(丘の上サあがって、丘の上サあがって)
丘の上サあがって、丘の上サあがって、
千葉の街サ見たば、千葉の街サ見たばヨ、
県庁の屋根の上に、県庁の屋根の上にヨ、
緑のお碗が一つ、ふせてあった。
そのお碗にヨ、その緑のお碗に、
雨サ降ったば、雨サ降ったばヨ、
つやがー出る、つやがー出る
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ひとくちメモ
昭和12年(1937)、
1月9日から2月15日までの、
短くはない期間を
中原中也は、
千葉市にあった中村古峡療養所の
精神科および神経科へ入院しました。
入院中に書き残した日記が、
平成11年、中村古峡記念病院(旧・療養所)で発見され、
「療養日誌」と呼ばれています。
院長の中村古峡が
患者に与え
日々の行動などを書かせて
療養の指針にしたもので
中也の日誌は、
1月25日(月曜日)から31日(日曜日)までの
1週間分が記されていました。
1月30日の日記の末尾に
(丘の上サあがつて、丘の上サあがつて)が
書き留められていました。
この日、
精神科で療養していた詩人は
初めて野外作業を許可され、
そのことを、記した日記は
喜びに溢れていて、
「小父さんと二人で山の掃除。なんだか夢のやうに嬉しかつた。庭を掃くことは元来嫌ひではございません。(略)」
などと記しています。
山の掃除は、
作業療法の一つ。
療養所は、
道修山という小さな山の上に建っていて
そこからは
千葉県庁が遠望され
ルネッサンス式の庁舎の中央には
銅で葺いたドームが見えました。
作品中の「緑のお碗」は
このドームのことです。
詩人は
この詩を「俚謡」(りよう)と
呼んでいます。
山の上から見えた
千葉県庁の建物が
雨に濡れて
つやが出ている、と
それだけのことを歌っていますが
詩人の嬉しさがにじみ出ていて
よかったなあ!と
詩人と同じ気持が
乗り移ってくるようです。
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