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無 題

 
疲れた魂と心の上に、
訪れる夜が良夜(あたらよ)であった‥‥‥
そして額のはるか彼方(かなた)に、
私を看守(みまも)る小児(しょうに)があった‥‥‥

その小児は色白く、水草の青みに揺れた、
その瞼(まぶた)は赤く、その眼(まなこ)は恐れていた。
その小児が急にナイフで自殺すれば、
美しい唐縮緬(とうちりめん)が飛び出すのであった!

しかし何事も起ることなく、
良夜の闇は潤んでいた。
私は木の葉にとまった一匹の昆虫‥‥‥
それなのに私の心は悲しみで一杯だった。

額のつるつるした小さいお婆さんがいた、
その慈愛は小川の春の小波(さざなみ)だった。
けれども時としてお婆さんは怒りを愉(たの)しむことがあった。
そのお婆さんがいま死のうとしているのであった‥‥‥

神様は遠くにいた、
良夜の空気は動かなく、神様は遠くにいた。
私はお婆さんの過ぎた日にあったことをなるべく語ろうとしているのであった、
私はお婆さんの過ぎた日にあったことを、なるべく語ろうとしているのであった‥‥‥

(いかにお婆さん、怒りを愉しむことは好ましい!)
 
          (一九二七・八・二九)
 

▶音声ファイル(※クリックすると音が出ます)

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ひとくちメモ

「無題」(疲れた魂と)に

「良夜(あたらよ)」とあるのが

夏の夜のことらしいのは

この詩の制作日が

(一九二七・八・二九)と記されていたり

「在りし日の歌」の「初夏の夜」には

「されば今夜六月の良夜なりとはいへ、」とあったりすることから

類推できることです。

1927年(昭和2年)は

中原中也が20歳になる年ですが

すでに「朝の歌」は制作され

「詩人として専心」する決意がいよいよ固まったものの

東京・中野町桃園での孤独な暮しに変りはありません。

「あたらよ」は

朝が来るのが惜しく感じられるほど

すばらしい夜のことのはずなのですが

詩人には

「疲れた魂と心の上に、訪れる夜」なのでした。

そのために

詩人が眠りに就こうとしている

額(ひたい)の上のほうには小児がいて

詩人をさきほどから見守っているのです。

その小児は色が白く

水草の青い色の中で揺れて

瞼は赤く充血して

何ものかを恐れているようでした

その小児が自殺すれば

美しい唐縮緬(とうちりめん)が飛び出すはずでしたが……

(この詩句に仕掛けられた

中原中也独特のサプライズ!)

実際は何事もなく

あたらよの闇は豊かに黒く青ずんでいました

私=詩人は木の葉に止まった一匹の昆虫か何かのようでしたが……

それなのに心は悲しみで一杯でした

額のつるつるした小さいお婆さんがいまして

慈愛に満ちた表情は小川の春のさざ波でした

けれども時々お婆さんは怒り散らすことがありました

そのお婆さんは今死のうとしていました……

神様は遠くにいるのでした

素晴らしい夜に空気は動かずに、神様は遠くにいるのでした

私はお婆さんの過去にあったことをなるべく語ろうと思っていました

私はお婆さんの過去にあったことをなるべく語ろうと思っていました

(そうだよ、お婆さん! たまには怒り散らすことはいいことなんですよ)

ダダというより

シュールな

フランス象徴詩というより

シュールな

ベルレーヌでも

ランボーでもない……

「朝の歌」でもない

独特の世界があります。

 
 

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