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(僕達の記臆力は鈍いから)

 
僕達の記臆力は鈍いから、
僕達は、その人の鬚(ひげ)くらいしか覚えておらぬ

嘗(かつ)てその人がシガレットケースをパンと開いて、
エジプト煙草を取り出したことももう忘れている。

明治天皇御大葬、あああの頃はほんによかった、
僕は生き神様が亡くなられたということはどんなことだか分らなかった。

号外は盛んに出、僕はそれを受取ると急いで家の中に駆込んだ。
あの頃は蚊が、今より多かったような気がする。

その人は、父の親友で、毎日々々遊びに来ていた。
僕をみると何にも言わないで、ニコニコ笑っていた。

後、僕達が其(そ)の土地を去ってから、
その人の奧さんが学生と駆落したことが新聞に出た。

母は涙ぐんでいた、父は眼鏡(めがね)を拭(ふ)いていた。
僕はそんなことがどうして大したことなのか分らなかった。

今僕はそれが大したことだと分るようになった。
そして六十の老人のような心で、生きている。
 

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ひとくちメモ

(僕達の記臆力は鈍いから)の最終行に、

そして六十の老人のやうな心で、生きてゐる。

と、ありますが、

この詩を書いている詩人は

この年、1932年に

満25歳(4月29日誕生日)になります。

明治天皇の御大葬は、

明治45年9月13日に行われました。

亡くなられたのは、

同年7月30日で

中原中也は5歳でした。

25歳の詩人が

何かのきっかけで

小さいときにしばしば

父を訪ねて遊びにきた親友のことを

思い出します――。

帰郷したときに

母フクとの話の中に

出てきたのでしょうか。

その思い出はぼんやりしていますが

御大葬があったころで

号外が出て

街でそれをもらった詩人は

いそいで家に帰りましたが

事情をよく飲み込めないまま、

きっと、

大人たちが真剣そうにしているのを

うかがっていました。

蚊の多い夏だった、

という記憶があります

その人、父の友人が

よく遊びにきたのはこの頃で

鬚(ひげ)をたくわえていたことは

鮮やかに憶えています。

シガレットケースを

パンと気前のよい音を立て

中から器用に

エジプト煙草を取り出す仕草が

思い出すにつれ浮かんできます。

父のところへやってきては

僕に話しかけるではなく

いつもにこにこ笑っている人でした

後になってのことですが、

僕たちがその土地を離れてから、

その人の奥さんが

学生と駆け落ちする事件を起こして

新聞のニュースになりました。

母はそのことで涙ぐみ

父は眼鏡を拭いていました。

僕はその話を聞いたとき

それがどのように大層なことなのか

さっぱりわかりませんでしたが……

今になっては

それが大層なことだとわかるようになりました。

どころか

60歳の老人のような心で生きているのです。

第6連の、

「其の土地」は広島のことで、

詩人は当時、

広島女学院付属幼稚園に通っていました。

幼少時の広島の思い出は

彩り豊かな経験に満ちていて

しばしば中原中也の詩作の

モチーフになります。

広島から離れて

詩人ら家族が行った先は

石川県金沢でした。

 

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