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「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年7月20日、30日

その1
 
安原喜弘の「中原中也の手紙」では
季刊「四季」への詩の寄稿の経緯が詳(つまび)らかではありませんが
「四季」への掲載を開始した頃、
詩人は活発に同人誌への関わりを強めていきます。
その一つが「紀元」でした。
(同人誌「半仙戯」へ「春の日の夕暮」を寄稿したのは6月です。)
 
 
「手紙57」ですでに
『文芸万才(ママ)』(9月創刊予定)の同人となりました、随分大勢で20人くらいです 一生懸命温(おとな)しくしています
――と書いた、この「文芸万才」が「紀元」のことでしたが
 
「手紙62 7月20日 (封書)」
「手紙63 7月30日 (はがき)」では
続けて、専(もっぱ)ら「紀元」創刊に向けた進行の具体的な話が書かれます。
 
詩人はこの同人誌のほぼ中心に位置して
作品掲載の勧奨や編集雑事にいたるさまざまな世話で奔走しています。
 
 
「手紙62 7月20日 (封書)」 (大森 北千束)
 
先日は失礼
『紀元』に富永の這入ることすっかりみんなに了解を求めました。安吾も承知です。
 
君も這入るかも知れないといって了解を求めておきました。それでもし這入られるならば、23日午後6時(但し7時頃になりましょう)菊正に来ませんか。当日の会費1円。そしてその日までなら8円にて、7月分までの同人費全部済のこととなるのだそうです。
 
雑誌が続きさえすれば、是等顔ぶれにても結構第二の川端が出、横光が出るというものなんだろうと思っています。別に五月蝿(うるさ)いこともないのですから、ともかく這入ってみられればよいと思います。
 
富永にはこれと同時に手紙出しますが、もし会われることがあったら、よろしく話して下さい(戯曲ならばテアトル・コメディに同人よりわたりをつけられるという人もありました。)
 
奈良の長谷川は遂々(とうとう)開店しました。あいつも同人になるかもしれません。
    廿日                   怱々
                            中也
 
 
「手紙63 7月30日 (はがき)」 (大森 北千束)
 
昨日あれから同人に会いましたら、5日は2、3人しか集らないから、15日がいいと言っていました。15日は雑誌の出来上る日で、全部集る筈になっているのです。
                     右まで
原稿締切は毎月15日です。
 
(※改行を加え、洋数字に変えてあります。編者。)
 
 
安原喜弘も、やがては詩人の強い勧めに応じた形で
「紀元」同人になり
評論などを寄稿するほど身をいれることになります。
 
この二つの手紙に、
 
雑誌「紀元」は坂口安吾を中心とする若い人達の集りであった。それらの人々は凡て詩人の過去の歴史とは何ら直接の係りのない人達であり、唯温い労りの心と一種尊敬の念を以て謂わば再び小児の心に帰った詩人の魂を温く包むかの如くであった。
――などとコメントします。
 
 
詩人らは富永次郎へも働きかけますが
富永は同人になりませんでした。
 
安原喜弘と中原中也は
こうしてしばらくは「紀元」同人として活動します。
 
 
その2
 
「新編中原中也全集」の「中原中也年譜」(加藤邦彦作成)によると
中原中也が銀座「きゅうべる」で行われた「紀元」発刊準備会に出席したのは
昭和8年5月10日。
 
詩人による小自伝「詩的履歴書」にも
昭和8年5月、偶然のことより文芸雑誌「紀元」同人となる
――と記されているのはよく知られたことです。
 
この会で牧野信一を知ったのですが
牧野から入会を勧められたのでしょうか
それとも、ほかのだれかからだったのでしょうか
坂口安吾自らの勧めもあったのでしょうか
「偶然のこと」で詩人は「紀元」同人になりました。
 
 
大岡昇平によれば
 
「紀元」には坂口安吾も加わっていたが、坂口自身はすでに「竹藪の家」「黒谷村」などで新進作家としての位置を確立している。むしろその友人や後輩の集団なので、中原としてはやや身を落した感じである。小説家志願の集りで、詩人は異例なのだが、安原喜弘、富永次郎など、昔の「白痴群」同人を誘い、編集会議などによく出席していたようである。
(「中原中也全集」「評論・小説」解説より。)
 
――という「紀元」の位置づけですが
これを書いたのは1968年2月のことでしたから
「情報不足」からか、
詩人の関わり具合や役割については過小評価の観が否めません。
 
 
詩人は「今度の号は僕が編輯」とか「編輯主任の私宅」とかと自らいい
それなりの裁量権を行使していたようですし
ランボーの翻訳では
「紀元」はメーンの舞台となりました。
創刊準備の頃から「紀元」に関わり
途中で同人をやめますが
昭和11年7月号まで寄稿を続けます。
 
 
安原は詩人の「変化」に何度も目を丸くしますが
「これがかつての世にも人づきあいの悪いあの中原中也と同じ中原中也であろうかと目を疑うほどの変わりように驚き入るばかりであった。」(「手紙63 7月30日」へのコメント)と
ここでも「驚き」の色を隠しません。
 
 
「紀元」に発表された創作詩を見てみましょう。
 
<山羊の歌>収録の詩
「サーカス」
「春の夜」
「秋の一日」
「凄じき黄昏」
「夏の日の歌」●
「春の思い出」
「汚れっちまった悲しみに……」
「つみびとの歌」
「秋」
 
<在りし日の歌>収録の詩
「月」●
「骨」●
 
(※●は、「紀元」が初出。編者。)
 
 
安原は「紀元」に小説「汚い目」「ミスタ・Q」や
評論「文学界の動向」「祖国日本に帰へりて」「自涜精神を撲滅せよ」を発表したほか
詩人の勧めに応じて雑誌「青い花」の同人にもなるなど
「成城騒動」の余波に乗ったかのように
この頃、文筆活動を旺盛に行っていました。
 
 
富永次郎は「紀元」同人とはならず
成城学園の加藤英倫が同人となります。

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