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「白痴群」前後・幻の詩集7「処女詩集序」補足

「処女詩集序」の読みに
少しでもヒントになりそうな詩があります。
 
(かつては私も)という題名のない詩で
「ノート1924」の使用されていないページに書きつけられてありました。
※題名のない作品は、第1行を( )の中に取って示す慣例です。
 
少し寄り道になりますが
この詩を読んでおきましょう。
 
 
(かつては私も)
 
かつては私も
何にも後悔したことはなかった
まことにたのもしい自尊のある時
人の生命(いのち)は無限であった
 
けれどもいまは何もかも失った
いと苦しい程多量であった
まことの愛が
いまは自ら疑怪なくらいくるめく夢で
 
偶性と半端と木質の上に
悲しげにボヘミヤンよろしくと
ゆっくりお世辞笑いも出来る
 
愛するがために
悪弁であった昔よいまはどうなったか
忘れるつもりでお酒を飲みにゆき、帰って来てひざに手を置く。
 
 
二つの詩の内容は類似しており
この詩を書いた後に
「処女詩集序」が書かれたものと推定されています。
 
 
この詩では「かつて」や「その日」は
 
第1連、
何にも後悔するようなことはなかった
実に頼もしく自分を信頼していて
人の生命は無限であると思っていた(ほどだった)
 
第2連、
非常に苦しいほど多量にあった
本当の愛
 
第4連、
愛しているために
悪口ばかりをぶつけていた昔
 
――などと歌われていました。
 
これらがすべて失われた今、
そんな昔が存在したのかと疑いたくなるほど「くるめく夢」のよう。
 
ところが後半に入った第3連には
 
偶性と半端と木質の上に
悲しげにボヘミヤンよろしくと
ゆっくりお世辞笑いも出来る
 
――と「意味不明」のダダっぽい詩句が現われます。
 
 
「ボヘミヤン」の評判を逆利用して
上手に世間を渡ることもできるようになった現在ですが……
 
忘れるつもりで酒を飲みにいって
帰ってくるなり膝に両手を置いて
ひとり後悔の底に沈むのです。
 
 
詩人はここでもまた、
泰子を失った苦しみの中にいます。
この中から、詩人は歌いはじめるのです。
 
……となると
「失恋」の中から
歌を歌いはじめた詩人というイメージが濃くなっていくのは当たり前です。
 
 
 

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