふれた絹の襞、
峻厳さうなる微笑(ほゝゑみ)の、お屋敷町の奥さん連(れん)、
あの肝臓の病人ばらが、――おゝ神よ!――
黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

 ◇

どこそこと指摘するならば
例えば、各連の終行は、

二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。

犬に連れられ来たのです。

痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や

真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。

――となっていますが
全部が全部といっていいほど
7―5のリズムで決めていますし

怒鳴ります。
ございます。
をりまする。
話します。
来たのです。
浸します。
――の話者の口調には
サーカスか何かの案内役の「冷静さ」があるではないですか

 ◇

樫材(かし)の床几にちよこなんと
讃美歌を怒鳴(どな)ります。
死なんばかりに泣き叫ぶ、
祈りなんざあしませんで、
干柿色の婆々連(ばばあれん)、
高い所で夢みてござる、
便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や
真言秘密の傾向が、
お屋敷町の奥さん連(れん)、

――などの、絞り出され、ひねり出されて、選ばれたと見える語句にも
「勢い」と「強度」があり
オリジナリティーがあります。
「けれん」を感じさせるものでもありません。
スラスラと歌われている印象です。

 

中原中也の自作詩の中で
読んだ覚えのあるような言葉が現われるようですが
それは錯覚で
初めてこの詩の中で使われている言葉であるところが
さすが! です。

ひとくちメモ その2

中原中也訳「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église は
昭和11年(1936年)6月から同12年8月27日の間の制作
または、昭和9年(1934年)9月から同10年3月末の間の制作と推定されています。

前者は、「ランボオ詩抄」刊行から「ランボオ詩集」の原稿が
発行元の野田書房に持ち込まれるまでの間。
後者は、建設社版の「ランボオ全集」のために
ランボーの翻訳に集中していた期間。
両期間の最大幅をとれば
昭和9年9月から同12年8月の間の制作という推定になります。

中原中也のランボー翻訳詩には
「ランボー詩抄」(昭和11年、山本書店)に収録されず
「ランボオ詩集」(昭和12年、野田書房)に初めて収録された作品のグループがあり
これらの作品の制作時期は特定されていません。
そのため、「角川新全集編集」が考証・推定したのが
以上の制作時期です。

「教会に来る貧乏人」は
このグループの作品の一つですから
中原中也「晩年」の仕事といってよいものでした。
翻訳に「爛熟」の味わいがあるのは
ここらあたりに理由があることに違いありません。

中原中也が上京して小林秀雄らと知り合った
昭和初期からはじめたフランス象徴詩の翻訳は
すでにほぼ10年の月日を積み上げています。
この間、アテネフランセ、中央大学予科、東京外国語学校などでフランス語を学び
学ぶと同時に(と言ってよいほどに)翻訳を手がけていますから
学習と実作(翻訳の)が絶えず同じ地平にあるという
「理想的な翻訳の方法」を実践していた、ということになります。

フランス語の学習と翻訳とを、
同じ地平で行いながら、さらに
詩作も同じ地平で行っていたのですし
それを10年積み重ねるという生活がどのように大変なものであったか――。
その成果が「ランボオ詩集」に結実していることを
忘れてはなりません。

昭和9年末、
インクの匂いで生々しい
第一詩集「山羊の歌」の刷り上りを手にしたその足で
そのまま故郷山口に帰り、
生まれたばかりの長男・文也と初対面、
翌年3月まで山口に滞在したのは
建設社版「ランボオ全集」の翻訳の仕事に集中するという目的のためでした。

この仕事は
「ランボオ全集」発行が頓挫したために
日の目を見なかったのですが
やがては山本書店発行の「ランボオ詩抄」や
野田書房発行の「ランボオ詩集」の中に生き延びることになりました。

 ◇

 

「教会に来る貧乏人」が
「ランボー詩抄」に収録されず
「ランボオ全集」に初めて収録された作品の一つでありながら
昭和9年末の、この帰省で制作されたものであるのか、ないのか、
決定的な資料がないため
二つの制作日が推定されているということです。
(角川新全集 第3巻 翻訳 解題篇)

ひとくちメモ その3

二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。
――第1連の末行の、賛美歌を怒鳴る、という言い回し

可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。
――第2連の末行の、なんとも頑固な祈祷(おいのり)、という言い回し

死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。
――第3連の末行の、死なんばかりに泣き叫ぶ、という言い回し

……末行ばかりではなく、
第4連第2行の
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
第7連第2行の
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
などなどの口調に滲(にじ)み出る「一歩引いた地点からの」物言い。
……まだまだありますが

これらは
ランボーの詩の諧謔的声調を
中原中也が汲み取って翻訳したものと言えるでしょう。

日常化した宗教儀式を
高笑いして、皮肉に眺める眼差し。
そこに参列するのは
貧しき人々の群れ。
彼らの生態の一つ一つは
幾分かランボー自身の身に覚えのある感覚が無きにしも非ず。
幼き日の我が身への
自己批判を通じた「外部の眼」であるかもしれない。
ヴォワイヤン(=見者)の眼差しが
ここにあるとも考えられます。

「ランボオ詩抄」に載らず
「ランボオ詩集」に初めて収録された詩篇の一つである
「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église は
最大幅をとって
昭和9年9月の建設社版の「ランボオ全集」のための翻訳開始から
「ランボオ詩集」の原稿が発行元の野田書房に持ち込まれる
同12年8月までの間の制作という推定であったとしても
この期間には
数々の「事件」が中原中也を襲っていました。

昭和11年11月10日の長男・文也の死
それが原因の神経衰弱の徴候
昭和12年1月9日から2月15日までの中村古峡療養所への入退院
2月17日の鎌倉転居
……

このため
鎌倉への転居後に
建設社版「ランボオ全集」のために翻訳した原稿を推敲、清書し
新たに幾つかの翻訳を完成させたのも加えて
昭和12年8月に野田書房へ原稿を持ち込んだ、と推察するのが自然のようです。

この時の詩人の様子を、
野田書房の社主・野田誠三は

8月、突然、僕のところへ来られて、「ランボオ全集」を本にして呉れ、もう随分、長いこと原稿を持つて居たんだけれど、――と大変、本にすることを急いで居られた

――と、「手帖」中原中也追悼号(昭和12年12月)中の
「中原中也の死」の中で回想しています。
(角川新全集・第3巻「翻訳・解題篇」より)

中原中也は
昭和12年10月22日に永眠するのです。

野田書房に「ランボオ詩集」の原稿を持ち込んだのが
昭和12年8月頃で
同全集の発行は9月15日、
この直後の9月中には
第2詩集「在りし日の歌」の清書原稿を
小林秀雄に託し
その約1か月後の永眠です。

「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’égliseの制作(翻訳)日時は
特定できないにせよ
これらの期間、つまり「晩年」であることに間違いはなさそうです。

さらば東京!
おゝわが青春!

――と、「在りし日の歌」の後記に記した(1937、9、23)という日付けと
遠くはない日に
訳稿は完成しました。

瑞々(みずみず)しくさえある
言葉遣いの秘密が
ここら辺にあるような気がしてなりません。

 *

 教会に来る貧乏人

臭い息(いき)にてむツとする教会の隅ツこの、
樫材(かし)の床几にちよこなんと、眼(め)は一斉に
てんでに丸い脣(くち)してる唱歌隊へと注がれて。さて
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

蝋の臭気(にほひ)を吸ひ込める麺麭の匂ひの如くにも、
なんとはや、打たれた犬と気の弱い貧乏人等が、
旦那たり我君様たる神様に、
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

女連(をんなれん)、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

戸外には、寒気と飢餓と、而も男はぐでんぐでん。
それもよい、しかし後刻(あと)では名もない病気!
――それなのにそのまはりでは、干柿色の婆々連(ばばあれん)、
或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。

其処にはびツくりした奴もゐる、昨日巷で人々が
避(よ)けて通つた癲癇病者(てんかん)もゐる、
古いお弥撒(みさ)の祈祷集(おいのりぼん)に、面(つら)つツ込んでる盲者(めくら)等は
犬に連れられ来たのです。

どれもこれもが間の抜けた物欲しさうな呟きで
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
エス様は、焼絵玻璃(やきゑがらす)で黄色くなつて、高い所で夢みてござる、
痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や

肉の臭気や織物の、黴(か)びた臭(にほ)ひも知らぬげに、
いやな身振で一杯のこの年来の狂言におかまひもなく。
さてお祈りが、美辞や麗句に花咲かせ、
真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

日影も知らぬ脇間(わきま)では、ごくありふれた絹の襞、
峻厳さうなる微笑(ほゝゑみ)の、お屋敷町の奥さん連(れん)、
あの肝臓の病人ばらが、――おゝ神よ!――
黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。

 

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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