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「白痴群」前後・片恋の詩9「木蔭」

「木蔭」が
「さっぱりした感じ」に満ちているのは
 
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺れる
夏の昼の青々した木陰(こかげ)
――という自然描写のせいでしょうか。
 
もちろんそれはそうなのですが
自然の風景がさっぱりしているのは
詩人の心がさっぱりしているからに違いなく
この風景に慰められている詩人が
さっぱりした気持ちになっているから
詩がさっぱりした感じになっていると言えます。
 
 
木 蔭
 
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる。
夏の昼の青々した木陰(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる。
 
暗い後悔、いつでも附纏う後悔、
馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は
やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり
やがて根強い疲労となった。
 
かくて今では朝から夜まで
忍従することの他に生活を持たない。
怨みもなく喪心したように
空を見上げる、私の眼(まなこ)――
 
神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる。
夏の昼の青々した木陰は
私の後悔を宥めてくれる。
(1929、7、10)
 
 
どこの神社でしょうか
どこの青々した木陰でしょうか
都会でしょうか
田舎でしょうか
東京でしょうか
山口の湯田でしょうか。
 
どちらでもあり得るのが
なんとも中也の詩らしいところです。
 
 
「木蔭」も
「ノート小年時」の余白ページに清書された詩群の一つです。
 
昭和4年7月10日に作られました。
後に「山羊の歌」に収録される詩の
第1次形態です。
 
初めは「詩二篇」として
「夏(血を吐くやうな)」とともに
「白痴群」第3号(昭和4年9月)の
巻頭ページに発表されました。
 
 
この詩は
字句の修正や句読点の追加削除などの推敲がなされ
その推敲の前後の詩に
わずかながらでも違いがあるため
独立した詩として扱われ
「未発表詩篇」にも分類・収録されます。
 
最終形態では
すべての句読点が削除されました。
ここでそれを読んでおきましょう。
 
 
木 蔭
 
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる
 
暗い後悔 いつでも附纏う後悔
馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は
やがて涙っぽい晦暝(かいめい)となり
やがて根強い疲労となった
 
かくて今では朝から夜まで
忍従することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心したように
空を見上げる私の眼――
 
神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥めてくれる
 
 
原形(1次形態)と読み比べて
推敲後の詩の
分解しようにない
「かたまり」のような「声」が聞えてきます。
 
ここからも
「さっぱりした感じ」が生れています。
 
詩人が磨きぬいた言語感性。
ちょっとした詩の技のようですが
この感覚を研ぐのに
詩人は眠らない夜を何度も過ごしました。
完成作の繊細な技が味わいどころです。
 
 
 

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