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末黒野

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かの女

千の華燈(かとう)よりとおくはなれ、
笑める巷(ちまた)よりとおくはなれ、
露じめる夜のかぐろき空に、
かの女はうたう。

「月汞(げっこう)はなし、
低声(こごえ)誇りし男は死せり。
皮肉によりて瀆(けが)されたりし、
生よ歓喜よ!」かの女はうたう。

鬱悒(うつゆう)のほか訴うるなき、
翁(おきな)よいましかの女を抱け。
自覚なかりしことによりて、

いたましかりし純美の心よ。
かの女よ憔(じ)らせ、狂い、踊れ、
汝(なれ)こそはげに、太陽となる!
 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

 大正十四年以降「朝の歌」までに書かれた詩で、日附がはっきりしているのは、「秋の愁嘆」(一九二五、一〇、7)「むなしさ」(『在りし日の歌』一九二六、二)の二編だけであるが、『山羊の歌』冒頭の「春の夕暮」「月」「サーカス」「春の夜」の四篇も、それらが「朝の歌」の前に配列されているという理由によって、それ以前に書かれたと考えることが許されるであろう。ほかに同じ時期と推測される詩篇がないでもないが、一応右の六篇をもって、ダダイズムの詩から「朝の歌」に到る経路を探るに十分ということにする。

と大岡昇平が「朝の歌」に書いた群れの中に

「かの女」は入れておかしくはない

1925年制作(推定)の詩で

特に

「むなしさ」と共通するのは

横浜をモチーフにしているところです。

中原は十四年以来、横浜のエキゾチックな頽廃的な雰囲気を好み、よく遊びに行った。この地で客死した祖父助之(政熊の兄、福の実父である)の墓に詣り、横浜橋停留所附近の私娼のところへ通った。「臨終」は馴染みの娼婦が死んだのを歌ったものだ、といっていた。よほど気に入った女がいたのである。「かの女」がその女を歌ったものと見ることが出来るが、「臨終」と同じく長谷川泰子の影もまた落ちているのである。

(旧全集解説・詩、1967.10)

と、中原中也の横浜行きを

解説しています――。

「気に入った女」とは

どんな女だったのでしょうか。

「かの女」には

千の華燈よりとほくはなれ、

(きらびやかなネオンサインから遠く離れて)

笑める巷(ちまた)よりとほくはなれ、

(嬌声さんざめく街中から遠く離れて)

露じめる夜のかぐろき空に、

(今にも降り出しそうな暗黒の夜空に)

かの女はうたふ。

(一人のうかれ女が歌っている)

と、いかにも「場末の女」が登場しますが

彼女は

ついには

太陽となる女でもあります。

ここに

ランボー詩の影はあるでしょうか。

文語調

ソネット

難漢字の多用

……

ダダイズムは引っ込んでいます。

そして

第2連

「月汞(こう)はなし、

低声(こごゑ)誇りし男は死せり。

皮肉によりて瀆(けが)されたりし、

生よ歓喜よ!」かの女はうたふ。

の、「月汞(こう)」(げっこう)という語は

宮沢賢治の「風の偏倚」(「春と修羅」)に使用例があり

「水銀のような月あかり」を意味する

賢治の造語らしいのですが

中原中也は

水銀のように輝く月

月明かり

月光などの意味を含ませ

独自に使っています。

(新全集・詩解題)

中原中也が

宮沢賢治の「春と修羅」を購入したのは

1925年暮れから翌年にかけてのいつかですから

これを読んでいた公算は大です。

「いよいよ詩に専心しようと大体決まる」(「詩的履歴書」と

詩人として生きていく覚悟を決めた

中原中也18歳。

新たな出発に

ランボーはあり

宮沢賢治はあり

一人、東京に投げ出されたにしては

力強い味方を

すでに

手中にしていたように感じられますが

詩人の心を慰めるのは

横浜の女だったのかもしれません。

いわゆる

「横浜もの」とも呼ばれる

横浜を歌った一群の作品には

「かの女」

「臨終」

「むなしさ」のほかに

「秋の一日」(山羊の歌)

「港市の秋」(同)

「春と恋人」(在りし日の歌)があります。

泰子に逃げられて

1年が過ぎたころです。

それまで住んでいた

中野町大字西町小字桃園三四六五篠田方の下宿から

中野町大字上町の理髪店二階へ(10月)

中野町大字西町小字桃園三三九八関根方へ(11月)へ

引っ越しを繰り返します。

桃園三三九八関根方は

泰子が逃げた直後の住所でした。

転居を頻繁に行った合間に

横浜通いも盛んでした。
 

 

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