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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和10年1月12日

「山羊の歌」は出版され
売れ行きは詩集にしては悪くはなかったようでした。
 
少し前に戻りますが
安原は「手紙83」へ寄せたコメントで
 
 売行はなかなかよかったようである。然しながら当時この詩集に対する反響は殆ど見られなかった。一つの新聞も一つの雑誌も、一人の詩人も一人の批評家もこれを採り上げるものなく、当時1行の紹介文も寡聞にして私は見聞しなかった。それがこの当時の詩人の運命であった。以て当時の詩人の境涯が容易に想像されよう。ただしあとで知ったことだが、友人の小林秀雄が「文学界」の翌年1月号に短い紹介文を書いたということである。
 
 これについて私は今にありありと思い出すのであるが、この詩集が出版されて僅か1週間程してのこと、或日私は神田の古本屋の店先で「山羊の歌」を見出したのである。それは詩人自らによって文壇・詩壇の知名士に寄贈されたもののうちの貴重なる1冊であった。それには詩人の達筆で墨黒々と「室生犀星様 中原中也」と記されてあるのだ。私は其時言い様なき怒りが全身を馳け廻るのを暫し如何とも出来なかった。
 
――と報告しました。
 
詩人への無理解、不遇を憤る口調はいつになく激越です。
 
 
これは、11月15日の手紙へのコメントですが
この時点で「山羊の歌」への反響は出ていないはずです。
「山羊の歌」が市販され
実際に本屋の店頭に並び始めたのは
12月29日以降(「新全集」)です。
 
このように書いたのは
「中原中也の手紙」の著者・安原喜弘が
「山羊の歌」が市販を開始された後の反響を聞き知って
11月15日の手紙に付したコメントとして読む必要があります。
 
ここは時系列の報告になっているわけではなく
この本のための「編集」ということになります。
 
 
市販開始直後の反響はそうであったし
中原中也への世間および詩壇・文壇およびジャーナリズムの「評価」が
不当に低いことを安原は訴えたのですが
いっぽう「山羊の歌」の詩人として
中原中也の名はじわじわと広まり
活動は多忙になっていったことも事実でした。
 
活動への報酬が微々たるものであるにもかかわらずです。
 
 
昭和10年になって
初めて安原に出した手紙はまだ山口からのものです。
 
今度の帰省は
ランボオの翻訳があり
その仕事を当地で済ませる計画でした。
 
 
「手紙85 昭和10年1月12日 (はがき)」(新全集は「165」) 山口市 湯田
 
其の後如何お暮しですか 7日の青い花同人会には出席されましたか 古谷に詩集送るのを忘れていましたが春に上京の時送ろうと思っていますからお会いの節は一寸御伝え願います 詩集はその後売れたかどうか伊藤さんからは何の返事もありません 京都のそろばん屋にも行ってはいないのではないかと思っています 
 
病人は立枯れつつあり赤ん坊は太りつつあります 活動写真が沢山見たくて仕方ありません 今色んなものが書けます それで翻訳の方はどうも怠りがちでどうせ締切前に馬車馬になる運命だろうと妙な覚悟です 
 
本日萩の蒲鉾お送りしましたから御笑味下さい
御健康祈ります                 怱々
 
 
「青い花」は、
昭和9年12月に創刊された文学同人誌。
第1号で休刊します。
檀一雄の紹介で詩人は同人になりました。
安原も中也の薦めで創刊同人になりました。
ほかに太宰治、津村信夫、木山捷平、森敦らの名前があります。
 
「紀元」「文学界」「四季」「歴程」など
これまで発表してきたメディアはもとより
新しい動きにアンテナをはって
積極的に関わろうとする姿勢のようなものが見えます。
 
「今色んなものが書けます」という通り
この手紙を書いた前日(1月11日)には
(おまえが花のように)
「初恋集」
「月夜とポプラ」
「僕と雪」
「不気味な悲鳴」
――の5作を制作しました。

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