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中原中也の草々花々(くさぐさはなばな)2「山羊の歌」から

中原中也の詩に現われる「花や草」(植物)を
ピックアップしていきます。
どれほどの頻度で現われるのかを見ながら
どのように現われるか、なぜ現われるのかなど
若干の考察も交えてみましょう。
 
<山羊の歌>
 
「凄じき黄昏」
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。
 
「逝く夏の歌」
並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
 
「夏の日の歌」
夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
  焦(こ)げて図太い向日葵(ひまわり)が
  田舎(いなか)の駅には咲いている。
 
「夕 照」
原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。
 
「ためいき」
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。
 
野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
 
「春の思い出」 
摘み溜(た)めしれんげの華(はな)を
  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
    土の上(へ)に叩きつけ
 
いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍(たた)きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)
 
「少年時」 
麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。
 
「盲目の秋」
その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。
 
私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
 
※人生の谷間のような時期に見えた「花」のようです。
 
「木 蔭」
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭(こかげ)は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる
 
「夏」
 
血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆけさ
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩(まぶ)しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くようなせつなさに。
 
「心 象」
松の木に風が吹き、
踏む砂利(じゃり)の音は寂しかった。
暖い風が私の額を洗い
思いははるかに、なつかしかった。
 
草靡く
丘を越え、野を渉(わた)り
憩(いこ)いなき
白き天使のみえ来ずや
 
※「木蔭」も「夏」も「心象」も、
連を丸ごと読んで「草」が重要なファクターであることがわかります。
 
「みちこ」 
そなたの胸は海のよう
おおらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
松の梢(こずえ)をわたりつつ
磯白々(しらじら)とつづきけり。
 
「つみびとの歌」
わが生(せい)は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
 
かくてこのあわれなる木は、
粗硬(そこう)な樹皮(じゅひ)を、空と風とに、
心はたえず、追惜(ついせき)のおもいに沈み、
 
懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草(しぐさ)をもち、
人にむかっては心弱く、諂(へつら)いがちに、かくて
われにもない、愚事(ぐじ)のかぎりを仕出来(しでか)してしまう。
 
※「わが生」が「このあわれなる木」と喩(たと)えられています。
 
「秋」
昨日まで燃えていた野が
今日茫然として、曇った空の下につづく。
一雨毎(ひとあめごと)に秋になるのだ、と人は云(い)う
秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、
草の中の、ひともとの木の中に。
 
草がちっともゆれなかったのよ、
その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。
 
「生い立ちの歌」
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
 
「時こそ今は……」 
         時こそ今は花は香炉に打薫じ
                 ボードレール
 
時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。
 
いかに泰子(やすこ)、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情(なさ)け、みちてます。
いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青の
空もしずかに流るころ。
いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛なよぶころ
花は香炉に打薫じ、
 
※永遠の恋人・長谷川泰子は「花」そのものです。
 
「憔 悴」
汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな
やがては全体の調和に溶けて
空に昇って 虹となるのだろうとおもう……
 
 
「山羊の歌」を一気に読んでみましたが
文脈の中に根付いてしまっていることがほとんどで
花や草そのものだけを抽出することができません。
 
「花より草木」で草木の方が圧倒的に頻度が高いということがわかったのも
一つの大きな発見でした。
 
「花」が現われたのは、
「夏の日の歌」の向日葵(ひまわり)
「春の思い出」のれんげの華(はな)
「盲目の秋」の紅(くれない)の花、曼珠沙華(ひがんばな)
「時こそ今は……」でボードレールからとった「時こそ今は花は香炉に打薫じ」の「花」でした。
 
前回に見た
「春の夜」の一枝(ひとえだ)の花、桃色の花
「臨 終」の百合花(ゆりばな)を含めて
「山羊の歌」44篇中に「花」は6篇に登場するだけです。
 
 
 
 

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