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また来ん春……

 
また来(こ)ん春と人は云(い)う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此(こ)の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……

 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

「また来ん春」は

「月の光 その一」「月の光 その二」とともに

「詩三篇」として「文学界」昭和12年2月号に

発表された連作詩ですが

直接的に文也の死を題材としたのは

「また来ん春」が

「在りし日の歌」全篇の中でも唯一です。

文也の死後に新たに作られた追悼詩は、

詩集「在りし日の歌」には、

「またこん春」

「月の光 その一」

「月の光 その二」

「冬の長門峡」の4作、

このほかに未発表詩篇に

「断片」

「暗い公園」

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」の3作があります。

さらにほかに

旧作を再編集して追悼詩としたものや

「月夜の浜辺」のような「悩ましい」作品が

いくつかあります。

「在りし日の歌」は、

「亡き児文也の霊に捧ぐ」と、

副題を付せられているように、

詩集の大きな目的でしたから、

集中に追悼詩が多くあるのは当然です。

第2連

おもへば今年の五月には

おまへを抱いて動物園

象を見せても猫(にやあ)といひ

鳥を見せても猫(にやあ)だつた

と同じ内容が

昭和11年12月12日に書かれた日記「文也の一生」にもありますが

「また来ん春」と

どちらが先に書かれたものかはわかりません。

「文也の一生」の末尾は

親子3人で上野の博覧会へ行った時の回想で

これを詩にしたのが

「夏の夜の博覧会はかなしからずや」(未発表詩篇)で

これを12月24日に完成した後

「冬の長門峡」が書かれました。

文也の突然の死に

中原中也の悲歎はやまず

葬儀の日には

文也の遺体を抱いて離さず

なかなか棺に入れさせなかった話が伝わりますが

忌明けの12月28日まで

一歩も出ることはなく

毎日、僧侶を呼んで読経を頼み

自身は「般若心経」を読みふけっては

さまざまな書き込みを行っていた、といいます。

その合間の

追悼詩の創作でした。

「来ん」は、「こん」と読みます。

カ行変格活用「こ・き・く・くる・くれ・こよ」の

未然形「こ」に

推量の助動詞「む」が

「ん」に変じて連なったものです。

象を見せても猫(にやあ)といひ

鳥を見せても猫(にやあ)だつた

というフレーズは、

世の親ならば、我が子の子育てで

きっと同じような経験があるはずで、

そのことを思い出しつつ、

その子が死んでしまって、

もう、この世にはいない、という詩なのだ、

と、あらためて、詩に向かうと、

作者詩人の悲しみが乗り移ってくる思いになることでしょう。

わが子を失うことは、

そう多くの人が経験することではありませんが、

だれにも通じ、

普遍性が感じられる詩です。

最後に見せた鹿だけは

角によつぽど惹かれてか

何とも云はず 眺めてた

おさなごが、世界(鹿)を知って、驚いて、

食らいつくように凝視している

その眼差しは、いま、この世にないのです。

 

 

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