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材 木

 
立っているのは、材木ですじゃろ、
    野中の、野中の、製材所の脇。

立っているのは、空の下(もと)によ、
    立っているのは材木ですじゃろ。

日中(ひなか)、陽をうけ、ぬくもりますれば、
    樹脂(やに)の匂いも、致そというもの。

夜(よる)は夜とて、夜露(よつゆ)うければ、
    朝は朝日に、光ろというもの。

立っているのは、空の下によ、
    立っているのは、材木ですじゃろ。

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)


 

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ひとくちメモ

中原中也は、

山口の実家に帰省中の1932年の8月初旬、

足を延ばして

詩友、高森文夫の実家、宮崎県東臼杵を訪ねました。

それから二人して

延岡、青島、天草、長崎を旅行し

その後、単身、山口へ戻り

金沢経由で帰京しました。


「夏休み」みたいなことをしたのですが

「材木」という詩は

この宮崎訪問の時

東臼杵東郷町の若山牧水記念館へ行った帰り道

目にした製材所がモデルです。


高森文夫本人の証言などから

明らかになっていることですが

なぜ製材所が詩になるのかというところが、

いかにも中原中也らしく

中原中也という詩人が

製材所を詩にしてしまう詩人であることを

あらためて

発見するきっかけになる詩です。


詩人はこの時


「この村に製材所を建て、二人でやろうじゃないか。君も学校なんかやめちまって村に帰って暮らせよ。松脂の匂でも嗅ぎながら……。」


――と、高森に語ったことが知られています。

(「新編中原中也全集第2巻詩解題篇」)


第3連、

日中(ひなか)、陽をうけ、ぬくもりますれば、 

    樹脂(やに)の匂ひも、致そといふもの。 


とあるように

詩人は

樹脂の匂いや香りに

特別の感情を抱いていたことは

出世作「朝の歌」の

樹脂の香に朝は悩まし、にも見られることです。


立つてゐるのは、空の下(もと)によ、 

    立つてゐるのは材木ですぢやろ。 


このリフレインは

単純で何の変哲もありませんが

そういえば

材木屋さんて見かけなくなったなあ、と

郷愁を誘い

あの木屑の香りが

都会の町中にも流れていた日があったんだ、と

ノスタルジアが乗り移り

詩人と同じ姿勢に

なっていたりはしませんですか?

 

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