「一筆啓上、安原喜弘様」昭和9年9月21日
製本前の印刷された本文とその紙型だけが安原の住まいの納戸(なんど)にあり
残されているのは「表紙回り」ということは
表紙(表1)、裏表紙(表4)、表2(表紙裏)、表3(裏表紙の裏)や背表紙のほか
扉・奥付け・広告を含む4または8ページの装幀・デザインから印刷までで
それが出来上がればその印刷された「表紙回り」と
印刷された本文とをドッキングして製本(裁断)すれば完成します。
今、安原が交渉しているのは
本を完成させるフィニッシュの作業のことで
普通なら、これらのすべての工程を出版社がまとめて引き受けて
その後に「下請け」の印刷会社とか製本会社とかに作業を分配します。
一貫して全ての工程を持つ大きな会社である場合ならば
これらを全体で「いくら」という勘定が成り立つのですが
本文の紙型取りまでが出来ていてその後の工程であるという特別なケースであり
詩人の「懐(ふところ)事情」や
完成イメージの質量とそれにかかるコストなど
安原には様々な調整が必要でした。
それらのハードルを
一つひとつクリアして
「詩集」はあと一息というところにありましたから
山口にいる詩人は
安原の東京での交渉が大詰めを迎えている印象を持ったのでしょうか
かなり具体的な話に身を乗り出している感じがあります。
◇
問題はしかし、
自費出版か「普通の」出版かという
基本方針にさかのぼる再考を求められ
繰り返さなければ進まない状況が
もうしばらく続きます。
◇
「手紙81 9月21日 (封書)」 山口市 湯田
拝復 18日附お手紙落手しました どうもたびたび恐れ入ます すっかり秋になりました 毎日毎日雨 昨夜はまた大風にて10町ばかり先では一軒家が倒れました 今朝からもずっと雨でしたが1時間ばかり前から急に晴れてカラットした日が射しております
これからその倒れた家を散歩の旁々見に行くつもりでいます 陸軍の道路政策とかで人道車道と分けられた田圃の中を走っている立派な道路を、カランコロンと10町ばかり行くとその家が見られるというわけです それはその道路に沿って建っている酒屋なんだそうですが、今此の日射しを受けて倒れている多分はグサグサに腐った家が、その店の中では瓶詰などがゴチャゴチャと冷たく光っていよう有様なぞ、思ってみても大変な興味が湧きます それを片付けているその家の人達や、通りがかりにジロリと見て通ってゆく人々等、僕はそういうものへの興味――というよりは寧ろ一種の愛着ですが、その愛着をどう説明していいか分りません
カラリと晴れた空の前のその倒れた家は、多分沢山のファンテジイを与えてくれることでしょう 尤もそういう喜びは、極く短時間のもので、おまけにめったに遭遇することが出来ませんから、そういう喜びの蒐集が何々蒐集と名前の付くものとはなりませんけれども、もしそれが名前のつくものとなる程のものであったら、ホフマンもゴーゴリもチャップリンも、無用の長物になるかもしれないと思います
――こう書けば少々オッタマゲタようにも見えましょうが、僕としてからがかなり厳粛な話で、ただその「愛着」の特性を自分でもよく何と言うべきかを知らないだけが、オッタマゲタ感じを与えることともなるのだと思います
扨て詩集のこと、増刷を承知ならば自費の形でなくもよいことに、なるべくはそうしていただきたく思います
16日附のお手紙では、200部の中売出せるのは140・50部と聞いて本屋氏考えこんだ由ありましたので、増刷承知なら全部引受けてくれることとして御返事書きましたが、18日附けのお手紙では自費出版の形にすることとした上でのお手紙になっていますから、ここも行違いにて、一寸御返事しにくく感じていますが、何れにしても出したいと思っておりますし、増刷承知として全部引受けて貰うことが叶いません場合は勿論自費出版の形で出したいと思います その節は申兼ますがお立替お願いしていただきます
自分で持って上京すればよいのでありますが、実は先日これは自分の詩集の出版ではなく、出版業なるものを始めようと考え母にその資本をねだったのでありますが、相手にしてくれず、その時しまいに怒鳴ってしまいましたので、恰度今ねだりにくくなっている次第ですから、宜敷お願いします
猶推薦文は本屋の出版となるにしても自費出版となるとしても使いたく思います
右御返事旁々お願迄 子供が生れ次第上京致します
9月21日 中也
安原喜弘様
追伸、二ちゃんへの手紙直ちに出しておきます
(講談社文芸文庫「中原中也の手紙」より。「行アキ」を加えてあります。編者。)
◇
詩人は母堂に「出版社をはじめたい」と
大胆な提案をしたようですが
受け入れてもらえませんでした。
出版交渉が成立して
支払いが必要ならば「立て替えておいて」と頼めるのは
安原であればこその関係でした。
◇
山陰地方は
台風の通り道でもあったのですね。
これは、有名な「室戸台風」に襲われた時のことです。
その爪痕(つめあと)をカランコロンと行く詩人に
見えてくるものが
こちらの方にも乗り移って見えてくる描写が鮮やかです。
無惨なるものを凝視しようとする
見ておかなくては済ませない
それは、見たくなるものであり
それを「愛着」と言わず
ほかに名づけようにない……。
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