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幼年囚の歌

 
  1

こんなに酷(ひど)く後悔する自分を、
それでも人は、苛(いじ)めなければならないのか?
でもそれは、苛めるわけではないのか?
そうせざるを得ないというのか?

人よ、君達は私の弱さを知らなさすぎる。
夜も眠れずに、自らを嘆くこの男を、
君達は知らないのだ、嘆きのために、
果物にもパンにももう飽かしめられたこの男を。

君達は知らないのだ、神のほか、地上にはもうよるべのない、
冬の夜は夜空のもとに目も耳もないこの悲しみを。
それにしてもと私は思う、

この明瞭なことが、どうして君達には見えないのだろう?
どうしてだ? どうしてだ?
君達は、自疑してるのだと私は思う……

   2

今夜(こよ)はまた、かくて呻吟(しんぎん)するものを、
明日の日は、また罪犯す吾なるぞ。
かくて幾たび幾そたび繰返すとも悟らぬは、
いかなる呪いのためならん。

かくは烈しく呻吟し
かくは間なくし罪つくる。
繰返せども返せども、
つねに新し、たびたびに。

かくは烈しく呻吟し、
などてはまたも繰返す?
かくはたびたび繰返し、
などては進みもなきものか?

われとわが身にあらそえば
人の喜び、悲しみも、
ゼラチン透かし見るごとく
かなしくもまたおどけたり。
 
      (一九二九・一・四)
 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

「幼年囚の歌」は

「女よ」から半月の後

1929年1月4日に作られた詩です。

年が明け

この日の4日後の

昭和4年(1929年)1月8日に

渋谷町神山23林方へ引っ越します。

高井戸町下高井戸での

関口隆克、石田五郎との共同生活が

終わりに近づく中で書かれた作品ということになります。

「白痴群」創刊へ向けて

身辺がざわざわとしてきた中で

詩論、文学論、芸術論……

対立する場面も多く生じたのかもしれません。

昭和4年(1929年)の年譜を見ておきます。

昭和4年(1929年) 22歳

1月 「幼年囚の歌」。

同月、阿部六郎の近く、渋谷に転居。

4月、河上徹太郎・阿部六郎・安原喜弘・古谷綱武・大岡昇平らと同人誌「白痴群」を創刊。翌年6月発行の6号で廃刊になるまで、「寒い夜の自我像」「修羅街輓歌」「妹よ」など、後に「山羊の歌」に収録される二十余篇を発表。

4月中旬、渋谷百軒店で飲食後、帰宅途中で民家の軒灯のガラスを割り、渋谷警察署の留置所に15日間拘留される。

5月、泰子と京都へ行く。

7月、古谷綱武の紹介で彫刻家高田博厚を知る。高田のアトリエの近く、中高井戸に移転後頻繁にアトリエに通う。

高田の紹介で「生活者」9月号に、「月」他6篇、続いて10月号に「無題」(後、「サーカス)」と解題)他5篇を掲載。これらのほとんどは「山羊の歌」に収録。

この年から、ヴェルレーヌの「トリスタン・コルビエール」(「社会及国家」11月号)など、翻訳の発表始まる。

この年、「ノート翻訳詩」の使用開始。

(「角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」)

一瞥(いちべつ)して

第一詩集「山羊の歌」の作品のほとんどが

この1、2年の間に

制作され発表されたことが分ります。

その舞台は

「白痴群」と「生活者」です。

自作の詩を発表する場をもった詩人は

意気揚々として

得意気でもありそうですが

順風満帆(じゅんぷうまんぱん)なわけではありません。

ストレスは普通にたまり

ときには爆発して

警察の厄介になることもありました。

忌はしい憶い出よ、

去れ! そしてむかしの

憐みの感情と

ゆたかな心よ、

返つて来い!

と、「修羅街輓歌」に歌ったのも

この頃のことです。

詩人の目には

東京が

否! 世界が

修羅でした。

修羅の街でした。

「対外意識にだけ生きる人々」の元気な街でした。

この詩を献呈された

関口隆克こそ

当時、詩人に共同生活の場を提供していて

東京帝国大学の3年生でしたが

やがて文部省官僚から開成学園の校長になった人物です。

この関口が、後年、

この頃の詩人を回想して

中原はどこにでも構わず押しかけていって、議論するんですね。人が真に従順であるべきなのは真理と神に対してであって、人間に対して従順である必要はないっていうのが中原の考えなんです。だからみんな 閉口する。解決がつかなければ、三日でも五日でも十日でも、寝させないで議論する

中原は寝床で泣きながら書いているんです。ベッドにロウソクをともして、書いちゃあ泣いている。私はくたびれて寝てしまったんですが、朝起きたら、私の枕もとに涙ながらの原稿が置いてあった

(「NHK私のこだわり人物伝 中原中也 町田康」より抜粋・引用)

などと、語っています。

まさしくこれが

「幼年囚の歌」の世界であり

背景です。

1の第3連

君達は知らないのだ、神のほか、地上にはもうよるべのない、 

冬の夜は夜空のもとに目も耳もないこの悲しみを。 

と、最終連

われとわが身にあらそへば 

人の喜び、悲しみも、 

ゼラチン透かし見るごとく 

かなしくもまたおどけたり。

との連なりが

絶妙です。

 

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