「白痴群」前後・愛の詩7「無題(緋のいろに心はなごみ)」
泰子を失った詩人は
それが理由だけとはいえないのですが
横浜の歓楽街へ足を伸ばします。
神を求めるのに似た行為なのかもしれません。
ほかに行くところがなかったのでしょう。
断崖絶壁に立つようであり
何かの「教え」を乞うかのようにです。
◇
そこで「緋のいろ」に
なぐさまるのです。
「緋」とは
娼婦らの着る原色の衣装のことです。
◇
無 題
緋(ひ)のいろに心はなごみ
蠣殻(かきがら)の疲れ休まる
金色の胸綬(コルセット)して
町を行く細き町行く
死の神の黒き涙腺
美しき芥もみたり
自らを恕(ゆる)す心の
展(ひろが)りに女を据えぬ
緋の色に心休まる
あきらめの閃(ひらめ)きをみる
静けさを罪と心得
きざむこと善しと心得
明らけき土の光に
浮揚する
蜻蛉となりぬ
◇
憔悴した心とからだを携(たずさ)えて
詩人は足のおもむくままに
横浜の街を彷徨(さまよ)います。
横浜は
母フクが生まれ幼時を過ごした土地でもあります。
◇
心の底に泰子が沈んでいたのか
泰子を忘れようとしたのか
友人たちの憐れみ嘲笑するような眼差しが飛来するのか――。
へとへとになって
「蠣殻(かきがら)の疲れ」に襲われます。
堆積していく疲労の底に現われるのは、
「死の神の黒き涙腺」
「美しき芥」。
ここにも「神」が登場し
「芥」が出てきますが
ここでは象徴化されたイメージは
手の届く距離に結ばれそうです。
◇
伊勢崎町、日の出町、曙町……
大岡川に沿って
たくさんの小路が枝を伸ばす一帯を
どこまでもどこまでも
詩人は飽きずに歩いたのでしょう。
一夜を明かした詩人は
朝の光の中に
ふわりふわりと浮いている蜻蛉(トンボ)を見るのです。
ああ、自分がいる!
◇
「むなしさ」を歌った詩人と
ほとんど変わらない頃の作品と見てよいでしょう。
両作品には
ふるえるような孤独感が
流れています。
19世紀末ペテルスブルグの下町を行く
ラスコリニコフを見るようです。
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