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忍 耐

 
           或る夏の。
 
菩提樹の明るい枝に
病弱な鹿笛の音は息絶える。
しかし意力のある歌は
すぐりの中を舞いめぐる。
血が血管で微笑めば、
葡萄の木と木は絡まり合う。
空は天使と美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出だ! 光線(ひかり)が辛いくらいなら、
苔の上にてへたばろう。
 
やれ忍耐だの退屈だのと、
芸もない話じゃないか!……チェッ、苦労とよ。
ドラマチックな夏こそは
『運』の車にこの俺を、縛ってくれるでこそよろし、
自然よ、おまえの手にかかり、
ーーちっとはましに賑やかに、死にたいものだ!
ところで羊飼さえが、大方は
浮世の苦労で死ぬるとは、可笑(おか)しなこった。
 
季節々々がこの俺を使い減らしてくれればいい。
自然よ、此の身はおまえに返す、
これな渇きも空腹(ひもじさ)も。
お気に召したら、食わせろよ、飲ませろよ。
俺は何にも惑いはしない。
御先祖様や日輪様にはお笑草でもあろうけど、
俺は何にも笑いたかない
ただこの不運に屈托だけはないように!

 

 

 


ひとくちメモ その1

「忍耐」Patienceは、
現在の研究では
「忍耐の祭」というタイトルの「組詩」の第1番詩として知られます。

これは
メッサン版「ランボオ詩集」に収められた
ランボーの自筆原稿のファクシミレで明らかになっていることです。

「五月の旗」
「最も高い塔の歌」
「永遠」
「黄金時代」(中原中也訳は「黄金期」)
――の四つの詩は、
一つの詩「忍耐の祭」を構成するもので
この中の、第1番の詩「五月の旗」が
中原中也訳の「忍耐」に相当することが分かっているのです。

中原中也が原典とした第2次ベリション版は
この組詩とは異なる
もう一つのランボーの自筆原稿を採用したために
「忍耐」のタイトルとなりました。

メッサン版「忍耐の祭」の単位詩である「五月の旗」と
第2次ベリション版の「忍耐」とは、
内容に異同はなく
「五月の旗」の末尾に「1872年5月」とあり、
「忍耐」には、
それがない代りに
タイトルに但し書き「或る夏の。」が付加されているという違いがあるだけです。

この詩も
1872年5月制作の詩群という
西条八十の案内が
分かりやすいアプローチとなります。

「忍耐」は
しばしば引き合いにされる
大岡昇平の広く知られた証言の中で
「名指し」される詩の一つです。

私は昭和三年、二か月ばかり中原からフランス語を習った。飲み代を父から引き出すための策略だが、「ランボオ作品集」をテクストに、一週間の間に各自一篇は訳して見せ合った。私の記憶では中原が「飾画」(「イリュミナシオン」のこと)を、私が「初期詩篇」を受持った。彼は「眩惑」「涙」などを、私は「谷間の睡眠者」「食器戸棚」「夕べの辞」「フォーヌの顔」「烏」「盗まれた心」を訳し、二人で検討した。
(旧全集「解説」)

小林が奈良へ行ったあと、代りに中原にフランス語を教わることにしていた、いや何も習うことはないけれど、親父から飲み代を出させるためです。一週間の間にランボーやネルヴァルを一篇か二篇訳して、二人で見せっこする。僕が初期詩篇をやり、彼は「イリュミナシオン」の中の行分け詩をやっていた。それぞれ気に入った、そして未訳のものをやった。彼はたしか「蹲踞」「忍耐」「カシスの川」を持って来たと思います。僕は「烏」「盗まれた心」「フォーヌの顔」「夕べの辞」などをやった。
(大岡昇平全集第18巻)

――と大岡昇平は、
別の機会に、同じことの記憶を証言していますが、
例示された詩のタイトルは、
両証言で微妙に変化しています。

それぞれの書物の編集段階で、
証言を再検討した形跡がうかがえますが、
「忍耐」が登場するのは
「大岡昇平全集」のほうですから
こちらのほうが、より事実に近いものと言えるのかも知れません。

※上記二つの引用は、「新全集・第3巻翻訳・解題篇」からの「孫引き」です。編者。

「忍耐」は
大岡昇平と中原中也の「勉強会」の中では
中原中也担当の詩でした。

 

担当するほどに
より得意だった詩であるといえますが
二人の間でのことです。

ひとくちメモ その2

「忍耐」Patienceは、
1872年5月に制作されました。

この日付けと
タイトルの「ただし書き」に
「或る夏の。」とあるのと
何か関係があるのでしょうか……?

菩提樹は、
シューベルトの「冬の旅」に出てくることで
広く知られている落葉高木ですから
「泉に沿いて、繁る菩提樹♪」のイメージでこの場合もよく、

その菩提樹の明るい枝振りの中に
病弱な鹿笛(ししぶえ)の音は消える。

狩人(かりうど)が
鹿の鳴き声を真似て
鹿をおびき寄せては捕まえるという狩猟法は
世界各地に見られますが
その鳴き声を出す笛があって
鹿の鳴き声というのは
どことなく淋しい響きがするもので
それを「病弱な」と
中原中也は訳しました。

しかし、力のこもった歌は
スグリの茂みの中を舞い巡るのだ。

「意力のある歌」とは
まさしく
シューベルトの「冬の旅」に現れる
旅人の口ずさむ歌みたいな
心のこもった歌のことでしょう。

血が血管を勢いよく流れれば、
葡萄の木と木とは絡まり合う。

空は天使さながら美しく、
空と波とは聖体拝受。

外出しよう! 光線が辛いほどなら、
苔の上でくたばってしまおう。

光線(ひかり)あふれる自然の賛美。
外気の中で
くたばってしまってもかまうもんか! という詩人の声がします。

やれ忍耐だ退屈だなどと、
芸のない話じゃないか! ……ちぇっ、ご苦労なこと。
ドラマチックな夏こそは
「運」の車に、この俺を縛ってくれればそれでよし、
――ちょっとはましに、賑やかに、死にたいもんだ!
ところで羊飼いさえが、おおかたは、
浮世の苦労で死んでいるとは、変じゃないか。

季節季節が、この俺を使いきってくれればいいんだ。
自然よ、この身はお前に返す、
このような渇きも空腹感もだ。
(その代わり)気に入ったなら、食わせろよ、飲ませろよ
俺は、何物によってもブレはしない。
ご先祖様や、お天道様には笑われちゃうかもしれないが、
俺はなんにも笑いたくはない
ただこの不運にひねくれることはするまい!

ランボーが
これを歌っていたとき
「地獄の季節」にあったことを
想像することは
むずかしいことではありません。

第1連も
第2連も
最終連も
自然への渇仰がにじんでいます。

なお、第1連第7、8行の原詩は

Le ciel est joli comme un ange,
L'azur et l'onde communient.

 

――です。
ここに「聖体拝受」を意味する
Communion(コミュニオン)の類語がありますから
中原中也はここでも
訳出に工夫を凝(こ)らしていることが分かります。

ひとくちメモ その3

「忍耐」Patienceの原詩
第1連第7、8行

Le ciel est joli comme un ange,
L'azur et l'onde communient.

――を、他の訳が気になりましたから
少し、当たってみることにします。

まずは、
同時代訳の小林秀雄訳は
「堪忍」のタイトルで、

空は天使の容姿に霽れ渡り、
「紺碧」は「潮」と流れ合ふ。

西条八十は
「五月の軍旗」のタイトルで、

大空は天使のように美しい。
空の青と波とは溶け合う。

渋沢孝輔は
「五月の軍旗」のタイトルで、

空は天使のような美しさ。
青空と波とが通じ合い、

粟津則雄は
「五月の軍旗」のタイトルで、

空は天使のように美しい。
蒼空と波の心はひとつだ。

金子光晴は
「忍耐」のタイトルで、

天使さまのように、空は清らかだ。
青空と潮はながれあう。

鈴木創士は
「五月の旗」のタイトルで、

空は天使のようにきれいだ。
蒼穹と波の心はひとつになる。

宇佐美斉は
「五月の旗」のタイトルで、

空は天使のようにきれいだ
青空と波とは一体となる

以上のように
それぞれ個性的な翻訳を試みていて
訳語の選択や句読点の有無、
行の構成、連の中での位置付けなどと
微妙に違いがあることが分かります。

詩全体を読み比べれば
この違いはさらに
際立ちますし、
タイトルの付け方で
メッサン版か、メッサン版以前か
原典の違いまでを推察することができます。

詩(の翻訳)もまた、
時代の産物と言えるのでしょうか――。

こうした翻訳の中にあって
中原中也の訳は
「聖体拝受」という語を使い
Communionと重ねていて
極めて異例ですが
「勇敢」です。

訳に勇敢さがあり
イメージを具体的に喚起させようと工夫している感じです。

 

堂々としています。

ひとくちメモ その4

中原中也訳の「忍耐」Patienceは
同時代訳に小林秀雄の「堪忍」がありますから
それを読んでおきます。

小林秀雄の
数少ない韻文詩訳の一つです。

昭和8年に
江川書房から出した
「アルチュル・ランボオ詩集」収録のものは
ルビが多過ぎて読みにくいので
昭和23年、人文書院から発行した
「ランボオ詩集」収録のものを読みます。

小林秀雄訳のこの「ランボオ詩集」には
ほかに
「酩酊船」
「渇の喜劇」(「親」「精神」「友達」「あはれな想ひ」「くゝり」で構成)
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」があり
「堪忍」を含めて計5篇が韻文詩として収録されています。

 堪忍

 小林秀雄訳

           ある夏

鹿を追い詰めた猟人(かりうど)の
病み耄(ほう)けた合図の声は、
菩提樹の朗かな枝に消え、
霊(こころ)の歌は隈もなく
すぐりの実をひるがえす。
脈管の血よ、笑うがいい、
山葡萄は蔓を交えて立ちはだかる。
空は天使の容姿に霽れ渡り、
「紺碧」は「潮」と流れ合う。
俺は行く。光がこの身を破るなら、
青苔(あおごけ)を藉りて死ぬもよい。

堪忍(かんにん)もした、退屈もした、
想えば何とたわいもない、
糞いまいましい気苦労だ。
芝居がかったこの夏の
運命の車に縛られて
ああ、「自然」、どうぞお前の手にかゝり、
ちったあましに賑やかに、死にたいものだ。
見たところ、羊飼い奴らまでが、
浮世の故にくたばるとは
珍妙なことじゃないか。

「季節」がこの身を使い果してはくれまいか。
「自然」よ、この身はお前に返す、
俺の‘かつえ’も‘ひもじさ’も。
気が向いたなら食わしてやってくれ、飲ましてやってくれ。
何一つ俺を誑(たぶらか)すものはない、
御先祖様やお日様には
お笑草かもしれないが、
俺は何にも笑うまい、
ああこの不幸には屈託がないように。

※人文書院「ランボオ詩集」(昭和23年)より。新漢字を使用し、現代表記に改めました。‘かつえ’と‘ひもじさ’は、原作では傍点になっています。編者。

昭和27年、人文書院発行の第1次「ランボオ全集」を
ここでついでに見てみると、
「忍耐の祭」は組詩として扱われ
一 五月の軍旗(中原中也訳)
二 最も高い塔の歌(同)
三 永遠(同)
四 黄金時代(平井啓之訳)
――の構成です。

小林秀雄が訳した韻文詩は
「オフェリヤ」
「谷間に眠る男」
「渇の喜劇」
「朝のよき想念」
「食事にとつた飼鳥の」
――の計5篇が載っています。

 *

 忍耐

               或る夏の。

菩提樹の明るい枝に
病弱な鹿笛の音は息絶える。
しかし意力のある歌は
すぐりの中を舞ひめぐる。
血が血管で微笑めば、
葡萄の木と木は絡まり合ふ。
空は天使と美しく、
空と波とは聖体拝受。
外出だ! 光線(ひかり)が辛いくらゐなら、
苔の上にてへたばらう。

やれ忍耐だの退屈だのと、
芸もない話ぢやないか!……チエツ、苦労とよ。
ドラマチックな夏こそは
『運』の車にこの俺を、縛つてくれるでこそよろし、
自然よ、おまへの手にかゝり、
――ちつとはましに賑やかに、死にたいものだ!
ところで羊飼さへが、大方は
浮世の苦労で死ぬるとは、可笑しなこつた。

季節々々がこの俺を使ひ減らしてくれゝばいい。
自然よ、此の身はおまへに返す、
これな渇きも空腹(ひもじさ)も。
お気に召したら、食はせろよ、飲ませろよ。
俺は何にも惑ひはしない。
御先祖様や日輪様にはお笑草でもあらうけど、
俺は何にも笑ひたかない
たゞこの不運に屈托だけはないやうに!

 

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。


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