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末黒野

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現代と詩人

 
何を読んでみても、何を聞いてみても、
もはや世の中の見定めはつかぬ。
私は詩を読み、詩を書くだけのことだ。
だってそれだけが、私にとっては「充実」なのだから。

――そんなの古いよ、という人がある。
しかしそういう人が格別(かくべつ)新しいことをしているわけでもなく、
それに、詩人は詩を書いていれば、
それは、それでいいのだと考(かんが)うべきものはある。

とはいえそれだけでは、自分でも何か物足りない。
その気持は今や、ひどく身近かに感じられるのだが、
さればといってその正体が、シカと掴(つか)めたこともない。

私はそれを、好加減(いいかげん)に推量したりはしまい。
それがハッキリ分る時まで、現に可能な「充実」にとどまろう。
それまで私は、此処(ここ)を動くまい。それまで私は、此処を動かぬ。

   2

われわれのいる所は暗い、真ッ暗闇だ。
われわれはもはや希望を持ってはいない、持とうがものはないのだ。
さて希望を失った人間の考えが、どんなものだか君は知ってるか?
それははや考えとさえ謂(い)えない、ただゴミゴミとしたものなんだ。

私は古き代の、英国(イギリス)の春をかんがえる、春の訪(おとず)れをかんがえる。
私は中世独逸(ドイツ)の、旅行の様子をかんがえる、旅行家の貌(かお)をかんがえる。
私は十八世紀フランスの、文人同志の、田園の寓居(ぐうきょ)への訪問をかんがえる。
さんさんと降りそそぐ陽光の中で、戸口に近く据(す)えられた食卓のことをかんがえる。

私は死んでいった人々のことをかんがえる、――(嘗(かつ)ては彼等(かれら)も地上にいたんだ)。
私は私の小学時代のことをかんがえる、その校庭の、雨の日のことをかんがえる。
それらは、思い出した瞬間突嗟(とっさ)になつかしく、
しかし、あんまりすぐ消えてゆく。

今晩は、また雨だ。小笠原沖には、低気圧があるんだそうな。
小笠原沖も、鹿児島半島も、行ったことがあるような気がする。
世界の何処(どこ)だって、行ったことがあるような気がする。
地勢(ちせい)と産物くらいを聞けば、何処だってみんな分るような気がする。

さあさあ僕は、詩集を読もう。フランスの詩は、なかなかいいよ。
鋭敏で、確実で、親しみがあって、とても、当今(とうこん)日本の雑誌の牽強附会(けんきょうふかい)の、陳列みたいなものじゃない。それで心の全部が充されぬまでも、サッパリとした、カタルシスなら遂行(すいこう)されて、ほのぼのと、心の明るむ喜びはある。

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)



 

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ひとくちメモ

「現代と詩人」は
昭和11年(1936年)12月1日付け発行の
「作品」12月号に発表された
同年10月制作(推定)の作品です。
 
このころの日記を
読んでおきましょう。
 
10月8日
 草野に誘われて高村氏訪問。そこへ尾崎喜八現れ4人で葛飾区柴又にゆく。尾崎という男はチョコチョコする男。草野は又妙な奴。甚だ面白くなかった。
 
10月10日
 終日ラヂオにて野球とチルデン対ヴァインズの庭球を聴く。名人というものはしなやかで、それでいてセンチメンタルでないものだ。けれどもそこの所の味を、観衆中の1パーセントが理解したかどうかは甚だ疑問である。(原文のヴァインズのヴァはワに濁点。)
 
 くせのないということは、難のない平凡ということではないのだ。
 
10月11日
 拾郎戸塚の方の下宿に越す。
 
コンスタンのアドルフ読みぬ秋の暮
みの虫がかぜに吹かれてをれりけり
   かくして秋は深まれりけり
 
10月15日
 朝起きたらば、とにかくその日の前半を読書に、後半を書くことにきめた。朝から書こうとしていると、書けない日は遂に読書も出来ない。
 恐らく右の掟は、あらゆる創造的な性質の人間に有益なことであろう。
 
 拾郎が遊びに来た。今日から1週間休校の由。今度の下宿も亦ぢきに変りたくなったと云っていた。退屈しているんだ。
 環境について文句を云ってればきりがないぞ。
 
10月18日
 文也の誕生日。雨天なので、動物園行きをやめる。
 
 フランソワ・コッペの「悲哀の娘」を読了。
 
10月30日
 先達から読んだ本。リッケルトの「認識の対象」。コフマンの「世界人類史物語」。「三富朽葉全集」。「パスカル随想録(抄訳)」。「小林秀雄文学読本」。「深淵の諸相」。「芭蕉の紀行」少し。
 いよいよ今日からまた語学に入る。来春からはフランスの詩集が自在に読めるように、神に祈る。次第に、詩一天張に勉強していればよいという気持になる。
 モツアルト、ヴァイオリン・コンチェルト第5番イ長調をラヂオで聴いて感銘す。
 もうもう誰が何と云っても振向かぬこと。詩だけでもすることは多過ぎるのだ。
 22日以来外出せず。坊やでも大きくなったら、もっと映画でも見るべし。
 詩に全身挙げて精進するものなきは寧ろ妙なことなり。斯くも二律背反的なものを容易に扱えると思えるは、愚鈍の極みというべきだ。
 語学をやらねばならぬ。このことだけが大切なり。
 
(※現代仮名遣いに改めたほか、漢数字を洋数字に直すなどの書き換えをしてあります。編者。)
 
以上
昭和11年(1936年)10月の日記を
角川新全集第5巻「日記・書簡」から
すべて引用してみました。
 
11月3日は
晴。午後阿部六郎訪問。夕刻より渋谷に出て飲む。渋谷で飲んだのは多分昭和5年以来のことだ。だいぶ変わっている。
 
と続きますが、
この頃の社会や
世界情勢に
目を向けると――。
 
この年の2月に
帝国陸軍の将校による「反乱」
2.26事件が起こりました。
 
ドイツではヒトラーのナチスが台頭
3月には非武装地帯ライン川左岸へ侵攻します。
7月には
スペイン内戦が勃発。
 
8月には
「前畑ガンバレ」のアナウンスで有名な
ベルリン五輪が開かれています。
 
同月、日本陸軍に
後の「731部隊」である
関東軍防疫給水部本部が組織されます。
 
ソ連では
9月ごろから
スターリンによる粛清が
本格化しました。
 
アメリカでは
11月に
フランクリン・ルーズベルトが
大統領選で再選されます。
 
詩人の近くでは
交流のあった作家・牧野信一が
生地小田原で自殺したのが
3月24日です。
 
中原中也の詩「秋を呼ぶ雨」が発表された
文芸懇話会が発足したのは
1934年でした。
 
2.26事件は
この事件が単独に起こったものでなく
1932年の5.15事件などの流れが
必然的に誘発したものであるように
文芸懇話会も
文学芸術の領域における
思想統制の流れの必然でした。
 
この流れは
15年戦争という
大きな歴史の中において把握すべき
歴史認識の問題ですが
文学芸術のいとなみは
やがて
1940年の大政翼賛会
1942年の文学報国会などと
戦争の渦の中に巻き込まれてゆきます。
 
詩人・中原中也も
こうした時代の大きなうねりの中に
生きていて
「いやなムード」を敏感に
感じ取っていました。
 
「現代と詩人」は
戦争へ戦争へと
突き進んでゆく時勢を
明確に意識した感性を歌ったものであるとは
だれもいわない詩ですが
だれもそういわないことのほうに
この詩人への無理解が
集中的に表現されている
とひとこと言っておきたい作品です。
 
そのように
無理解にさらされている
詩の一つです。
 
 

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