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北沢風景

 
 夕べが来ると僕は、台所の入口の敷居(しきい)の上で、使い残りのキャベツを軽く、鉋丁(ほうちょう)の腹で叩いてみたりするのだった。
 台所の入口からは、北東の空が見られた。まだ昼の明りを残した空は、此処(ここ)台所から四五丁の彼方(かなた)に、すすきの叢(むら)があることも小川のあることも思い出させはせぬのであった。
 ――甞(かつ)て思索(しさく)したということ、甞て人前で元気であったということ、そして今も希望はあり、そして今は台所の入口から空を見ているだけだということ、車を挽(ひ)いて百姓(ひゃくしょう)はさもジックリと通るのだし、――着物を着換えて市内へ向けて、出掛けることは臆怯(おっくう)であるし、近くのカフェーには汚れた卓布(たくふ)と、飾鏡(かざりかがみ)とボロ蓄音器、要するに腎臓(じんぞう)疲弊(ひへい)に資(し)する所のものがあるのであるし、感性過剰の斯(かく)の如(ごと)き夕べには、これから落付いて、研鑽(けんさん)にいそしむことも難いのであるし、隣家の若い妻君は、甘ッたれ声を出すのであるし、……
 僕は出掛けた。僕は酒場にいた。僕はしたたかに酒をあおった。翌日は、おかげで空が真空だった。真空の空に鳥が飛んだ。
 扨(さて)、悔恨(かいこん)とや……十一月の午後三時、空に揚(あが)った凧(たこ)ではないか? 扨、昨日の夕べとや、鴫(しぎ)が鳴いてたということではないか?
 

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ひとくちメモ

「北沢風景」は
「散文詩四篇」と題して
「郵便局」
「幻想」
「かなしみ」とともに
「四季」の昭和12年2月号(昭和12年1月20日付け発行)に
発表された
4番目の詩です。
 
題名の北沢とは
東京世田谷の北沢のことですから
ただちに
詩人が住んでいたことのある
上北沢あたりの風景を歌った詩と推定され
制作日も限定されます。
 
昭和3年9月から同4年1月まで
詩人は
関口隆克、石田五郎とともに
高井戸町下高井戸2―403で
共同生活していたことは
関口の回想などで広く知られたことですが
このときの最寄駅が
京王電気軌道北沢駅で
現在の京王線・上北沢駅であり
この地域は北沢の一角であることから
「北沢風景」のタイトルはつけられました。
 
(現在の京王線は、明大前、下高井戸、桜上水、上北沢、八幡山、仙川と、長い間変わらない駅名が続いていますが、昭和初期の「高井戸町下高井戸」の最寄り駅が「下高井戸」ではなく「北沢」であったことが、新全集で案内されています。当時、「下高井戸駅」はなかったのかもしれません。あるいは、あっても「北沢駅」のほうが住居に近かったのかもしれません。このころ、井の頭線や玉電も近くを通っており、小田急と井の頭が交差する下北沢から、井の頭の代田、新松原、明大前へ、小田急と玉電、現在の東急世田谷線の交差する豪徳寺駅から山下、松原、下高井戸へと、「北沢」へはかなり密度の高い連絡網があったことが理解でき、中原中也もこの連絡網を利用していたのかもしれません。小田急・京王の下北沢、明大前、仙川、成城学園前の4駅で囲まれた世田谷北部は「北沢風景」で歌われた「北沢」の一角であり、それは「武蔵野」の一角でもありました) 
 
下北沢ではなく
上北沢であったところに
当時のこの近辺の住宅事情や
それぞれの駅周辺の発展ぶりなどが
しのばれますが
井の頭線や
小田急線も走っていたものの
省線(現在のJR中央線)により近かった
上北沢のほうが下北沢よりも
住宅地化が進んでいたのでしょうか。
 
夕べが来ると僕は、台所の入口の敷居の上で、使ひ残りのキャベツを軽く、鉋丁の腹で叩いてみたりするのだつた。
 
と歌いだされる「北沢風景」は
同人誌「白痴群」創刊前の
共同生活を素材にしていますから
詩人もたまには
食事を作る輪の中にあって
その時のことを描いたのでしょう。
 
細葱を刻んで
ソースをかけて食べた話などが
伝わっているのも
このころの経験でしょうか。
関口隆克は
のちに開成学園の園長になる
教育畑の人ですから
共同生活も
旺盛に楽しく行って
集団生活が苦手だったに違いない詩人も
面白おかしく楽しく
暮したのかもしれません。
 
そのような詩人も
夜になれば
 
僕は出掛けた。僕は酒場にゐた。僕はしたたかに酒をあほつた。翌日は、おかげで空が真空だつた。真空の空に鳥が飛んだ。
 
と深酒し
朝をどこか飲み友達の家で迎えるのか
北沢への連絡網のどれかをたどって
夜遅く帰宅して泥のように眠り
目に沁みるような空を
仰ぎ見る時を味わいます。
 
この詩にも
やはり
愛息の死は
映し出されていませんが
共同生活の楽しさばかりが
歌われているものでもなく
「四季」へ送る気持ちを
否定するものではありませんでした。
 
 

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