「草稿詩篇」(1933年〜1936年)について
「草稿詩篇」(1933年〜1936年)には、65もの詩篇が集められています。1933年は中也26歳の年。1936年は29歳の年。4年間の未発表詩篇です。
1933年は、「山羊の歌」が未だ刊行できず苦しい状態にありながらも「紀元」「半仙戯」「四季」などに詩やフランス詩の翻訳を発表、年末には結婚し、後に「青山学院」と呼ばれるようになる新宿・四谷の花園アパートに新居を構えるなどの転機が訪れた年です。1934年は長男・文也が誕生し「山羊の歌」がようやく出版された年。1935年は、文也の成長に喜びを感じる日々のなか「四季」「日本歌人」「文学界」「歴程」などに詩・翻訳などを盛んに発表、若き詩人・高森文夫との交友もはじめました。1936年は、引き続き「四季」「文学界」「紀元」などへ発表、詩人としての評価が高まりつつありました。しかし、この年の11月、長男・文也が急逝します。直後の12月には次男・愛雅(よしまさ)が誕生しますが……。
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