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嘘つきに

 
私はもう、嘘をつく心には倦(あ)きはてた。
なんにも慈(いつくし)むことがなく、うすっぺらな心をもち、
そのくせビクビクしながら、面白半分(おもしろはんぶん)ばかりして、
それにまことしやかな理窟(りくつ)をつける。

私はもう、嘘をつく心には倦きはてた。
なんにも了解したためしはなく、もとより自分を知りはしないで、
意地(いじ)っぱりで退屈で、何一つ出来もしないに
人ごとのおひゃらかしばかりしている。

私はもう、嘘をつく心には倦き果てた!
 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

「嘘つきに」は

「暗い天候三つ」

「修羅街挽歌」

「みちこ」

「我が祈り」

ヴェルレーヌ「ポーヴル・レリアン」の中原中也訳とともに

「白痴群」第5号に発表された作品で

昭和4年(1929年)11月に

制作されたものと推定されています。

「白痴群」を4回出して

5回目も印刷所に回し終えて

ほとんど独壇場だったこの同人誌に

詩人は満足感と同時に

不満も蓄積させていたのでしょう。

不満は

同人誌に起因するものばかりでもなく

高邁(こうまい)な芸術論に発する行き違いばかりからでもなく

人のいとなみの卑小で些細な日常にあるのであれば

酒の勢いでの衝突は

飲む度に起こっても不思議ではありませんから

酒癖(さけぐせ)の悪いヤツという風評が

詩人に向けてどこからともなく立ちました。

詩人は自らそのことを自覚し

自分に挑戦することがまるで人に挑戦してるやうなふうになつて、済まないことです 

以後謹みます。

 二伸。打開けて云へば、先達から二三の人が自分のフィリスティン根性のために、僕を酒くせの悪い奴といふことにしてやれと思つたことを憤慨してゐた矢先、――だから初めて一緒に飲む君の前では尚更気を付けようといふやうな気持が最初起つた。(さういふ気持は、僕自身思ふに僕に昔からあつたものではない!)その自分の気持に腹が立つたので、遂々反対をやつてしまつた。

 斯く今日弁解するやうでは、alone with Godでもないわけだが、今僕はむしやうに悲しいので此の手紙を書くまでだ。

と、小出直三郎に書き送っています。

(37 11月25日 小出直三郎宛 封書)

小出直三郎は、

当時、成城高校のドイツ語教師で、

阿部六郎の同僚でした。

文中の「フィリスティン」は

「俗物」の意味の英語です。

この書簡が書かれた前日あたりに

どんな酔興(すいきょう)に及んでしまったというのでしょうか

後年、小出は

「何も私に謝るようなことを一つとして言ったりしたりしていないのに、ひどく後悔しているのがおかしかった」と

詩人の思い過ごしを回想しています。

(旧全集月報Ⅳ)

「嘘つきに」は

悪酒の後の反省というより

「自分への嘘」を歌います。

心から慈しむこともないのに

ビクビクしたり

面白半分ばかりで

理屈つけている

深く了解してもいなければ

自分のことを分かってもいないのに

意地をはり

理屈をつけ

何一つ役立つことも出来ないのに

他人をおひゃらかしてばかりいる。

自分を偽っている自分へ

嘘をついている自分へ

自己欺瞞する自分へ……

悔悟する自分に目を向けるとは

根源的なものへ向かうことですが

歌い方は道化調を帯びます。

私はもう、嘘をつく心には倦(あ)きはてた。

と歌う口調は

一種の作意を含んだ

道化調であるゆえに

宗教的と紙一重……

alone with God(神の前に一人)の位置関係にあります。

詩人は

こうして

悪酒を飲むたびに

神に近づいていったのかも知れません。
 
 

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