中原中也の詩に出てくる「人名・地名」 9
「人名」のほうに分類した【小竹の女主人(ばばあ)】の【小竹】は「地名」です。
昭和初期、東京・芝浦にあった待合の名前で
「バー山本」とか「居酒屋雪子」などの「山本」「雪子」と同じです。
小林秀雄をはじめとする「文学界」編集者や寄稿者らが常用する中に
中原中也の名もありました。
その「女主人」を「おかみ」ではなく
「ばばあ」と親しみを込めて詩人は呼んだという証言はなく
リアルな現実を想像するよりも
これが「詩語」であることを重んじて読んでみたいところです。
◇
夏の明方年長妓が歌った
――小竹の女主人(ばばあ)に捧ぐ
うたい歩いた揚句(あげく)の果(はて)は
空が白んだ、夏の暁(あけ)だよ
随分(ずいぶん)馬鹿にしてるわねえ
一切合切(いっさいがっさい)キリガミ細工(ざいく)
銹(さ)び付いたようなところをみると
随分鉄分には富んでるとみえる
林にしたって森にしたって
みんな怖(お)ず怖ずしがみついてる
夜露(よつゆ)が下(お)りているとこなんぞ
だってま、しおらしいじゃあないの
棄(す)てられた紙や板切(いたき)れだって
あんなに神妙(しんみょう)、地面にへたばり
植えられたばかりの苗だって
ずいぶんつましく風にゆらぐ
まるでこっちを見向きもしないで
あんまりいじらしい小娘みたい
あれだって都(みやこ)に連れて帰って
みがきをかければなんとかなろうに
左程々々(そうそう)こっちもかまっちゃられない
――随分馬鹿にしてるわねえ
うたい歩いた揚句の果は
空が白んで、夏の暁だと
まるでキリガミ細工じゃないか
昼間は毎日あんなに暑いに
まるでぺちゃんこじゃあないか
◇
詩人が「詩の言葉」の方法として
「口語会話体」や「しゃべり言葉」を使って
「俗っぽさ」を意図した作品は数多くあります。
「あばずれ女の亭主が歌った」とか
「三毛猫の主の歌える」とか
ジュール・ラフォルグの詩の翻訳「でぶっちょの子供の歌える」とかは
タイトルだけをみても「俗な」イメージを与えますし
「夏の明方年長妓が歌った――小竹の女主人(ばばあ)に捧ぐ」と
同じ系列の詩であることがわかります。
中原中也が訳したランボーの詩にも
「詩語としての俗」をねらったものが幾つか見つかります。
これはランボーの意図を
中原中也が汲(く)んで訳したもので
思いつくだけですが
「びっくりした奴等」「坐った奴等」などがそうです。
◇
中原中也が詩の中で使った「地名」一覧を眺めていて
こうした寄り道をするのは楽しいことを発見しました。
◇
中原中也が生きていた時代の「地名」ですから
【小笠原沖】 というのは現在よりもかなり遠隔地のイメージに違いなく
詩人は気象予報でこの言葉を聞き知ったものと推測されます。
【鹿児島半島】
この地名は実際には存在しません。薩摩半島か大隈半島のどちらかか。両方を指示したのかもしれません。
【北沢】
世田谷区に下北沢があり、上北沢がありますが、下北沢の地名はありません。小田急線と京王井の頭線が交差し、「若者の町」として下北沢は近年ますます賑やかな町「シモキタ」として変貌していますが、ここの地名は北沢です。中原中也の詩「北沢風景」の北沢は、京王線の上北沢駅周辺を指しますが、上北沢の地名はあります。昭和3年9月から昭和4年1月まで、関口隆克、石田五郎と共同生活をした家は、「高井戸町下高井戸2の403」ですが、この地番は当時の京王線北沢駅(現上北沢駅)が最寄りの駅でした。高井戸といえば現・杉並区ですから変に思えるかもしれませんが、北沢に住んでいたという感覚が詩人にあったのでしょう。
【道修山】
中原中也は1937年はじめに、千葉市にあった中村古峡療養所に入院しました。この療養所があった千葉寺町の小高い丘の名が「道修山(どうしゅうざん)」です。
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