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末黒野

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(とにもかくにも春である)

 
       ▲
         此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき。

 とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。薔薇色(ばらいろ)の埃(ほこ)りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。乾からびはてた、羨望(せんぼう)のように、春は澱(よど)んでいる。

      ▲

        パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカー
        キシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

十一時十五分、下関行終列車
窓から流れ出している燈光(ひかり)はあれはまるで涙じゃないか
送るもの送られるもの
みんな愉快げ笑っているが

旅という、我等の日々の生活に、
ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを
人は喜び、大人なお子供のようにはしゃぎ
嬉しいほどのあわれをさえ感ずるのだが、

めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、
まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、
ゆるやかに重そうに汽車は運び出し、
やがてましぐらに走りゆくのだが、

淋しい夜(よる)の山の麓(ふもと)、長い鉄橋を過ぎた後に、
――来る曙(あけぼの)は胸に沁(し)み、眺に沁みて、
昨夜東京駅での光景は、
あれはほんとうであったろうか、幻ではなかったろうか。

      ▲

闇に梟(ふくろう)が鳴くということも
西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い
我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、
みんなおんなしようなことなんだ
秋の夜、
僕は橋の上に行って梨を囓(かじ)った
夜の風が
歯茎にあたるのをこころよいことに思って

寒かった、
シャツの襟(えり)は垢(あか)じんでいた
寒かった、
月は河波に砕けていた

      ▲
        おお、父無し児、父無し児

 雨が降りそうで、風が凪(な)ぎ、風が出て、障子(しょうじ)が音を立て、大工達の働いている物音が遠くに聞こえ、夕闇は迫りつつあった。この寒天状の澱(よど)んだ気層の中に、すべての青春的事象は忌(いま)わしいものに思われた。
 落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、やがて忘れ、電燈をともさず一切構わず、人が不衛生となすものぐさの中に、僕は溺(おぼ)れペンはくずおれ、黄昏(たそがれ)に沈没して小児の頃の幻想にとりつかれていた。
 風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。
 

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ひとくちメモ

(とにもかくにも春である)は

4節で構成される力のこもった作品で

詩の冒頭、第1節には

「此の年、三原山に、自殺する者多かりき。」という

エピグラフが置かれています。

「小唄」で

三原山の自殺を歌ったのは

1933217日で

2か月少し経っているだけですから

詩人の関心は4月になっても

持続していたということになります。

2節のエピグラフは

「パツパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウハバミカー

キシヤヨ、キシヤヨ、アーレアノイセイ」

第3節はエピグラフがなく

第4節は、

「おゝ、父無し児、父無し児」が

それぞれ付されていて

各節は▲で区切られている作品です。

旧全集編集では

(形式整美のかの夢や)

(風が吹く、冷たい風は)と

一体の作品と考えられていましたが

いいだもも宅から発見された草稿や

安原喜弘宛の書簡(1933年4月25日付)に

同封されたこの作品などを再考証した結果

それぞれ独立した作品として

扱われることになりました。

第1節で

三原山の自殺のニュースを

エピグラフとするスタンスは

第2節以降

三原山から離れているように見えながらも

堅持されます

第4節のエピグラフ 

「おゝ、父無し児、父無し児」は、

詩人の視線が 

自殺者が残したものへと向かい 

やがて 

残された者に成り代わって 

詩人は歌いはじめるものだ、と 

その瞬間を歌い 

その経緯を歌い 

詩人としての決意が表明されているかのように 

読み取れなくもないのですが……

決意の表明にしては 

その口調は 

沈鬱(ちんうつ)であり 

元気がありません。

 

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