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いちじくの葉

 
いちじくの、葉が夕空にくろぐろと、
風に吹かれて
隙間(すきま)より、空あらわれる
美しい、前歯一本欠け落ちた
おみなのように、姿勢よく
ゆうべの空に、立ちつくす

――わたくしは、がっかりとして
わたしの過去の ごちゃごちゃと
積みかさなった思い出の
ほごすすべなく、いらだって、
やがては、頭の重みの現在感に
身を托(たく)し、心も托し、

なにもかも、いわぬこととし、
このゆうべ、ふきすぐる風に頸(くび)さらし、
夕空に、くろぐろはためく
いちじくの、木末(こずえ) みあげて、
なにものか、知らぬものへの
愛情のかぎりをつくす。

 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

「いちじくの葉」は、
同じタイトルの作品が二つあります。
1930年作(推定)は、
「いちぢくの葉よ」ではじまり、
1933年(昭和8年)作は、
「夏の午前よ」ではじまりますが、
両作品は対照的です。

いっぽうが、
夕方のいちぢくであり、
いっぽうは、
昼間のいちぢくであり、
いっぽうは、
シルエットのいちぢくであり、
いっぽうは、
陽をあびて眠たげのいちぢくであり……

今回読む「いちぢくの葉」は、
夕方の空に、
黒々として、
風に揺れていて
葉と葉の間にぽっかり空が大きく現れて、
美しい
前歯が1本欠けた女性のように
姿勢よく
立ち尽くしている
いちぢくです

美しい、前歯一本欠け落ちた
をみなのやうに、姿勢よく

この2行が
中也らしい!

前歯一本欠け落ちた
というフレーズの前後に
美しい、姿勢よく、という語句を配し、
完全無敵の美しさではなく
背筋の通って勢いのある
女性をいちじくの姿に重ねるです

シルエット状の葉は
大型の人の手の形をしているに違いないのですが
そういう形容には走らず
全体をとらえて、
姿勢のよい女性が
茫然と立っている風に見ます

軽快な気分なのではなく
私は
がっかりして
過去のごちゃごちゃ積み重なった思い出を
一つひとつほどくこともできず、
苛立って、
仕舞いには、
重い頭をどうすることもしないで
身を任せ、心も任せます

なにも言わないことにして
この夕べ、
吹きすぎる風に首をさらして
夕空に、
黒々とはためいている
いちぢくの梢を見上げて
なんだかわからないが
見知らぬものへ
一種畏敬の念に似た
愛情の気持を抱いているのです

なにごとか
不吉なものなのか
おとなしく
聞き従っておきたいものを
いちぢくの葉に感じたのでしょうか

はたはた はたはたと
曇天にはためく旗へと連なってゆく
空への祈りなのでしょうか

 

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