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太宰治にからむ中也 by檀一雄

その1

中也の歩行は、

たいていの場合、酒場で終着し、
たいていの場合、一騒ぎありました。

中原中也と交流のあった
多くの文学者、創作家がその一騒ぎについて書いています。

檀一雄の「小説 太宰治」から引用します。

――――寒い日だった。中原中也と草野心平氏が、私の家にやって来て、ちょうど、居合わせた太宰と、四人で連れ立って、「おかめ」に出掛けていった。初めのうちは、太宰と中原は、いかにも睦まじ気に話し合っていたが、酔が廻るにつれて、例の凄絶な、中原の搦みになり、
「はい」「そうは思わない」などと、太宰はしきりに中原の鋭鋒を、さけていた。しかし、中原を尊敬していただけに、いつのまにかその声は例の、甘くたるんだような響きになる。
「あい。そうかしら?」そんなふうに聞こえてくる。
「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きだい?」
太宰は閉口して、泣き出しそうな顔だった。
「ええ? 何だいおめえの好きな花は」
まるで断崖から飛び降りるような思いつめた表情で、しかし甘ったるい、今にも泣き出しそうな声で、とぎれとぎれに太宰は云った。
「モ、モ、ノ、ハ、ナ」云い終って、例の愛情、不信、含羞、拒絶何とも云えないような、くしゃくしゃな悲しいうす笑いを泛べながら、しばらくじっと、中原の顔をみつめていた。
「チェッ、だからおめえは」と中原の声が、肝に顫うようだった。
そのあとの乱闘は、一体、誰が誰と組み合ったのか、その発端のいきさつが、全くわからない。
少なくとも私は、太宰の救援に立って、中原の抑制に努めただろう。気がついてみると、私は草野心平氏の蓬髪を握って掴みあっていた。それから、ドウと倒れた。
「おかめ」のガラス戸が、粉微塵に四散した事を覚えている。いつの間にか太宰の姿は見えなかった。私は「おかめ」から少し手前の路地の中で、大きな丸太を一本、手に持っていて、かまえていた。中原と心平氏が、やってきたなら、一撃の下に脳天を割る。
その時の、自分の心の平衡の状態は、今どう考えても納得はゆかないが、しかし、その興奮状態だけははっきりと覚えている。不思議だ。あんな時期がある。
幸いにして、中原も心平氏も、別な通りに抜けて帰ったようだった。古谷綱武夫妻が、驚いてなだめながら私のその丸太を奪い取った。すると、古谷夫妻も一緒に飲んでいたはずだったが、酒場の情景の中には、どうしても思い起こせない。
(檀一雄「小説太宰治」岩波現代文庫より)

それにしても
青鯖が空に浮かんだような顔しやがって
には笑えますね。

中也はきっと
書かれた言葉の魅力に劣らない
喋り言葉の迫力をもっていたのでありましょう
機関銃のように飛び出す
言葉。

檀一雄はさらに続けます。
ここでは、
中也が太宰に「挑んだ」時、
そのとばっちりを受け、
やむなく中也を雪の道に放り投げたことが記されています。

――第二回目に、中原と太宰と私で飲んだ時には、心平氏はいなかった。太宰は中原から、同じように搦まれ、同じように閉口して、中原から逃げて帰った。この時は、心平氏がいなかったせいか、中原はひどく激昂した。
「よせ、よせ」と、云うのに、どうしても太宰のところまで行く、と云ってきかなかった。
雪の夜だった。その雪の上を、中原は嘯くように、
夜の湿気と風がさびしくいりまじり
松ややなぎの林はくらく
そらには暗い業の花びらがいっぱいで
と、宮沢賢治の詩を口遊んで歩いていった。
飛鳥氏の家を叩いた。太宰は出て来ない。初代さんが降りてきて、
「津島は、今眠っていますので」」
「何だ、眠っている? 起せばいいじゃねえか」
勝手に初代さんの後を追い、二階に上がり込むのである。
「関白がいけねえ。関白が」と、大声に喚いて、中原は太宰の消燈した枕許をおびやかしたが、太宰はうんともすんとも、云わなかった。
あまりに中原の狂態が激しくなってきたから、私は中原の腕を捉えた。
「何だおめえもか」と、中原はその手を振りもごうとするようだったが、私は、そのまま雪の道に引き摺りおろした。
「この野郎」と、中原は私に喰ってかかった。他愛のない、腕力である。雪の上に放り投げた。
「わかったよ。おめえは強え」
中原は雪を払いながら、恨めしそうに、そう云った。それから車を拾って、銀座に出た。銀座からまた、川崎大島に飛ばした事を覚えている。雪の夜の娼家で、三円を二円に値切り、二円をさらに一円五十銭に値切って、宿泊した。
明け方、女が、
「よんべ、ガス管の口を開いて、一緒に殺してやるつもりだったんだけれど、ねえ」そう云って口を歪めたことを覚えている。
中原は一円五十銭を支払う段になって、また一円に値切り、明けると早々、追い立てられた。雪が夜中の雨ににまだらになっていた。中原はその道を相変わらず嘯くように、
汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
と、低吟して歩き、やがて、車を拾って、河上徹太郎氏の家に出掛けていった。多分、車代は同氏から払ってもらったのではなかったろうか。

今や、遠き日のことです。
これを書いた檀一雄も逝って久しく
これら遠き日のことどもを知っている文士たちは、
おおかた死んでしまって、
この世にいません。

記録の中にしか存在しなくなった詩人たち、小説家たち、評論家たち…
その足跡を、しかし、
記録の中に辿ることができるだけでも、
この人々は幸せと言い得るのではないでしょうか。

ことあげもされずに、
死んでいった無名の詩人たちはいくらでもいます。

記録に残されなかった詩人たちの代わりにといってよいほどに
いろいろなところで
中也は書き記されました。

それはやはり偉大なことであります。

中原中也という詩人は
「喧嘩」一つが、
書かれる価値を持っていました。

その2

「第二回目に、中原と太宰と私で飲んだ時には、心平氏はいなかった。」と、

檀一雄が「小説 太宰治」に記し、
それに続けて語られた中原中也のある日のことは、
色々なことを考えさせられます。

檀一雄は、中也と飲んだ2回目の時を回想した中で
中也が太宰に「夜襲」をかけた1件を書きます。
太宰の住処を訪ねる道すがら、
中也が宮沢賢治の詩を口ずさんだことを記しています。

太宰の家に着き
「奥様」の初代さんの応対を無視して
太宰の寝ている枕元に上がり込んだ中也を見かねた檀一雄は
ついに雪の道に中也を投げ出してしまいます。
「わかったよ。おめえは強え」と
中也が観念する場面です。

それから、「二人は」銀座に出、その後川崎の娼家で夜を明かします。
翌朝、追い立てられるように外に出た雪の道で
中也は「汚れつちまつた悲しみに…」を口にします。、

「小説」とわざわざ檀一雄が断っている作品の中でのことですから
事実との間にはいくらかの断絶があるのかもしれません。

しかし
「汚れつちまつた悲しみに…」という詩が
この世の中に現れた時の
その登場の仕方の一つ形を
想像できるという点で
この場面は注目に値します。

中原中也が、
宮沢賢治の詩に感心し、
自らの詩作に影響を受けたことは
よく知られています。

その賢治の詩を口ずさみ
また
自作「汚れつちまつた悲しみに…」を低吟して歩く中也の姿は
実際にはなかったことなのかもしれませんが
強く印象に残るのです。
 
 

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