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倦 怠

 
へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、
まだ、それでも希望があるというのか?
(洗いざらした石の上(へ)に、
今日も日が照る、午後の日射しよ!)

市民館の狭い空地(あきち)で、
子供は遊ぶ、フットボールよ。
子供のジャケツはひどく安物、
それに夕陽はあたるのだ。

へとへとの、わたしの肉体(からだ)よ、
まだ、それでも希望があるというのか?
(オヤ、お隣りでは、ソプラノの稽古(けいこ)、
たまらなく、可笑(おか)しくなるがいいものか?)

オルガンよ! 混凝土(コンクリート)の上なる砂粒(さりゅう)よ!
放課後の小学校よ! 下駄箱よ!
おお君等(きみら)聖なるものの上に、
――僕は夕陽を拝みましたよ!

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)


 

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ひとくちメモ

「倦怠(へとへとの、わたしの肉体よ)」は
「詩人時代」の昭和11年(1936年)4月号に
発表されたのが初出で
同年2月中旬の制作と推定されていますが
草稿は現存しないので
この初出誌を
底本とすることになっている作品です。
 
「歴程」に寄せた
アンソロジー「倦怠輓歌」5作品の流れは
持続しています
メディアを移して
「詩人時代」に発表しても
倦怠=ケダイのメロディーは
引き続いて奏でられています。
 
この詩の作られた昭和11年(1936年)初頭の前後に
詩人はどのような状況にあったか
ここで
年譜を見ておきますと……
 
昭和10年(1935年) 28歳
4月、大島に一泊旅行。このころから翌年7月まで、高森淳夫が同居。
6月、日本歌曲新作発表会で「妹よ」「春と赤ン坊」(諸井三郎作曲)が歌われる。
同月、市谷に転居。
7月、このころ、宮崎県日向の高森文夫を訪ね、3、4日滞在。
8月、孝子と文也を連れて上京。
11月、「妹よ」(諸井三郎作曲)がJOBKで放送される。
12月、「四季」同人となる。
 
昭和11年(1936年) 29歳
「四季」「文学界」「紀元」などに詩・翻訳を多数発表。
1月「含羞(はじらひ)」、
6月「六月の雨」(「文学界賞」佳作第一席)、
7月「曇天」など。
春、文也を連れて動物園に行く。
6月、「ランボウ詩抄」を山本書店より刊行。
 
四谷・市谷に住まい
高森淳夫が同居し
妻・孝子と長男・文也と暮らし
旅に出て
詩作・翻訳も活発な
安定した詩人の生き様が
見て取れるような時期ですが
 
このような実生活の推移と
個別の詩作品とが
直接的な因果関係にあるケースは
めったにあるものではありません。
 
年譜でいえば
1月「含羞(はじらひ)」、
6月「六月の雨」(「文学界賞」佳作第一席)、
の2行の「行間」に当たる時期に
「倦怠(へとへとの、わたしの肉体よ)」は
歌われたことになります。
 
日記を読むと
 
2月20日 カロッサ作「ドクトル・ビュゲル(ママ)の運命」読了。フランソワ・コッペ“Lettres d‘Amour”
2月24日 ラミエル読了。
2月27日 アナトール・フランス「追憶の薔薇」読了。
 
と、2月はわずか3日分の読書記録が
残されているだけです。
 
もっとも
メモ程度の日記は
前年12月25日から
この年の3月6日まで続きますから
2月に特有のことではありませんが
2月および2月前後に
「倦怠のメロディー」が
より頻繁に作られたのだとすれば
この時期の詩人の活動への
特別な関心は深まるばかりです。
 
「四季」
「文学界」
「紀元」などに
詩・翻訳を多数発表
とあるように
創作活動が活発になるのと反比例して
日記をつける時間が
少なくなったということも考えられますから
この時期に
旺盛な詩作が行われたために
倦怠=ケダイのメロディーが
いちだんとボリューム・アップしたのかもしれません。
 
いまや
倦怠=けだいは
真夜中から午後の日射しの下にあります。
 
洗ひざらした石
市民館の狭い空地
子供は遊ぶ
フットボール
子供のジャケツ
お隣り
ソプラノの稽古
オルガン
混凝土(コンクリート)の上なる砂粒(さりふ)
放課後の小学校
下駄箱
 
これらの語句が
都会の風景を写していることに
間違いはありません。
 
思いつくだけで
「春の日の夕暮」
「倦怠に握られた男」
「倦怠者の持つ意志」の
ダダ詩にはじまり
 
「朝の歌」や
「汚れつちまつた悲しみに…」で
格調高く歌われ
 
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」や
「倦怠挽歌」の5作品を経て
この「倦怠(へとへとの、わたしの肉体よ)」へと
さまざまなバリエーションをみせながら
 
「倦怠=ケダイ」が歌われてきた
形跡をたどることができます。
 
これらの形跡をたどることにより
「倦怠=ケダイ」が
中原中也という詩人の
辿ってきた長い道のりに
途絶えることなく
歌われてきた
主旋律であることがわかります。
 
 

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