タバコとマントの恋
タバコとマントが恋をした
その筈(はず)だ
タバコとマントは同類で
タバコが男でマントが女だ
或時(あるとき)二人が身投(みなげ)心中したが
マントは重いが風を含み
タバコは細いが軽かったので
崖の上から海面に
到着するまでの時間が同じだった
神様がそれをみて
全く相対界のノーマル事件だといって
天国でビラマイタ
二人がそれをみて
お互の幸福であったことを知った時
恋は永久に破れてしまった。
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ひとくちメモ
中原中也が「ダダイスト新吉の詩」を京都の古本店で読んだのは
中原中也が「ダダイスト新吉の詩」を京都の古本店で読んだのは
大正12年の秋で
その直後の12月に
長谷川泰子を永井叔(よし)の紹介で知ります。
この初対面のときに
ダダの詩を泰子に読ませて
「なかなかいいじゃないの」と好評されたことから
二人は意気投合し
すぐに同棲生活に入りました。
泰子が読んだのは
ノートに書き付けられたダダ詩で
このノートこそ
「ダダ手帖」と呼ばれるものです。
中原中也は
「ダダイスト新吉の詩」を読んで以降
ダダイズムの詩を書きまくり
ノートに書きためていました。
「ダダ手帖」と呼ばれるノートは
昭和2年の時点で2冊ありましたが
1冊は早い時期に行方不明になり
1冊は河上徹太郎に預けられました。
河上は中原中也の死後に
「中原中也の手紙」(文学界、昭和13年10月)で
この手帳にあった
「タバコとマントの恋」と「ダダ音楽の歌詞」を紹介しましたが
戦災で手帳は焼失したため
手帳は現存しませんから
2冊あった「ダダ手帖」の作品は
この2篇が残っているだけになってしまいました。
アルベルト・アインシュタインが来日したのは
1922年(大正11年)です。
この時、ダダイスト高橋新吉が
しきりにアインシュタインに関する
「詩的冗談を書き散らした」のが
中原中也にも伝染し
「タバコとマントの恋」を書かせました。
この詩の「相対界」は
相対性理論の「相対」ですが
タバコとマントが恋をした
にはじまり
恋は永久に破れてしまつた
に終わる詩でところが
現実を反映したものであるなら
二人の関係に
ピンチが訪れていた頃の制作ということになるでしょうが
それがいつのことだかは分からないことです。