中原中也の詩に現われる色の色々6
その1
「ノート小年時」は
昭和2年から同5年6月15日まで
中原中也が使用していたと推定されているノートで
16篇の詩が記されてあります。
鉛筆で「小年時」とノートの表紙に書かれていることから
角川全集編集者が呼び習わしたものです。
アルチュール・ランボーの散文詩「少年時」に因(ちな)んで
ネーミングしたことがあきらかですが
中原中也は「少年時」というタイトルの詩を二つ書いたり
「山羊の歌」の第2章の章題とするなど
少年(小年)時代への強いテーマ意識(愛着)を持っていたことが知られています。
◇
未発表詩篇「ノート小年時」に現われる「色」を
ピックアップしてみましょう。
「冷酷の歌」
恰度紫の朝顔の花かなんぞのように、
人は思いだすだろう、その白けた面の上に
「倦怠」
この真っ白い光は、
「夏は青い空に……」
夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、
青空は、白い雲を呼ぶ。
白き雲、汝(な)が胸の上を流れもゆけば、
「木陰」
夏の昼の青々した木陰は
「夏の海」
浪は金色、打寄する。
「追懐」
私は此処にいます、黄色い灯影に、
「夏と私」
真ッ白い嘆かいのうちに、
真ッ白い嘆きを見たり。
◇
16篇のうちの3~4割が
後で推敲されて発表されていますから
「生前発表詩篇」の中の詩の異形態であり
見覚えのあるものが随分あります。
「色」という角度では
特に目立つものはありませんが
だからといって「ノート小年時」によい詩が少ないなどということを帰納できるものではなく
またその逆を言えるものでないことを
くれぐれもカン違いしないでください。
◇
その2
「早大ノート(1930年―1937年」には
およそ7年の間に制作された42篇の詩が収められています。
すべての詩は未発表です。
ノートは第1ページから最終ページへと
整然と書き進められたものではなく
日時によってあっちこっちから書き起こされた形跡があって
これに全集編集委員会は綿密な考証を加えた結果
第1詩群=昭和5年9月~同6年9月中旬(制作推定)
第2詩群=昭和6年9月22日~同6月10日(制作推定)
第3詩群=昭和7年(制作推定)
第4詩群=昭和7年秋~同11年9月(制作推定)
第5詩群=昭和11年9月末~同11年10月1日(制作推定)
第6詩群=昭和12年4月15日~同12年5月14日(制作推定)
――という六つの詩群に分類しました。
第5詩群は、「酒場にて(初稿)」「酒場にて(定稿)」の2篇、
第6詩群は、「こぞの雪今いづこ」の1篇だけしかありませんが
「晩年」の作品を含んでいるということに引かれます。
「こぞの雪今いづこ」は
長男・文也死後に作られた詩です。
◇
これらの詩の中に現われる「色」をピックアップしましょう。
「干物」
外苑の舗道しろじろ、うちつづき、
「いちじくの葉」
いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、
夕空に、くろぐろはためく
(風のたよりに、沖のこと 聞けば)
しらじらと夜のあけそめに、
雨風に、しらんだ船側(ふなばた)、
「悲しき画面」
それは、野兎色のランプの光に仄照(ほのて)らされて、
(吹く風を心の友と)
げんげの色のようにはじらいながら遠くに聞こえる
(秋の夜に)
世界は、呻き、躊躇し、萎み、
牛肉のような色をしている。
「コキューの憶い出」
あかあかと、あかあかと私の画用紙の上は、
「細 心」
白の手套(てぶくろ)とオリーヴ色のジャケツとを、
「秋の日曜」
青い空は金色に澄み、
(汽笛が鳴ったので)
白とオレンジとに染分けていた。
空は青く、飴色(あめいろ)の牛がいないということは間違っている。
僕の眼も青く、大きく、哀れであった。
(南無 ダダ)
青い傘
植木鉢も流れ、
◇
42篇にしては
「色」が現われる詩の数は少なく
その中でも目を引くのは
野兎色のランプの光
牛肉のような色
青い空は金色に澄み
――くらいでしょうか。
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