カテゴリー

« (疲れやつれた美しい顔よ) | トップページ | コキューの憶い出 »

死別の翌日

 
生きのこるものはずうずうしく、
死にゆくものはその清純さを漂(ただよ)わせ、
物言いたげな瞳を床にさまよわすだけで、
親を離れ、兄弟を離れ、
最初から独りであったもののように死んでゆく。

さて、今日は良いお天気です。
街の片側は翳(かげ)り、片側は日射しをうけて、あったかい、
けざやかにもわびしい秋の午前です。
空は昨日までの雨に拭(ぬぐ)われてすがすがしく、
それは海の方まで続いていることが分ります。

その空をみながら、また街の中をみながら、
歩いてゆく私はもはや此(こ)の世のことを考えず、
さりとて死んでいったもののことも考えてはいないのです。
みたばかりの死に茫然(ぼうぜん)として、
卑怯(ひきょう)にも似た感情を抱いて私は歩いていたと告白せねばなりません。
 

<スポンサーリンク>

 

ひとくちメモ

有名な

生きのこるものはづうづうしく、

――ではじまるフレーズ。

人が人の死を見ると

生きていることが図々しく思え

いっとき謙虚の気持ちになりはするけれど

翌日になれば

ケロリと……

昨日までの雨があがって

鮮やかな晴天の空が

ずーっとずーっと遠くの

海のほうまで続いている

ケロリと……

秋晴れのすがすがしい街を

死んだ者のことをすら考えずに

茫然として歩いていて

ハッと気づけば

それは

どこかしら卑怯に似た感情のようで……

自分を責めないではいられない

弟思いの詩人――。

弟・恰三は

医業を継ぐべき長男である中也が

文学の道に行ったために

中也に代わって家業を継ぐ意志を持っていました。

その意志を果たそうとして

日本医科大学在学中に病に斃れました。

 

« (疲れやつれた美しい顔よ) | トップページ | コキューの憶い出 »

未発表詩篇〜早大ノート(1930年〜1937年)」カテゴリの記事