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中原中也の詩に現われる色の色々2

その1

「山羊の歌」をみるだけでも
24作品に「色」が現われています。
「山羊の歌」は44作品を収めた詩集ですから
5割以上に「色」が露出しているということになります。

文字として、言葉として現われた「色」だけで
このような状態なのです。

「雪」とか「曇天」とか
「夜」とか「森」とか
色は顕在しなくとも表現することが可能ですから
これらを含めれば
もっともっと多彩な「色の世界」が広がっているのかもしれません。

しかし、そこまで含めると
どんな詩も多彩ということが言えてしまいそうですから
詩の中に言葉として文字として現われた「色」だけを
見ていくことにします。

ここまで見て
何か特徴的なことがあるかというと
色々なことがいえそうです。

「サーカス」の
「茶色い戦争」と「白い灯」では
「茶色い」と「白い」の使い方は別のもののようです。
「戦争が茶色い」という言い方と「灯が白い」という言い方は
色が特定されるはずもない戦争を茶色いと表現したのに対し
灯が白い状態は現実上よくあることです。

「春の夜」の
「桃色」「砂の色」「蕃紅色(サフランいろ)」も
現実に存在する色をそのまま表現していますから
「サーカス」の「白」と同じです。

「朝の歌」の
「朱(あか)きいろ」「はなだ色」も同じ使い方ですが
「はなだ色」はめずらしい言い方。
「臨終」の「鈍色(にびいろ)」も
ややめずらしいボキャブラリーになります。

「秋の一日」の
「花崗岩のかなたの目の色」。
これはなかなか難解です。
詩全体の中でしか理解できません。
象徴化の詩法が使われています。

「冬の雨の夜」の「密柑の色」
「凄じき黄昏」の「銀紙(ぎんがみ)色」
「夕照」の「慈愛の色」「金のいろ」 
「宿酔」の「白っぽく銹(さ)びている) 
「少年時」の「黝い」「朱色」「灰色」。
「盲目の秋」の「紅」
「わが喫煙」の「白」
「妹よ」の「黒」
「木蔭」の「青」
「心象」の「白」

これらもみんな象徴という技で使われています。
「木蔭」の「青」は
写実的な使い方とも言えますが
青は青である以上の意味合いを持っています。

その2

「色」が言葉にされたとき
その詩の作り方によって
現実の色をそのまま叙述(写実)しようとしていたり
メタファーとして使ってみたり
象徴表現としたり
まさに色々です。

「色」は
詩から独立しているものでない以上
詩全体の中の「色」でしかないことは言うにおよびません。

「みちこ」の「あおき浪」「磯白々と」は
詩全体が喩(メタファー)に仕立てられているなかで
叙述の色。

後半に出てくる「頸(うなじ)は虹」や「なみだぐましき金(きん)」は
叙述を一歩はみだしています。

「更くる夜」の「真っ黒い武蔵野の夜」は
字義通りの黒。

「秋」の「鈍い金色」も同じ。
「真鍮の光沢」は直喩。
「沼の水が澄んだ時かなんかのような色」も直喩の域内でしょう。

「修羅街輓歌」の「空は青く」も
まったくストレートな叙述です。
「雪の宵」の「赤い火の粉」も同じ。
「時こそ今は……」の「群青(ぐんじょう)」も同じ。
「羊の歌」の「密柑の色」もなんらのダブルミーニングを持ちません。
「憔悴」の「空は青いよ」もそのまんまの青です。
「虹」もそのまんまの虹。

「山羊の歌」の「色」を見てきて
印象に残ったのは何ですか?

茶色い戦争
はなだ色
花崗岩のかなたの目の色。
秋空は鈍色(にびいろ)
……
これくらいでしょうか。

 

「茶色い戦争」なんてのは
この1語で中原中也を思わせるほどの浸透力で
日本人の間に広がっています。
「サーカス」の中の1語であるにもかかわらず
サーカスよりも強いインパクトで
人々の頭の中に刻まれているといってよいほどに。

 

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