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倦 怠

 
倦怠(けんたい)の谷間に落つる
この真ッ白い光は、
私の心を悲しませ、
私の心を苦しくする。

真ッ白い光は、沢山(たくさん)の
倦怠の呟(つぶや)きを掻消(かきけ)してしまい、
倦怠は、やがて憎怨(ぞうおん)となる
かの無言なる惨(いた)ましき憎怨………

忽(たちま)ちにそれは心を石と化し
人はただ寝転ぶより仕方もないのだ
同時に、果(はた)されずに過ぎる義務の数々を
悔いながらにかぞえなければならないのだ。

はては世の中が偶然ばかりとみえてきて、
人はただ、絶えず慄(ふる)える、木(こ)の葉のように
午睡(ごすい)から覚めたばかりのように
呆然(ぼうぜん)たる意識の裡(うち)に、眼(まなこ)光らせ死んでゆくのだ
 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」は
「四季」の昭和10年(1935年)7月号に掲載されました。
発行は同年6月20日付けです。
 
草稿が
「ノート小年時」に記され
昭和4年(1929年)6月制作と推定されていますが
これを第一次形態として
「四季」に発表するときに
若干の推敲が加えられました。
これが本作で第二次形態です。
 
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」は
「身過ぎ」と
「夏は青い空に……」とともに
筆記具、
文字の大きさ、
筆跡、
インクが
同一であることから
同時期の制作と推定されている作品。
 
このうち
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」と
「夏は青い空に……」の2篇は
詩人が河上徹太郎に宛てた
昭和4年6月27日付書簡の末尾に付されていたものなので
制作日は3篇ともに
昭和4年(1929年)6月27日以前と
絞られて推定されています。
 
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」は
後に「四季」の昭和10年7月号に
発表された詩の第一次形態でもありますから
「生前発表詩篇」中にも
ほぼ同じ作品が収録されています。
 
他人に読ませるということは
発表したことと同然の意味をもちますし
「四季」に発表した1篇なのですから
ほかの2篇にくらべて
自信作であったことが想像されます。
 
それを証(あか)すかのように
萩原朔太郎は
昭和10年「四季」夏号の「詩壇時感」で
 
中原中也君の詩は、前に寄贈された詩集で拝見して居た。その詩集の中では、巻尾の方に収められた感想詩体のものが、僕にとつて最も興味深く感じられた。
(中略)しかし今度の「倦怠」はこれとちがひ、相当技巧的にも凝った作品だが、前の詩集(山羊の歌)とは大に変つて、非常に緊張した表現であり、この詩人の所有する本質性がよく現れて居る。特に第三聯の「人はただ寝転ぶより仕方がないのだ。同時に、果されずに過ぎる義務の数々を、悔いながら数へなければならないのだ。」の三行がよく抒情的な美しい効果をあげてる。
(角川新全集・第1巻詩Ⅰ解題篇より)
 
などと好意的な感想を述べています。
 
昭和4年以前のダダの時代から
詩人はすでに
倦怠=けだいを歌っているのですが
朔太郎もまさしくそこに引かれたようです。
 
「寝転ぶより仕方なく、と同時に悔いながら」という倦怠に
叙情を感じ
技巧を見たのです。
 
第一次形態では
「真つ白い光」としていたものを
第二次形態では
「真ッ白い光」とするなど
わずかな推敲が加えられていますから
ここに両作品を
掲載しておきます。
 
「真つ白い光」とは
倦怠を照射する
朝日のことでしょうか
容赦なく
炙(あぶ)り出し
その光に晒されなければ
見えようにもなく
存在すら感覚できない……
 
<第一次形態>
 
 倦 怠
 
倦怠の谷間に落つる
この真つ白い光は、
私の心を悲しませ、
私の心を苦しくする。
 
真つ白い光は、沢山の
倦怠の呟(つぶや)きを掻消(かきけ)してしまひ、
倦怠は、やがて憎怨となる
かの無言なる惨(いた)ましき憎怨……
 
忽(たちま)ちにそれは心を石となし
人はただ寝転ぶより仕方がないのだ
と同時に、果されずに過ぎる義務の数々を
悔いながら、数へなければならないのだ。
 
やがて世の中が偶然ばかりで出来てるやうにみえてきて、
人はただ絶えず慄(ふる)へる、木の葉のやうに、
午睡から覚めたばかりのやうに、
呆然(ぼうぜん)たる意識の中に、眼(まなこ)光らし死んでゆくのだ。
 
 
<第二次形態>
 
 倦 怠
 
倦怠の谷間に落つる
この真ッ白い光は、
私の心を悲しませ、
私の心を苦しくする。
 
真ッ白い光は、沢山の
倦怠の呟(つぶや)きを掻消(かきけ)してしまひ、
倦怠は、やがて憎怨となる
かの無言なる惨(いた)ましき憎怨………
 
忽(たちま)ちにそれは心を石と化し
人はただ寝転ぶより仕方もないのだ
同時に、果されずに過ぎる義務の数々を
悔いながらにかぞへなければならないのだ。
 
はては世の中が偶然ばかりとみえてきて、
人はただ、絶えず慄(ふる)へる、木の葉のやうに
午睡から覚めたばかりのやうに
呆然(ぼうぜん)たる意識の裡(うち)に、眼(まなこ)光らせ死んでゆくのだ
 
 

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