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我がジレンマ

 
僕の血はもう、孤独をばかり望んでいた。
それなのに僕は、屡々(しばしば)人と対坐(たいざ)していた。
僕の血は為(な)す所を知らなかった。
気のよさが、独りで勝手に話をしていた。

後では何時(いつ)でも後悔された。
それなのに孤独に浸(ひた)ることは、亦(また)怖いのであった。
それなのに孤独を棄(す)てることは、亦出来ないのであった。
かくて生きることは、それを考えみる限りに於(おい)て苦痛であった。

野原は僕に、遊べと云(い)った!
遊ぼうと、僕は思った。――しかしそう思うことは僕にとって、
既(すで)に余りに社会を離れることを意味しているのであった。

かくて僕は野原にいることもやめるのであったが、
又、人の所にもいなかった……僕は書斎(しょさい)にいた。
そしてくされる限りにくさっていた、そしてそれをどうすることも出来なかった。

                        ―二・一九三五―
 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

「我がヂレンマ」は
「四季」昭和10年(1935年)4月号(同年3月20日発行)に発表された
詩末尾に二・一九三五とある作品です
昭和10年2月に制作されたことが確定される詩です。
 
「曇天」までのいくつかの詩<25>として
2009年5月12日に
一度読みました
 
詩人は
昭和9年12月9日から
翌10年3月末まで帰省し
ランボーの翻訳に取り組みましたが 
この期間中の制作ということになります。
 
同じころの制作として
「春と赤ン坊」
「寒い!」
「北の海」が知られています。
 
「我がヂレンマ」が
帰省中に作られた詩だからといって
歌われた内容が
帰省中の事象を歌っているものであるとは
直ちにはいえないことですが
 
東京で感じられていた孤独は
友人知人を求めて外出し
酒場での談論風発へと向ったのに対し
故郷では
孤独を求めているのに
誘われてはいつしか座談の中にいるという
意図しないジレンマの原因であったようでした。
 
東京における孤独と
故郷における孤独とは
決定的に異なる位相の中にあり
やっぱり
「我がヂレンマ」は
故郷で作られた詩であることを感じさせます。
 
故郷は
村落共同体の網の目であり
東京には
もはやそれがなく
東京には
隣は何をする人ぞ、の
孤立はあり
それは身勝手とも自由ともいえる
漂流者、遊民の天下であり
 
故郷にあって
意に反する寄り合いへの参加は
いつも後悔の種になったけれども
参加しないで
孤独に浸ってばかりいることも
恐怖の種でした。
 
それなのに孤独に浸ることは、亦(また)怖いのであつた。
それなのに孤独を棄(す)てることは、亦出来ないのであつた。
 
というジレンマに
詩人は陥らざるを得ず
息苦しい日々……
生きるのが苦痛なほどに
うっとおしい共同体内生存……
 
遊ぼうとすれば
それは
社会=共同体からの離反を意味したから
そんなことできるわけもなく
だから畢竟
書斎にこもりがちになり
不貞腐れてばかりいることになるのでした。
 
Dilemmaは、
もとギリシア語で、
diは、二つのこと、
lemmaは、仮説のこと。
現代日本語では、ジレンマだが、
中也は、ヂレンマとしました。
板挟み(イタバサミ)の状態を表します。
 
 

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