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「山羊の歌」について

山羊の歌 (愛蔵版詩集シリーズ)

 「山羊の歌」は、中原中也が生きているうちに手にしたたった1冊の自選詩集です。1934年(昭和9年)末に発行されたとき、詩人は27歳。生まれて間もない長男文也を見るのは、製本されたばかりの「山羊の歌」の何冊かに献呈用のサインを入れ、郵送の手配を終えた足で東京駅から飛び乗った汽車が、翌日に山口県湯田温泉の実家へ着いてからのことでした。何度目の帰郷になるのでしょうか。この時も、「おまえは何をしてきたのだ──」という幻の声が聞えていたでしょうか。

 
 「山羊の歌」には、「大正十二年より昭和八年十月迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、それより夜の十二時頃迄歩くなり。」と後年「詩的履歴書」(1936年)に記したように、ダダイズムの詩「春の日の夕暮」に始まり、生命への讃歌である「いのちの声」までの中原中也の心の歴史がぎっしりと詰まっています。「大正十二年」(1923年)は「文学に耽けりて落第す。京都立命館中学に転校す。生れて始めて両親を離れ、飛び立つ思いなり」と書かれた時を指しますし、「昭和八年十月」(1933年)は上野孝子との結婚が決まった時を示しています。
 
 ピタリ10年間の足跡になりますが、この10年、詩人が歩き通したという場所は、京都、東京、横浜といった大都会であったことが特徴です。山口県の片田舎、ひなびた山村で生まれ育った詩人が歌った詩は、オルガンのようなビルが林立する都会の道を歩いて作られたものでした。それは、西行や芭蕉が荒野を行き山間の道を辿ったのに似た営みとさえ言い得るものでしょう。中原中也もまた歩く詩人でした。
 
 中也が足を棒にして歩いたのは、都会であったにもかかわらず、詩には季節、草原・海山、自然が満ち溢れています。昭和初期の都会には、まだ野原や小川や自然が残っていたからでもありますが、それは生地・山口県吉敷の自然とオーバーラップするように作られているからで、そのことで詩は厚みを増し単調さを排除します。
 
 詩人は、毎日歩き通したと記していますが、歩くのが目的でなかったことは言うまでもないことです。歩き通したその夜、詩人の言葉との格闘ははじめられます。電灯の明かりの下に白々と広がる原稿用紙を前に、その日探し当てた詩の切れ屑を手繰り寄せ、はじめの1行を書くのです。この書き出しの言葉が、詩の出来不出来を決定しますから、何枚も何枚も反古を生み、1行1行言葉を紡いでは打ち消し、何度も何度も推敲を加えて、ようやく一篇の詩が完成する頃には鶏鳴を聞くというような日がしょっちゅうありました。それでも完成しないこともあれば、1行も生まれないこともあったはずです。このようにして作られた詩が、時に、難しい言葉に満ちたものであっても、詩人が感じたところに感じてゆけば、詩はだれにでも読まれることになるはずです。

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