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「白痴群」前後・幻の詩集2「夜寒の都会」

「夜寒の都会」は
昭和2年1月制作と推定されている詩です。
 
使用されている原稿用紙が
「少年時」(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息をした)と同じであり
筆記具もインクも同じであることからの推定です。
 
 
夜寒の都会
 
外燈に誘出(さそいだ)された長い板塀(いたべい)、
人々は影を連れて歩く。
 
星の子供は声をかぎりに、
ただよう靄(もや)をコロイドとする。
 
亡国に来て元気になった、
この洟色(はないろ)の目の婦(おんな)、
今夜こそ心もない、魂もない。
 
舗道の上には勇ましく、
黄銅の胸像が歩いて行った。
 
私は沈黙から紫がかった、
数箇の苺(いちご)を受けとった。
 
ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った。
 
 
一読してダダっぽい表現に満ちていますが
「都会」を歌った詩であることが確かで
ではその都会とはどこのことかということになります。
 
当然、東京がまず挙げられますが
京都ではないか、
横浜ではないかという想像もあっておかしくはありません。
 
 
この詩の中から
都会を表わす言葉を探して
その都会を特定できるでしょうか?
それは疑問です。
 
風景を歌っていることに変わりありませんが
比喩も「暗喩」に属し
特定は困難です。
 
外燈
長い板塀(いたべい)
星の子供
亡国、
洟色(はないろ)の目の婦(おんな)
ガリラヤの湖
天子
……
 
これらの「名詞」「地名」に
いくらかのヒントはありそうで
これらはどうも「横浜」の風物でありそうですが
断言できるものではありません。
 
こうして想像できるのは
京都時代のダダ詩を読む時にも似た
謎解きのスリルみたいな「快感」があるから不思議です。
 
 
街の風景があり――第1連(全連を風景と読むこともできます)
「星の子供」「おんな」「黄銅の胸像」が登場し――第2、3、4連
「私」がいて、イチゴを受け取る――第5連
 
一つひとつの営為は
「喩(ゆ)」によって指示されますから
意味に「幅(はば)」ができ
時には正逆に受け取るということも生じ
受け取り手の自由勝手な想像を制約しません。
 
このように「描写」された都会での経験が
私は沈黙からイチゴを受け取ったと解読できる第5連までは
なにやらこっぴどい仕業(しわざ)に遭った私=詩人の苦境を感じることができて
なんとかついていけますが……
 
最後の連、
「ガリラヤの湖」で「天子」が「呪った」
――というところで全くわからなくなります。
 
 
しかし、理解を寄せつけないというほどではなく
主語=「天子」が、述語=「呪った」であり、
「天子が呪った」という日本語が成立しているわけですから
「天子」とは何かがわかれば
最終連の意味は通じます。
 
詩全体は
「おんな」と「私」と「天子」の関係を歌っていることが見えてきそうです。
 
 
勝手な想像に頼るほかにありませんが
「新編中原中也全集」は
「天子」を「天使」のこととして
詩人がランボーの詩「黄金期」や「孤児等のお年玉」の翻訳で
「天子」を使っていることを紹介していますし
「夜寒の都会」と同じころに制作された「或る心の季節」に「天使」の用例があり
「地極の天使」には詩のタイトルに「天使」を使っていることを案内しています。
 
 
想像の羽根は
いくらでも広がっていきます。
 

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