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永 遠

 
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去(い)ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去(い)ってしまった。
 
見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。
 
人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまえはさっさと手を切って
飛んでゆくべし……
 
もとより希望があるものか、
願いの条(すじ)があるものか
黙って黙って勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。
 
繻子の肌した深紅の燠(おき)よ、
それそのおまえと燃えていりゃあ
義務(つとめ)はすむというものだ
やれやれという暇もなく。
 
また見付かった。
何がだ? 永遠。
去(い)ってしまった海のことさあ
太陽もろとも去(い)ってしまった。

 

 


ひとくちメモ その1

「永遠」Éternitéは
モノローグだか
ダイアローグだか
交わされる会話体が謎めきながら
甘味とともに辛口の
言葉の弾丸が瑞々しく
詩のエキスの中に突然投げ出されたような衝撃をともなって
猛スピードで世界中に知れ渡っていきましたし
今なおその勢いはやみません。

「地獄の季節」の「言葉の錬金術」に
ランボー自らが引用したこともあって
ランボーの名を
不朽のものにした詩の一つです。

この詩の作られたおよそ100年後に
フランスの映画監督ジャン・リュック・ゴタールが
「気狂いピエロ」Pierrot Le Fouを作り
世界各地で上映されて
一大センセーションを巻き起こしたことは記憶に新しいことです。

世情騒然たる
1960年代末から1970年代初頭は
ベトナム戦争終末期で
日本でも
村上龍が小説「69」(1987年)で
長崎県佐世保の米軍基地周辺の街に生きる高校生に
ランボーの「永遠」を語らせるシーンを盛り込んだり、

芥川賞を取る前の中上健次が
「十八歳、海へ」を処女作として書き終えていましたが
これも、題名そのものが
ランボーを意識したものですし
作品中にも
ランボーの詩篇が登場することはよく知られたことです。

1991年には
ランボー没後100周年
2004年には
生誕150周年で
出身国のフランスをはじめ世界各地で
記念事業や研究集会などが開かれ
日本でも特別講演を含むシンポジウムなどが行われ
この不世出の詩人への顕彰イベントが盛大にとり行われました。

ランボーの影響は
詩・文学ばかりでなく
映画、演劇、音楽、美術、哲学・思想、学生運動、ビートニク、ヒッピー……と
あらゆるジャンルに及び
今もなお強い浸透力で
世界の文化現象の一角に突き刺さっています。

「永遠」は

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

――の、第1連と最終連が
全くの同一詩句で繰り返されるルフランです。

この4行が
世界を
100年にわたって
跳梁し、震撼させ、感動させている、と言ってよいほどに
言葉の力の不可思議とか魔力とかを放射しているものです。

何故なのでしょうか――

そんな疑問が
湧いて来るだけで
もはや
言葉の錬金術の術中に、
その心地よくもあり
スフィンクスの謎解きに挑戦するような苦難と惑溺との中に
読み手は置き去りにされます。

 

1872年の制作当時、
ランボーはしきりに
「新しい詩」に挑んでいました。

ひとくちメモ その2

「永遠」と訳されることの多い原典Éternitéは、
ランボー自筆の原稿が2種類残されています。

一つはメッサン版に収録されているファクシミレで、
これには末尾に「1972年5月」と記されています。
一つは第2次ベリション版が踏襲しているラ・ヴォーグ版の元原稿で、
中原中也はこれを訳しています。

Éternitéには
この他に
「地獄の季節」中の「言葉の錬金術」に
引用されたバリアントがあります。

自筆原稿(メッサン版とラ・ヴォーグ版)は、
第4、第5連に多くの異同があり、
この自筆原稿と「地獄の季節」中に引用されたテキストには
第1連と最終連の最終行、
つまり、ルフランの部分に
意味深長な変化があることが分かっています。

この変化は
1872年から1873年に起ったものと見られており
ランボーがこの時期に盛んに行っていた
「新しい詩」への試みといわれるものの一つです。

原典では
la mer allée avec le soleil 太陽とともに去った海

が、

la mer mêlée au soleil 太陽と溶け合った海

――になったという変化です。

専門的な話になりますが
ここのところを
「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・解題篇」では

前者をごく素直に写実的な光景として読み取ろうとすれば、水平線に垂直の軌跡を描いて没し去ろうとする落日のイメージである他はない。しかし後者の場合、永遠をかたどるイメージを落日と断定する根拠は何もないと言わざるを得ない。海から昇る朝日でもあり得るわけであるが、それよりもむしろ、そのような時間性を超越した「永遠の光芒」にこそ照準を合わせたものと理解しなければならないだろう。

――と解説しています。

そういえば
記憶に間違いがなければの話ですが
映画「気狂いピエロ」のエンディングは
ジャン・ポール・ベルモンド扮する主人公が
落日を背景にして爆死してしまうシーンに仕立てていたことが想起されます。

この映画が公開されたのは1965年のことですから
ランボー研究が
このときより深化を遂げたということを示す一例かもしれません。

単独の詩としての「Éternité」は
「地獄の季節」に引用された詩が決定稿となったのだとすれば
決定稿のほうが上等で優秀な詩である、ということではありませんが、
この変化を知って読めば
いっそうÉternitéに近づくことにはなることでしょう。

この詩を書いたころ

さば雲もろとも融けること(「渇の喜劇」)

 

――と中原中也が訳したランボーが
いまだ近くにいるのですが
やがては
「地獄の季節」を書き、
小林秀雄の言うような
「文学との決別」が予定されているようなランボーとは
異なる旅を続けるランボーが見えはじめますが……。

ひとくちメモ その3

Éternitéの、
第1連と最終連は
同一詩句の繰り返し=ルフランですが
これがどのように訳されているか
この4行だけを
色々な訳で
手あたり次第
読んでみることにしましょう。

「地獄の季節」の訳があるものは
あわせてそれも掲載します。

まずは
昭和5年に、
小林秀雄が「地獄の季節」を翻訳した中の
引用詩、

また見付かつた、
驚かしなさんな、永遠だ、
海と溶け合う太陽だ。

(アルチュル・ランボオ「地獄の季節」白水社)
※これは「新編中原中也全集」からの孫引きです。)

同じ小林秀雄が
戦後の、昭和23年に出した「ランボオ詩集」(創元社)の中で訳した
「地獄の季節」の引用詩、

また見付かつた、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。

堀口大学
「永遠」

もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは、太陽と番(つが)った
海だ。

(「ランボー詩集」昭和26年発行、平成23年88刷、新潮文庫)

金子光晴
「永遠」

 とうとう見つかったよ。
なにがさ? 永遠というもの。
没陽といっしょに、
去(い)ってしまった海のことだ。

「イリュミナシオン」昭和26年初版、平成11年改訂初版、角川文庫)

西条八十
「永遠」

また見つかったぞ。
何が? ――永遠が。
それは太陽と共に
去って行った海。

(「アルチュール・ランボー研究」昭和42年初版、中央公論社)

寺田透
「ある地獄の季節」

見つかった。
何が。永遠が。
太陽に溶け込んだ
  海なのだ。

(「世界名詩集15 ランボー ある地獄の季節ほか」昭和44年初版、平凡社)

粟津則雄
「永遠」

見つかったぞ。
何がだ!――‘永遠’。
太陽と手をとりあって
行った海。

※ ‘永遠’は、原作では傍点になっています。編者。

粟津則雄
「地獄の季節」

見つかったぞ!
何がだ? 永遠。
太陽にとろけた
  海。

(「ランボオ全作品集」1965年初版、思潮社)

清岡卓行
「永遠」

あれがまた見つかった。
なにが? ‘永遠’が。
それはいっしょに消えた海
太陽と。

※ ‘永遠’は、原作では傍点になっています。編者。

(「新篇 ランボー詩集」1992年初版、河出書房新社)

鈴木創士
「永遠」

また見つかった。
何が?――永遠。
太陽とともに
行った海だ。

「ある地獄の季節」

また見つかった!
何が? 永遠。
太陽に混じった
  海だ。

(「ランボー全詩集」2010年初版、河出書房新社)

宇佐美斉
「永遠」

あれが見つかった
何が――永遠
太陽と共に去った
海のことさ

「地獄の季節」

あれが見つかった
何が? 永遠
太陽と溶けあった
  海のことさ

(「ランボー全詩集」1996年第1刷、筑摩書房)

鈴村和成
「永遠」

また見つかったよ。
何がさ?――《永遠》。
太陽といっしょに
行ってしまった海さ

「地獄の季節」

また見つかったよ!
何がさ? 永遠。
 太陽に
とろける海さ。

(「ランボー全集 個人新訳」2011年、みすず書房)

今、手元にあるのはこれだけですが
日本語訳されて
印刷物になった「有名な」翻訳は
以上のざっと3倍は存在するはずです。

これだけ読むと
それぞれの差異よりも
ランボーの原作が
どしんと存在していることが
実感されようというものですが
いかがでしょうか――。

 

中原中也の訳の存在感も
なかなかのものであることが
伝わってきます。

ひとくちメモ その4

中原中也が「永遠」Éternitéの翻訳を開始したのは
昭和4年という
興味深いデータがあります。

角川全集の編集が
便宜的に名付けた「翻訳詩ファイル」という
中原中也が残した草稿の束(たば)がありますが
そこにランボーの
「(彼の女は帰つた)」
「ブリュッセル」
「彼女は舞妓か?」
「幸福」
「黄金期」
「航海」や
ギュスタブ・カーンの詩1篇の
計7作の翻訳未定稿が記されてあります。

このファイルの
第1ページにあるのが
無題の「(彼の女は帰つた)」ですが
これが「永遠」のルフランの部分で
最終連、つまり第6連の「試訳」と推定されているのです。

このファイルは
昭和4年から8年の間に使われていたときには
大学ノートでしたが
後の「ランボオ全集」の翻訳のために
旧訳の書かれたこのノートをばらして
ホッチキスでまとめて利用したものと考証されています。

彼の女は帰つた。
何? 永遠だ。
これは行つた海だ
太陽と一緒に。
(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳・本文篇」)
――という内容で、
「永遠」の第1次形態とされています。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

――となって「ランボオ詩集」に収録されたのが
現在読める第2次形態ですが
このバージョンアップの過程こそ
中原中也のランボー受容の歴史の象徴であり
日本におけるランボー翻訳史の1断面といえるほどのものです。

ランボー研究は
やがて
「地獄の季節」中に引用された詩篇を決定稿とし
それ以前に作られた詩との間に
「ジャンプ」があったという流れに定着しますが
そうした研究が浸透する以前の
中原中也や小林秀雄ら
「初期のランボー翻訳」(明治期の取り組みを考慮すれば「第2期」?)の
苦闘の跡がここに見られるということです。

この翻訳が記されたのと同一のページには
中原中也がフランス語の動詞と成句を学習した
練習筆記がぎっしりと書き込まれていますのは
この苦闘を物語る1側面です。

帝大や早稲田、慶応の仏文科や
東京外語学校、アテネ・フランセといった場での学習は
個人の血の滲むような勉強なくして
成就できませんでした。

「ランボオ詩集」の「後記」の末尾に

終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。

――と中原中也が記しているのは、
個人の勉強では届かず、
折りにふれては友人・知己に助力を求めたことに
自然な敬意を表しているものに違いありません。

「永遠」の第1連と最終第6連のルフランは
このようにして訳出され
今なお、存在感たっぷりの名訳であることに変わりませんが
「ランボオ詩集」の「後記」には
「永遠」の、

繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、

――と、第5連の3行を、
若干、語句を変えて引用しています。

「永遠」を
それほどに
思い入れを込めていることの意味が
少しは見えつつあります。

 *

 永遠

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

見張番の魂よ、
白状しようぜ
空無な夜(よ)に就き
燃ゆる日に就き。

人間共の配慮から、
世間共通(ならし)の逆上(のぼせ)から、
おまへはさつさと手を切つて
飛んでゆくべし……

もとより希望があるものか、
願ひの条(すぢ)があるものか
黙つて黙つて勘忍して……
苦痛なんざあ覚悟の前。

繻子の肌した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ
やれやれといふ暇もなく。

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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