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春の夕暮

 
塗板(トタン)がセンベイ食べて
春の日の夕暮は静かです

アンダースロウされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は穏(おだや)かです

ああ、案山子はなきか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ青色の月の光のノメランとするままに
従順なのは春の日の夕暮か

ポトホトと臘涙(ろうるい)に野の中の伽藍(がらん)は赤く
荷馬車の車、 油を失い
私が歴史的現在に物を言えば
嘲(あざけ)る嘲る空と山とが

瓦が一枚はぐれました
春の日の夕暮はこれから無言ながら
前進します
自(みずか)らの静脈管の中へです
 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

「春の夕暮」は

どうにかすると

恋だの愛だの性だのと

歌いがちな詩の流れを

思い直したかのように切り替えて

突如

広々とした

湖または海に出たかのように

一方向に流れることよりも

多方向へのベクトルを持つ

巨大なエネルギーに変わって

一種、うねりを湛(たた)えた

詩になりました。

泰子との恋は

どこへ行ってしまったのでしょう

そのことが

まずは気がかりなことですが……

この詩自体が

泰子との恋の

ダダイスティックな表現とは

到底

受け取れない

スケールを持ちますから

たとえ

この詩に

泰子との恋があるのだとしても

それは詩の裏の方に

後退しているということになります。

ここには

恋だとか愛だとか性だとか

というよりも

そんなことのもっと

源(みなもと)にあるというか

根っこにあるというか

そんなことを

言葉にする以前の世界が広がります。

「名辞以前」の原形で

近くは「古代土器の印象」で

試みられたアプローチが

より完成度の高い表現に到達して

詩人の愛着するところとなりました。

泰子は

もはやこの詩の中に

恋愛の対象としては

存在しないはずですし

フロイド的なシンボルとしても

あり得ないはずです。

その上

単に風景を歌ったものではありません。

春の夕暮れの風景のすべてが

ドーッと

詩人の血の中へと入っていくのです。

それは

詩の生誕の瞬間のメカニズムをさへ示しているような

あるいは

詩人の血の作られる瞬間を捉えたもののような

象徴化といっていいものです。
 

 

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