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不気味な悲鳴

    如何(いか)なれば換気装置の、穹窿(きゅうりゅう)の一つの隅に
    蒼ざめたるは?        ランボオ

僕はもう、何も欲しはしなかった。
暇と、煙草とくらいは欲したかも知れない。
僕にはもう、僅(わず)かなもので足りた。

そして僕は次第に次第に灰のようになって行った。
振幅のない、眠りこけた、人に興味を与えないものに。
而(しか)もそれを嘆くべき理由は何処(どこ)にも見出せなかった。

僕は眠い、――それが何だ?
僕は物憂(ものう)い、――それが何だ?
僕が眠く、僕が物憂いのを、僕が嘆く理由があろうか?

かくて僕は坐り、僕はもう永遠に起(た)ち上りそうもなかった。

   ※

然(しか)しそうなると、またさすがに困って来るのであった。
何をとか?――多分、何となくと答えるよりほかもない。
何となら再び起(た)ち上がれとは誰も云(い)うまいし、
起ち上ろうと思うがものもないのにも猶(なお)困って来るのであったから。

僕はいっそ死のうと思った。
而も死のうとすることはまた起ち上ることよりも一層の大儀であった。

かくて僕は天から何かの惠みが降って来ることを切望した。
而もはや、それは僕として勝手な願いではなかった。
僕は真面目に天から何かが降って来ることを願った。
それが、ほんの瑣細(ささい)なものだろうが、それは構う所でなかった。

   ※

――僕はどうすればいいか?
 
     (一九三五・一・一一)
 
 
 
(注)原文には、「而も死のうとすること」の「こと」に傍点がつけられています。 
 

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ひとくちメモ

「不気味な悲鳴」は

アルチュール・ランボーの詩の1節を

エピグラフに引用した作品です。

建設社という出版社の企画で

ランボー全集の詩の翻訳を担当していた詩人の

今回の帰郷は

誕生した長男・文也に会うことと

この翻訳に専念することが主な目的でした。

第一子である文也を

初めて両の手で抱き

新しい年を故郷、山口の湯田温泉の実家で迎え

ランボー詩の訳業に集中して

作詩にも取り組むことのできた詩人は

この頃、親友安原喜弘宛ての書簡を

合計5通発信しています。

山口・湯田発で

前年末30日付けから

3月2日付けまでに発信した

封書2通、葉書3通が残り

「中原中也の手紙」(安原喜弘編著)に収集されていますが

1月12日付け葉書には

(略)病人は立枯れつつあり赤ん坊は太りつつあります 活動写真が沢山

見たくて仕方がありません 今色んなものが書けます それで翻訳の方はど

うも怠りがちでどうせ締切前に馬車馬になる運命だらうと妙な覚悟です(略)

――などと書き送っています。

前日に

(おまへが花のやうに)

「初恋集」

「月夜とポプラ」

「僕と吹雪」

「不気味な悲鳴」の

5作品を仕上げたばかりですから

「今色んなものが書けます」となったのでしょう。

ランボーの翻訳は遅滞があったにしても

詩作は旺盛でした。

その詩作に

ランボーから借りて

エピグラフとしたのが

「不気味な悲鳴」で

中原中也は

ランボーの「イルミナシオン」中の

「少年時」最終章末尾を

鈴木信太郎訳を参考にしつつ

独自の訳を試みました。

如何(いか)なれば換気装置の、穹窿(きゅうりゅう)の一つの隅に蒼ざめたるは?

――とは、

換気用の窓にのぞく

屋外に広がる大空の青の

悲しいまでのけだるさを

いぶかしがる感情を述べたものでしょうか。

冒頭の、

僕はもう、何も欲しはしなかつた。

――の1行を導入する

「倦怠感」を表しています。

中原中也が

同人誌「白痴群」第6号に

「倦怠のうちに死を夢む」(「汚れつちまつた悲しみに……」と歌ったのは

1930年のことですから

そのときから数えても5年です。

僕は次第に次第に灰のやうになつて行つた。 

振幅のない、眠りこけた、人に興味を与へないものに。

僕は眠い、――それが何だ? 

僕は物憂い、――それが何だ? 

僕が眠く、僕が物憂いのを、僕が嘆く理由があらうか?

かくて僕は坐り、僕はもう永遠に起ち上りさうもなかつた。

――と、「倦怠(けだい)」は

ますます深まっている様子です。

僕はいつそ死なうと思つた。 

而(しか)も死なうとすることはまた起ち上ることよりも一層の大儀であつた。

――と、ここらへんまでは
「倦怠のうちに死を夢む」と同じことを
表現を変えているだけなことがわかります。
そして

かくて僕は天から何かの恵みが降つて来ることを切望した。

――というあたりまでをも
「汚れつちまつた悲しみに……」に
読み取ることが可能なことに気づくと……

小林秀雄が
「中原の詩はいつでもかういふ場所から歌はれてゐる。彼はどこにも逃げない、
理知にも心理にも、感覚にも。」(「中原中也の『山羊の歌』」)

と書いていることの
深い読みを思い出し
感嘆せざるをえません。

「不気味な悲鳴」は
「汚れつちまつた悲しみに……」の
「その後」であり
「姉妹篇」でもあるように
読める作品といえば
突飛なことでしょうか……

 

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