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お会式の夜

 
十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜を。

来る年にも、来る年にも、その夜はえてして風が吹く。
吐(は)く息は、一年の、その夜頃から白くなる。
遠くや近くで、太鼓の音は鳴っていて、
頭上に、月は、あらわれている。

その時だ 僕がなんということはなく
落漠(らくばく)たる自分の過去をおもいみるのは
まとめてみようというのではなく、
吹く風と、月の光に仄(ほの)かな自分を思んみるのは。

   思えば僕も年をとった。
   辛いことであった。
   それだけのことであった。
   ――夜が明けたら家に帰って寝るまでのこと。

十月の十二日、池上の本門寺、
東京はその夜、電車の終夜運転、
来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとおす、
太鼓の音の、絶えないその夜。
 
    (一九三二・一〇・一五)
 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

中原中也は、

1932年8月に

豊多摩郡千駄ヶ谷町872(現千駄ヶ谷2-29-30)から、

荏原郡馬込町北千束621(現・大田区北千束2)に

転居しましたが、

日蓮上人入寂の地として有名な

池上本門寺はこの新居の近くにあり、


この年もお会式の

通夜客がピークに達する

10月12日の夜を、

テンツクテンテンツク……

お太鼓の鳴り響く本門寺界隈で

過ごしたのに違いありません。


その様子を

1932・10・15の日付入りで

歌ったのが

「お会式の夜」です。


最終連、

東京はその夜、電車の終夜運転、 

来る年も、来る年も、私はその夜を歩きとほす、 


――には、

太鼓の音を

遠くに近くに聞きながら

夜が明けるまで歩き通すほど

お会式に魂の休まるものがあったことが思われ、


毎年、ここを訪れては

夜をふかし、

眠い朝を迎えた詩人が

くっきりと目に浮かんできて、

なぜか

和やかになります。

 

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