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「白痴群」前後・幻の詩集7「処女詩集序」

「処女詩集序」は
幻となった第1詩集の「序」となるはずの詩でした。
 
 
処女詩集序
 
かつて私は一切の「立脚点」だった。
かつて私は一切の解釈だった。
 
私は不思議な共通接線に額して
倫理の最後の点をみた。
 
(ああ、それらの美しい論法の一つ一つを
いかにいまここに想起したいことか!)
 
     ※
 
その日私はお道化(どけ)る子供だった。
卑小な希望達の仲間となり馬鹿笑いをつづけていた。
 
(いかにその日の私の見窄(みすぼら)しかったことか!
いかにその日の私の神聖だったことか!)
 
     ※
 
私は完(まった)き従順の中に
わずかに呼吸を見出していた。
 
私は羅馬婦人(ローマおんな)の笑顔や夕立跡の雲の上を
膝頭(ひざがしら)で歩いていたようなものだ。
 
     ※
 
これらの忘恩な生活の罰か? はたしてそうか?
私は今日、統覚作用の一欠片(ひとかけら)をも持たぬ。
 
そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いていた、
柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いていた。
 
その時私は何か?たしかに失った。
 
     ※
 
今では私は
生命の動力学にしかすぎない――――
自恃をもって私は、むずかる特権を感じます。
 
かくて私には歌がのこった。
たった一つ、歌というがのこった。
 
     ※
 
私の歌を聴いてくれ。
 
 
「序」としては
わかりにくい詩になってしまいました。
 
しょっぱなに
 
かつて私は一切の「立脚点」だった。
かつて私は一切の解釈だった。
 
私は不思議な共通接線に額して
倫理の最後の点をみた。
 
――とあるのからして
これはもう、この詩集を読む人を
あらかじめ限定しているような「小難しさ」です。
 
2節目も、3節目も、4節目も
同じく、頭をひねらねばならない難解さで
末尾の
 
かくて私には歌がのこった。
たった一つ、歌というがのこった。
 
     ※
 
私の歌を聴いてくれ。
 
――だけは、普通に読んでも普通に耳に入ってくる
平明さ、やさしさです。
 
 
この「小難しさ」は何でしょうか?
 
これはきっとダダではない
しかしダダの残骸ではないか。
 
昭和2―3年の頃の詩人は
ダダイズムからの脱皮を試み
大正15年(昭和元年)には
「むなしさ」「朝の歌」「臨終」を歌い終わっていました。
上京して1年経っています。
 
 
この「序」は
これらの詩より後か
同じ頃に作られています。
 
4節目には、
 
そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いていた、
柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いていた。
 
その時私は何か?たしかに失った。
――と長谷川泰子との別離が歌われているのですぐにわかります。
 
泰子が詩人から去ったのは
大正15年のまさに11月でした。
 
 
それでは
泰子を失った苦しみの末に
歌だけが残ったという詩を「序」としたのでしょうか?
処女詩集を「失恋詩集」にしようとしたのでしょうか?
 
きっとそうではありません。
 
 
「かつて」や「その日」にも注目して
「今日」に至るまでの詩人の「歴史」が歌われた前半部を
もう一度読み返すとよいでしょう。
 
難解ですが
「かつて」や「その日」には
「失恋」以外に失われたものがあります。
 
 
ここでこの処女詩集のタイトル案のラインアップを見ておきましょう。
それは昭和2年3月9日の日記に書かれています。
 
「題無き歌」
「無軌」
「乱航星」
「生命の歌」
「浪」
「空の歌」
「瑠璃玉」
「青玉」
「瑠璃夜」
「無題詩集」
「空の餓鬼」
「孤独の底」
……などです。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩1・解題篇)
 
 
ここにあるのも
まだ発酵する前の「よどんだ酒」――。
完熟する前の「青いレモン」――。
 
 
 

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