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大島行葵丸にて

        ――夜十時の出帆
 
 
 夜の海より僕(ぼか)唾(つば)吐いた
 ポイ と音(おと)して唾とんでった
 瞬間(しばし)浪間に唾白かったが
 じきに忽(たちま)ち見えなくなった

観音岬に燈台はひかり
ぐるりぐるりと射光(ひかり)は廻(まわ)った
僕はゆるりと星空見上げた
急に吾子(こども)が思い出された

 さだめし無事には暮らしちゃいようが
 凡(およ)そ理性の判ずる限りで
 無事でいるとは思ったけれど
 それでいてさえ気になった

        (一九三五・四・二四)
 

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ひとくちメモ

1935年4月に

中原中也は

文学雑誌「紀元」の同人であったよしみで

伊豆・大島への

1泊旅行に招待されます。

約4か月間

故郷山口で暮らし

東京の生活に戻って

まもなくのことでした。

「紀元」は、

大岡昇平が

「紀元」には坂口安吾も加わっていたが、坂口自身はすでに「竹藪の家」「黒谷村」などで新進作家としての位置を確立している。むしろその友人や後輩の集団なので、中原としてはやや身を落した感じである。小説家志願の集りで、詩人は異例なのだが、安原喜弘、富永次郎など、昔の「白痴群」同人を誘い、編集会議などによく出席していたようである。「その一週間」「亡弟」など小説風の断片は「紀元」のために書かれたのかも知れない。(中原中也全集解説)

――と記す同人誌のことです。

中原中也は

坂口安吾に誘われて

昭和8年(1933年)5月から「紀元」に参加し

この頃が中原の経歴のどん底(同上解説)とも大岡が記す

ピンチの時代に

「紀元」を発表の場の一つにしていました。

その「紀元」主催の

大島1泊旅行に招待され

珍しいことに

詩人が船に乗ったシーンが

歌われることになりました。

東京の竹芝桟橋あたりから出発したのでしょうか。

夜10時に出帆した

東海汽船の船の甲板から

暗闇の海へ

つばを吐くとポイっと音がして

少しの間、つばは波間に漂い

白いかたまりを見せていたけど

すぐに消えてなくなって

観音崎灯台の明かりが

ぐるぐる回っているのが見え

夜空は満面の星だった

ゆっくりと星空を見ていると

急に赤ん坊のことが思い出され

無事に暮らしているだろうかと

目一杯理性的に考えて

無事で暮らしているだろうと思ったのだけれど

それにしても気になって仕方なかった

という内容の詩です。

吾子(こども)は

前年1018日に誕生した

長男文也のこと。

昭和10年(1935年)の年譜に

「3月、長門峡に行く。帰りの汽車で吐血。」とあり、

この詩を作った頃にも

詩人の体調は

芳しいものではなかったことが推測されます。

 

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