「白痴群」前後・片恋の詩9「木蔭」
「木蔭」が
「さっぱりした感じ」に満ちているのは
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺れる
夏の昼の青々した木陰(こかげ)
――という自然描写のせいでしょうか。
もちろんそれはそうなのですが
自然の風景がさっぱりしているのは
詩人の心がさっぱりしているからに違いなく
この風景に慰められている詩人が
さっぱりした気持ちになっているから
詩がさっぱりした感じになっていると言えます。
◇
木 蔭
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる。
夏の昼の青々した木陰(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる。
暗い後悔、いつでも附纏う後悔、
馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は
やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり
やがて根強い疲労となった。
かくて今では朝から夜まで
忍従することの他に生活を持たない。
怨みもなく喪心したように
空を見上げる、私の眼(まなこ)――
神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる。
夏の昼の青々した木陰は
私の後悔を宥めてくれる。
(1929、7、10)
◇
どこの神社でしょうか
どこの青々した木陰でしょうか
都会でしょうか
田舎でしょうか
東京でしょうか
山口の湯田でしょうか。
どちらでもあり得るのが
なんとも中也の詩らしいところです。
◇
「木蔭」も
「ノート小年時」の余白ページに清書された詩群の一つです。
昭和4年7月10日に作られました。
後に「山羊の歌」に収録される詩の
第1次形態です。
初めは「詩二篇」として
「夏(血を吐くやうな)」とともに
「白痴群」第3号(昭和4年9月)の
巻頭ページに発表されました。
◇
この詩は
字句の修正や句読点の追加削除などの推敲がなされ
その推敲の前後の詩に
わずかながらでも違いがあるため
独立した詩として扱われ
「未発表詩篇」にも分類・収録されます。
最終形態では
すべての句読点が削除されました。
ここでそれを読んでおきましょう。
◇
木 蔭
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる
暗い後悔 いつでも附纏う後悔
馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は
やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり
やがて根強い疲労となった
かくて今では朝から夜まで
忍従することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心したように
空を見上げる私の眼――
神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥めてくれる
◇
原形(1次形態)と読み比べて
推敲後の詩の
分解しようにない
「かたまり」のような「声」が聞えてきます。
ここからも
「さっぱりした感じ」が生れています。
詩人が磨きぬいた言語感性。
ちょっとした詩の技のようですが
この感覚を研ぐのに
詩人は眠らない夜を何度も過ごしました。
完成作の繊細な技が味わいどころです。
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